81 第三層のボス
アイスウゴキヤマイモのツルでつくったロープで、くくり罠をつくる。輪をつくり、その中に頭や足を入れたら仕掛けが外れて締まる仕組みだ。
「この感じ、懐かしいな。何度引っかかったことか」
「メジャーな罠だからなぁ」
レオンハルトとディーが罠の前で盛り上がっている。
罠は複数箇所に仕掛けるのが肝要だ。付近にも罠を仕込むために移動する。
異変があったのは、三か所目に罠を仕掛けようとした時だった。
巨大な猪の死体が、道の中央に放置されていた。
倒れていてもリゼットの背丈ほどはある大きさだった。全身が黒い毛に覆われ、ところどころ金の体毛が装飾のように輝いている。丸々と太った腹部は無残に引き裂かれ、臓物が食い荒らされていた。
【鑑定】パイア。獰猛怪力。旺盛な食欲であらゆるものを食い尽くす。鎧のような頑丈な毛皮を持ち、一度走り出せば止まることはない。
「親のパイアか……ひどく食い荒らされているな。頭も割られている」
「この爪痕……まさか」
パイアに残されている鋭い痕跡は、ゴブリンに残されていたものとよく似ている。
「ああ。ジャイアントキリングベアーの仕業だろう」
「まだ出てくんのかよ」
「私たちの姿を見れば、仲間だと勘違いするかもしれません」
リゼットは着ているキリングベアーの毛皮をぱたぱたと揺らした。
「残念ながら騙せないだろうな。キリングベアーは嗅覚もいい」
「この格好で遭いたくねぇなあ。オレが向こうの立場なら絶対許さねー」
「ですよね……」
とはいえ脱ぐ選択肢はない。
いま毛皮を脱げばこの寒さで一気に体力を奪われるだろう。
「食いに戻ってくる前に移動しようぜ」
「こんなところに壁がありましたっけ」
通ってきたはずの道に大きな壁が鎮座していた。黒い、山のような壁が。
「まーたウォールミミックか?」
「…………」
レオンハルトが息を殺して剣を抜く。
「ふたりとも、ゆっくり下がってくれ」
のそりと、壁が揺れる。
びっしりと生えた草むらのような長い毛は、よく見れば赤い。
真上から二本の柱が下りてくる。雷のような勢いで。
それは前足だった。
獣が吠え猛る。金色の目を輝かせて。大きな顔の中央には、真新しい傷跡がある。
――ジャイアントキリングベアー。
「フレイムバースト!」
ジャイアントキリングベアーの顔面で炎を弾かせる。
強く魔力を込めた一撃。いままでのモンスター相手なら頭を吹き飛ばしていた一撃は、この強敵にはさしたるダメージを与えなかった。
ジャイアントキリングベアーは一瞬動きを止め、ふるふると首を横に振る。顔に着いたゴミを払うかのように。
まったく効いていない。
そして、一気に毛が逆立つ。怒りの炎で全身が燃えているかのように。
振り上げられた右前足を躱し、レオンハルトが左前足の腱を斬る。
「逃げるぞ」
走り出したディーを追ってリゼットも走る。レオンハルトも剣を持ったまま走り、ジャイアントキリングベアーも後ろをついてくる。
足を一本やられているため速度は遅いが、迫力は凄まじいものだった。地の果てまで追い詰め殺す――そんな気迫が伝わってくる。
「なんだか、さらにパワーアップしていませんか?!」
「おそらく集落のゴブリンを食べたあとに、あのパイアも食べたんだ」
「なんて食欲でしょう」
ディーの先導に従って、崖の近くまで走り続けるが、相手の執念は深い。このままではリゼットの持久力が先に尽きる――そう思った瞬間。
迫ってきていたジャイアントキリングベアーの動きが止まる。後ろから足を強く引っ張られたかのように、転んで地面で跳ねる。
足の一本に、ロープが絡みついていた。罠にかかったのだ。
ディーが罠を張っていた場所に誘導していたことに、その時気づいた。
ジャイアントキリングベアーは恐ろしい唸り声を上げながらロープを引き千切ろうとする。しかしロープは軋むばかりで切れない。だがロープをくくっていた木が抜けそうに――あるいは折れそうになっている。
レオンハルトがロープに気を取られているジャイアントキリングベアーに一気に近づき、剣を振るう。
アダマントの剣は、ジャイアントキリングベアーの鼻先から口にかけた部分を斬り落とした。
血が吹き出し、口蓋が露わになる。――口が、開く。
リゼットは深く息を吸った。
ここで決める。
【火魔法(神級)】【魔力操作】
「ブレイズランス!!」
白い烈火の槍が、ジャイアントキリングベアーの開いた口から喉を貫く。
リゼットの髪の一部が赤く燃える。
【火魔法(神級)】【魔力操作】【敵味方識別】
「ブレイズバースト!!」
神炎の槍の魔力を集束させ、爆発させる。
ジャイアントキリングベアーの身体が一瞬で蒸発し、消える。
跡形も残らなかった。
「熊肉……」
肉の一片、骨のひとかけらすら。
「私の熊肉!」
「泣くほど……」
レオンハルトが剣を鞘に納めながら、困惑したように言う。
肉だけではない。毛皮に、肝。失ったものはあまりにも大きい。
絶望するリゼットの足下に、琥珀色の石がころころと転がってくる。
魔石だった。
魔石はエリアボスの証だ。これが現れれば、次の階層への道が開ける。
「どうしてこれが……ジャイアントキリングベアーがこの階層のボスだったのでしょうか」
「いや……どうだろう。ジャイアントキリングベアーは外から来たモンスターだろう。おそらく本来のボス――たぶん、パイアを食べてしまったときに、魔石が腹に入ったんだ」
「なんつー食欲だよ……こいつがいたらダンジョン全部食べ尽くされてたかもな」
ふたりの視線がリゼットに向く。
「ともあれ、これでクリアです。次の階層に行きましょう」
その時だった。上の方から地鳴りのような音が響き始めたのは。遠く近く鳴るその音は、豪雨が地面を叩くようであり、大地の怒り――あるいは嘆きのようだった。
それはモンスターの集団だった。
若いイノシシの固まりだった。
金毛に白が混じったパイアの子どもたちは、ひとつの意思に導かれるように、リゼットたちの方へ押し寄せる。
【聖盾】
レオンハルトの魔力防壁がイノシシ津波を押し返す。
しかしパイアの子どもたちは止まらない。【聖盾】の前でうず高く積み上がっていく。
レオンハルトの【聖盾】は、魔法も物理攻撃も跳ねのけるが、長時間は持たない。
魔法で吹き飛ばそうと思った瞬間、一頭のパイアの子どもが【聖盾】を乗り越えて上から落ちてくる。リゼットの前に。
パイアの子が、走り出す。
「退け!」
ディーがリゼットを横から突き飛ばす。
パイアの子の突進を受けたディーの身体が宙を舞い、崖の下へと落ちていく。
「ディー!」