80 ウォールミミックの土スープ
「どーすんだ? あいつの言ってるの、あのチビのラミアだろ」
「……そうですね……」
モンスターの討伐依頼。依頼としては極々一般的なものだろう。
ためらう理由はない――はずだが、リゼットは答えられないでいた。
「これはオレのただの意見だけど、襲ってこないモンスターは放っておいていいんじゃね。食料はまあ何とかなるしさ、まだ。このダンジョン食い尽くす前にクリアできるだろ多分」
「ああ、俺もディーと同じ意見だ」
あのラミアはただのモンスターではない。
襲ってこず、意思疎通ができる。感情がある。
そして、食べるのに抵抗感がある、人型モンスター。
「おふたりとも、ありがとうございます。私もあの子をどうかするつもりはありません」
身体の健康は元より、心の健康も大事だ。嫌なことを進んで行う必要はない。
「フォンキンさんに食料をいただかなくても、このダンジョンには豊かな恵みがありますものね」
「んじゃ決定ってことで。さすがに後味悪ぃからな」
話が無事にまとまり、リゼットたちは探索を再開した。
階層の探索は順調に進む。キリングベアーの毛皮の効果か、モンスターの襲撃がないからだ。
「キリングベアーは、モンスターたちに恐れられているのかもしれませんね」
呟くと、レオンハルトが苦笑する。
「よほど暴れ回ったんだろうな」
探索しているうちに、いつの間にか渓谷のような場所に来ていた。
未知の部分はかつては川だったのか周囲より低くなっていて、両脇は切り立った壁のようになっている。
冷たい風がその間を吹き抜けていく。迷路のように入り組んでいるため見通しも悪い。上り坂になったかと思えば下り坂になり、また上り坂になる。
「お、ずいぶん見晴らしが――」
「近づくな。その先は崖だ」
レオンハルトが鋭い声を飛ばす。
先頭を歩いていたディーがびくりと身体を震わせ足を止めた。
「それ以上は進まないでくれ。その先は、雪が地面のようにせり出している場所だ。踏み抜けば真下に落下する」
「サ、サンキュー。まったく気づかなかったぜ……」
自分の足跡を踏みなおしながら、後ろに戻る。
リゼットはレオンハルトの後ろから、崖の先を見つめる。
覗き込めないので定かではないが、遠目に見える景色はかなり下の方にあるようだった。
「こりゃ落ちたら登るのは無理だな。戻ろうぜ」
ゆっくりと踵を返し、来た道を分岐点まで戻る。
その途中で、壁に阻まれる。道幅いっぱいに広がっている壁に。
「こんなとこに壁あったか? 道間違えたか?」
ディーが手元の地図を見て首を捻る。
「いや、なかった。これは――ウォールミミックだ」
【鑑定】ウォールミミック。壁に擬態し冒険者の行く手を阻む。
「こうやって壁に擬態して、冒険者を道を迷わせたり、近づいてきたところを――」
レオンハルトの解説に応えるかのように、壁に大きな口が開く。ずらりと並んだ白い歯。赤黒い長い舌。
壁が動き、壁が飛ぶ。よだれを垂らして。
レオンハルトはそれを盾で防ぎ、剣で舌を切り落とす。
喉の奥を剣で突き刺し、引き抜き、体当たりして壁を倒す。
ウォールミミックの口がビクビクと震え、それもすぐに終わった。壁が崩れて土塊となり、絶命する。
「さすがレオンです」
砕けた壁の中からミミックの本体が姿を見せる。
「ウォールミミックはこうやって土を自分にまとわせて、壁を擬態しているんだ」
「この姿になりますと、普通のミミックに似ていますね」
腹を見せて倒れる姿は、宝箱に擬態して冒険者を襲う通常ミミックとそっくりだ。名前だけではなく生態的にも同種なのかもしれない。
リゼットは壁を形成していた土に目をやる。
【鑑定】珪藻土。堆積した植物の化石。
砕かれた土の中から、手のひらサイズのものを選んで拾う。表面はぼこぼこと穴が開いていて脆い。端をつまんで少し力を込めれば粉状になる。
「この土、レオンの言っていた食岩ではないでしょうか?」
レオンハルトはまじまじと土を見て。
「――これは、確かに似ている」
「ということは、食べられますよね」
「え。土食うの? マジで?」
ディーが恐怖に引きつった声を上げた。
「ただの土ではありません。これは堆積した植物の化石です」
「いや土だろ」
「ミックスナッツバーだと思えば」
「無理がある無理がある無理がある」
首をぶんぶん横に振る。
「俺も、そう思い込むのはさすがに厳しいものがある」
レオンハルトの表情も陰っている。
「エルフの方々も食べていらっしゃるという話ですので、きっと大丈夫です!」
リゼットは手のひらのそれに浄化魔法をかけて、口にした。クッキーのようにほろりと崩れる。
「うわぁ土食ってるよこいつ」
「……塩辛く、でも甘味があり……わずかに酸味と渋み……土というより調味料……そう、魚醤に似ているかもしれません」
口元を拭き、レオンハルトにも渡す。
レオンハルトは端をほんの少しだけ齧り、静かに目を閉じた。
「土食ってくるよこいつら……」
「――これは、俺の知っている食岩とは違う。よく似ているが、味が濃い」
「スープにしたら美味しいかもしれません。早速試してみましょう!」
冷たい風の当たらない場所に移動する。
まずは全員でミミックの足を折っていく。足が全部取れると足は冷凍保存し、身体の方をフライパンで煎る。充分に火が通って香ばしい色と匂いになってきたら、水を入れて煮込んでいく。
ぐつぐつ煮えてきたら灰汁を取って、ウォールミミックの土を溶かす。
味見をし、リゼットは頷いた。
「できました! ウォールミミックの土スープです!」
「泥水みてぇだ……」
器に入ったスープに映る自分の絶望的な顔を眺めながら、ディーが呻く。
「いただきます」
まずはスープを一口飲み、リゼットはほっと息をついた。
じんわりと染み渡っていく塩味と甘味、そして香ばしさが心地いい。
ミミック肉を食べるとエビの味がした。深く炒ったおかげか臭みもなく、上品な味だった。
「ミミックはおいしい……私、ミミックのファンになりそうです」
「確かにうまい……」
ぽつりと呟いたレオンハルトの腕をディーが引っ張る。
「ど、どんな味だ?」
「コクのあるエビスープ……かな。初めて食べる味だが……うん、悪くない。香りもいいし臭みがない」
「土じゃねえんだな?」
「ああ。食岩とはまったく違う。土地が違うからか、モンスター由来だからか……」
ディーは恐る恐るスープに口をつける。
そして、ほっと表情を緩めた。全身から緊張が解ける。
「クソミミックもこうなってくるとただの食いもんだな」
スープを飲みながらまったり過ごしていると、不意に地鳴りのような足音――それも複数――が、下の方から響いてくる。
下を見れば、渓谷をモンスターが群れを成して走っているのが見えた。
体毛は金色。目が爛々と輝いている。十頭ほどの群れが、ひたすら前を向いて走っていく。
「イノシシじゃねーか。あれもモンスターか?」
「あの金毛は……パイアの子どもだな。親も近くにいるはずだ」
「なるほど。では行きましょうか」
「……どこに?」
レオンハルトが訝しげな表情で聞いてくる。
「もちろんイノシシ狩りです!」