74 ジャイアントキリングベアー
焼きムカゴを行動食にして探索を再開していると、ディーがふと足を止めた。
「なんだあれ」
それは地面から不自然に盛り上がった影だった。奇妙な造形だった。まるで地中から手足が伸びているかのような。
慎重に距離を詰める。
それはゴブリンだった。頭の一部と両足以外が雪に埋められた。
死んでから時間が経っているらしく、雪がわずかに積もっていた。緑色の肌にはらはらと新たに雪が重なっていく。周囲に広がる血で染まった雪も、内臓の一部と思わしきものも、白に覆われて隠されていく。
「誰が埋めたのでしょうか」
「なんかこの感じ、少し前にも見たよーな……」
「この足跡……」
ゴブリンの周囲には大型の足跡がいくつも残っていた。雪でほとんど隠されてしまっているが。
指の数は五本。それぞれに鋭い爪がついている。
その時、しんと静まり返った空気の中に、荒い鼻息が響く。
振り返った先――木立の奥にいたそれは、まるで山だった。いや壁だった。立ち上がると大樹となり、咆哮が大気を、大地を震わせる。
【鑑定】ジャイアントキリングベアー。一撃で獲物を仕留められる鋼鉄の爪と岩をも砕く牙、分厚い毛皮を持つ。肉食で好奇心旺盛。
赤い毛並みが炎のように揺れた。
「溺れ死んだんじゃなかったのかよ……!」
ディーが声を潜めて叫ぶ。
「別の個体だ。そしてこれはキリングベアーじゃない……ジャイアントキリングベアーだ」
「その違い、いま重要か?」
ジャイアントキリングベアーはすぐに襲い掛かってこようとはしなかった。慎重派なのか距離を保ち、こちらの様子を窺っている。
このまま逃げてほしいところだが、ジャイアントキリングベアーは怒っていた。逃げる素振りはなく、こちらが弱いと判断すれば躊躇なくその鋼鉄のような爪を振り下ろしてくるだろう。
「――そうか。このゴブリンは、ジャイアントキリングベアーが食べ残しを埋めたものなんだ。俺たちが獲物を横取りしに来たと思っている」
「誰が食うかよ……!」
実際のところはともかく、食事の邪魔をしたと思われているのならその怒りは深いだろう。
ならば戦うしかない。
【魔力操作】【水魔法(上級)】【魔法座標補正】
「フリーズランス!!」
氷槍をジャイアントキリングベアーの頭部めがけて解き放つ。
巨大な氷の刃は巨大な頭部を消し飛ばす――はずだった。
分厚い頭蓋骨に当たった氷槍は、皮膚をわずかに傷つけただけで粉々に砕け散った。
――しかし驚かせる効果だけはあった。
目の前を両手で覆って、驚いたような唸り声を上げ、四つ足に戻って逃げていく。その速度も速く、あっという間に雪の狭間に消えていった。
「効いていない……?」
リゼットは激しくショックを受けた。
ジャイアントキリングベアーは逃げたが、それは魔法に驚いただけだ。身体はまったく傷ついていない。相手にとっては軽く額を小突かれた程度の衝撃だっただろう。
いくら強靭なモンスターとはいえ、ここまで魔法が通用していないなんて。
「もしかすると、ゴブリンを食べているからかもしれない」
魔法の弱体化を危惧するリゼットの前で、レオンハルトがぽつりと呟く。
「モンスター料理には身体を強化するバフ効果があるだろう? ジャイアントキリングベアーもダンジョンのゴブリンを食べることで、更に強靭になっているのかもしれない」
「そんな……――モンスター料理ってすごい!」
「言ってる場合か! そんな危険なモンスター、いったいどうすりゃいいんだよ」
魔法が通じないとなると、近接での物理戦で戦うことになる。となれば戦えるのはレオンハルトしかいない。リゼットの攻撃手段は魔法のみだ。
リゼットが持つユニコーンの角杖に使用している角は、ユニコーン本体が長らく戦いに使用してきたものだから物理攻撃は不可能ではないが、リゼットの筋力ではおそらくダメージが通らないだろう。
「探索中に突然遭遇するのだけは避けたい。待ち構えて倒そう」
「でも、どうやって――」
「へっへっへっ。心配すんな。オレに秘策がある」
ディーが自信たっぷりに笑う。
「まずは誘き寄せるためのエサを用意しようぜ」
「ああ。これは片づけて、新しいエサを用意しよう。ゴブリン狩りだ」
土に埋まっていたゴブリンは燃やし、新しいゴブリンを探しにいく。ゴブリンの死体がここにあるということは、ゴブリンの生息地が近くにあるはずだ、と。
雪の中を歩きながら、先頭を進んでいたディーがレオンハルトを振り返る。
「あのキリングベアー、ゴブリン食べているから強化されてるんだとしたら、ダンジョンのモンスターは全部強化されている状態ってことか?」
レオンハルトは少し間をおいて、答えた。
「俺はキリングベアーたちは外から入ってきたものだと思っている」
「なんで」
「キリングベアーは地上の熊と交雑して生まれた、比較的新しいモンスターだ。原初的なこのダンジョンと雰囲気が合っていない」
「さすがモンスターマニア……」
「誉め言葉と受け取っておく」
レオンハルトがリゼットを振り返り、エメラルドの瞳と目が合う。
開きかけていた距離が縮まり、リゼットに向けて手が差し伸べられる。
「足下、気をつけて」
道はやや登り気味の傾斜になっていて、足場が悪くなっていた。
手を重ねるととても安定し、格段に歩きやすくなる。
「だから俺は、外の生物がダンジョン内の生物を食べると、強化効果が高く出るんじゃないかと思っているんだ」
手を引かれたまま歩き続ける。
何故か胸がどきどきして、寒さを感じなくなっていく。手はむしろ熱いほどだった。
「逆を言えば、ダンジョン内の生物にとっては、外の生物がごちそうなのかもしれない……ははっ、なんだか本当に、食うか食われるかになってきたな」
「笑い事じゃねーよ……」
リゼットは思った。レオンハルトはモンスター料理が本当に好きなんだな、と。
こんなに真剣に、熱心に考えているだなんて。
嬉しく思うと同時に。
(私も負けていられません)
密かに対抗心を燃やした。