71 クローラー
「クローラー……ダンジョンの掃除屋か」
クローラーは爪が生えた無数の足を滑らかに、俊敏に動かし、ダンジョンの侵入者へとその頭部を向ける。岩も噛み砕けそうな丈夫そうな顎に、ずらりと並ぶ鋭い歯。
首の下にはまるで髭のような八本の触手が生えていて、餌を求めるかのようにくねくねと動いている。
「レオン、ディー!」
リゼットは二人を起こそうとしたが、ふたりともまったく起きる気配はない。酒に混入していた薬は浄化したはずだが、もしかして失敗したのだろうか。それとも酒の力か。
「なんでこの状況で起きねえんだよ!」
「ケヴィンさんが飲ませるからでしょう!」
「ったく未熟な坊やどもだな!」
クローラーが結界の外にいるケヴィンに飛び掛かる。
巨体に見合わぬ軽い動き。とても避けきれるものではない。
「おれは! 伝説を、つくる男だ!! 来い――《シルフィード》!」
その瞬間、ケヴィンの周囲に旋風がいくつも起こる。
(風魔法――)
ケヴィンは風を巧みに操って、槍先をクローラーの顎に引っかけると、そのまま上に投げた。浮いた身体を風でさらに高みに上げる。そしてケヴィン自身も風を使って飛び上がり、空中でむき出しになっているクローラーの腹を槍で突き、捻り、抜く。
クローラーの巨体が落ちる。地面との衝突で動きが止まる。
地上に降りたケヴィンはその隙に、豪雨のような勢いで何度も槍を突き刺した。
だが致命ダメージを与えるまでには至らない。槍の刃は金属音と共に硬い表皮に弾かれる。口周りや腹側は傷が入っていたが、緑色の血液がわずかに流れ出すばかりだった。
リゼットは手が出せなかった。
怒ってはいるが、ケヴィンとユドミラの真意がわからない以上、見捨てて死なせるつもりはない。
だが、加勢のタイミングが難しい。
ケヴィンの戦い方は独特なテンポと動きで、下手に加勢すれば逆に邪魔をしそうだ。
リゼットが怒っているため【敵味方識別】スキルを使っても、敵と認識して攻撃してしまうかもしれない。
そのとき、衝撃から立ち直ったクローラーが、今度は自力で高く飛び上がる。
「――あ」
ケヴィンの身体が真上から飲み込まれる。
ごきゅり、とクローラーのただでさえ大きな胴が更に膨らんだ。
しかし次の瞬間、腹側が斜めに斬り裂かれる。
クローラーの内側から、食道と肉と皮を斬り開いて、ケヴィンが槍を手に転がり出してきた。
――しかし、そこまでだった。
地面に倒れて動かない。クローラーの体液で麻痺していた。
【水魔法(上級)】【魔力操作】
「フリーズランス!」
苦しそうに触手を蠢かせるクローラーを、同等サイズの氷の槍で貫く。
天井近くまで持ち上がって、クローラーは串刺しとなった。
「は、はは……こんな」
ケヴィンはひきつった笑いを浮かべながら、最後の力を振り絞るようにして槍を横に薙ぐ。
槍の穂先に傷つけられた結界が、割れる。
「――――ッ?」
「……ハッ、意外と脆いな」
(結界魔法が弱体化している……? いえ、ちゃんと張れていたはず。時間経過で弱まっている? それとも物理攻撃には弱いとか?)
考えている暇はない。
ケヴィンは麻痺が回り切ったのか、死んだように動かなくなる。リゼットはその姿を視界の端で確認しながら、上を見据える。
氷の槍に腹の傷から貫かれたクローラーはまだ生きていた。
口の周りの触手と多数の爪で器用に動いて、自らを貫く氷の槍から身体を外した。
クローラーが落ちてくる。リゼットに向かって。
――もし結界を張り直せても、あの巨体では破壊される。体液は浴びても麻痺するだけ。嫌悪感は強いが麻痺するまでに勝負を決められれば。
「――リゼット!」
レオンハルトの声が聞こえた瞬間、リゼットの胸の奥で強い炎が燃えた。魔力が――湧き上がる。
「ブレイズランス!」
神炎の槍が空中を舞うクローラーを燃やし尽くす。灰にまで。
まき散らかされ、降り注ごうとしていた大量の緑の血と体液は【聖盾】によって防がれる。
「レオン!」
レオンハルトの方を見た時、火のついた薪が一本凄い速さで闇の奥へ――いつの間にか現れていた階段の中へ吸い込まれていく。
急いで駆け寄る。
レオンハルトの顔色はかなり悪く、額には脂汗が浮かんでいた。膝で立つのがやっとなぐらい衰弱している。目元だけが強く闇の奥を睨んでいた。
「……くそ、仕留め損ねた」
苦しそうに、悔しそうに、言葉を吐き出す。
「レオン、だいじょうぶです。クローラーは……」
「……次に、会ったら……」
意識も混濁しているようだ。
「水を飲んでください」
器を出す時間も惜しく、魔法で水球をつくって飲ませる。落ちないように両手で抱えて、レオンハルトの口元に寄せると、少しずつ飲んでいってくれた。
ひとまずほっとする。
ケヴィンの姿を探すが、いつの間にか消えていた。おそらく階段を下りて行ったのだろう。麻痺していたはずなのに、あれは演技だったのだろうか。それとも自分で麻痺を治したのか。どちらにせよ油断できない。
「とりあえずまだ寝てください」
肩を貸して寝袋の上に連れ戻し、寝かせる。
リゼットはディーも寝袋ごと焚火の近くに寄せる。
焚き火の様子を見て薪を足し、息を整え、結界を張り直す。まだ魔力が足りないのか小さめの結界しか張れなかったが、気配を絶ち、外の誰からも中が見えないようにはできた。
物理攻撃には弱いということがわかったので、頼りすぎないようにする。寝ずの番の重要性を改めて胸に刻んだ。
ディーの様子を見る。寝袋ごと引っ張って動かしたのにもかかわらず、熟睡していた。具合が悪そうには見えない。幸せそうな顔で寝ている。
レオンハルトの方に戻ると、彼は自分の腹部に手を当てて回復魔法をかけていた。
「レオン、怪我をしているんですか?!」
「違う……これは、解毒……」
「毒? 毒を受けたんですか?」
「……ただの悪酔いだ、きっと……ごめん」
汗は引いてきているが、疲労の色が濃かった。身体だけではなく、表情も。
リゼットはレオンハルトの手の上に、自分の手を重ねた。
――あたたかい。魔法の効果なのだろうか。それとも体温が高いのだろうか。
「大丈夫です。みんな無事なんですから。きっと何もかもうまくいきます」
祖母との思い出と同じように、おまじないのように言う。
こうやって軽く手を重ねて、こうやって冒険者の呪文を唱えると、どんな怖い夢を見た夜でも安心して眠ることができた。
レオンハルトはそれ以上何も言わなかった。
解毒魔法が聞いているのか、顔色が戻ってきている。表情も苦しさが消えていた。
(私も、油断していました)
この事態を招いたのはリゼットの油断だ。ユドミラとのことがあって、ケヴィンのことも警戒していたが、警戒が足りなかった。
そしてダンジョンに対しても。
ダンジョンは恐ろしい場所だと知っているのに、いつの間にか気が緩んでいた。
もっと慎重に。
もっと大胆に。
ダンジョンで生き延びるために。仲間を守るために。
気を引き締める。全員で、生きてここから出るために。
(それにしてもあの二人は、いったい何者なのかしら)