64 サウザンドブロブ
焚き火を起こし、五匹のレモラに枝を刺して、塩を振って遠火で焼く。身が透明からミルク色に変わり、脂がじわじわと染み出してくる。
「んー、脂が乗っていて美味しい……」
脂がよく乗っているのにしつこくなくて柔らかく、口の中でほろりと溶けて、ふわりとした甘さと塩がお互いを引き立て合う。それに加えてどこか爽やかな香りが漂う。まるでレモンのような。
「なんか普通にうまいなこいつ」
「上質な白身魚ですね……卵も身もこんなにおいしいなんて」
うっとりとしていると、レオンハルトが笑った。
「リゼットは魚が好きなんだな」
「はい。海辺の町で獲られた魚や海産物が魔法で凍らされて運ばれてくるのですが、それをいただくのが好きでした。イカとかタコとかエビとか」
「さすが元貴族……絶対高いやつだろそれ」
「そうですね……」
海辺の町から内地までの運搬、そして魔法で凍結する手間、それらが費用としてかかっているため価格は高くなる。そのため贅沢品とされていたのは事実だ。
「でも、いまのこのレモラの方がおいしいです」
王都で食べていたものよりずっと。
「確かにこれはうまいな。新鮮だからかな」
「腹減ってるからじゃね」
鮮度は重要だ。それに空腹は最大のスパイスという。
だがリゼットはそれだけではない気がした。
誰かと――信頼できる仲間と一緒に食べること。
そして味を共有し、食べながら会話をするこの時間こそが、料理を何十倍にも美味しくさせているように思った。
(お母様が亡くなられてからは、家族で食事ということもほとんどありませんでしたね)
特に妹のメルディアナが食事を同席するのを嫌がった。
貴族時代の生活は贅沢なものだったが、最後の方は孤独だったのだといまならわかる。その時は心が空虚だったことなど気づきもしなかったが。
食事とは何を食べるかよりも、誰とどんな雰囲気の中で食べるかの方が重要なのかもしれない。
(とはいえそろそろ野菜か果物が欲しいわ。栄養が偏ってしまうもの)
雰囲気も重要だが栄養も重要だ。特にこのダンジョンを生きて脱出するためには。
リゼットは水辺の森の方を見る。
木の実やキノコなら手に入るだろうか。もちろん系統のモンスターでもいい。
しかし灯火の魔法を付けたまま森の中に入ると火事になってしまいそうだ。すぐに気づけば水魔法で鎮火できるだろうが。
(海藻でも落ちていないかしら)
波打ち際に漂着物があるかもしれない。
「リゼット、あんまり水に近づかない方がいい」
水の中を覗き込もうとしたリゼットをレオンハルトが止める。
そのとき、水面がざわめいた。
水面の遥か奥から何かがせり上がってくるようなざわめき方――そして、激しい水柱を立てて黒く長いものが飛び出してくる。
モンスターの髪の毛――あるいは触手、そのようなものが激しく水面を叩いて飛沫を上げ、リゼットたちに襲い掛かる。
「凍れ!」
周囲一帯の水面を凍り付かせる。
水の上に出てきたモンスターと共に。
【鑑定】サウザンドブロブ。千の昆布。海底に生える昆布の森。迷い込んできたものに巻きつき、海底に沈める。
凍り付いたサウザンドブロブは息絶えたかのように氷の水面の根元でパキリと折れて倒れてくる。
赤黒く長い緑の葉の表面には、ぷちぷちとした半透明の卵がびっしりとついていた。
「なんだよそれ気持ち悪い」
「これは昆布です」
「昆布ぅ? なんだそれ」
「海藻です。昆布はよいエキスが取れると聞いたことがあります。産みつけられているのはレモラの卵ですね……これは、きっとおいしいですよ!」
リゼットは馬の脂の塊をアイテム鞄の中から取り出し、深めのフライパンでそれを溶かして卵付きサウザンドブロブを揚げる。
素揚げにした卵付きサウザンドブロブをざくざくと一口大に切り、皿に盛りつける。
「いただきます」
最初はざくざくとした食感と油のうまみ、その後に昆布の旨味とレモラの卵のコクがやってくる。
「熱っ……うん、生よりこちらの方が食べやすい」
「ク、うめえ、酒が欲しい……」
卵付きサウザンドブロブの素揚げがあっという間に減っていく。
「もうないのかよ」
ディーが卵付きサウザンドブロブを探すが、レモラの卵付きは見つからない。
リゼットはただのサウザンドブロブを素揚げにした。
早速食べるとパリッ、パリッとした食感が楽しい。
「これもなかなか……」
いつまでも食べてしまいそうなほどに魅惑的だった。
すっかり満腹になり、心も身体も満たされて、寝袋を枕にして、ゆったりまったりと時を過ごす。
「おー……あそこに空があるぞ」
ディーの視線の先を追うと、天井の切れ目に星空が見えた。まるでそこだけダンジョンの天井が崩れているかのようだった。
「まあ……素敵な星空です……このダンジョンは幻想的ですね……」
「ああ、原初に近いな……」
「原初……?」
リゼットが言葉を繰り返すと、レオンハルトは続けた。
「世界の生まれた頃のような……ダンジョンは八割がこういう、文明的なもののない原初的なものらしい。発展していたノルンみたいな方が珍しい部類だ」
「そうだったんですね……」
ノルンほどに成長するダンジョンは少ないということだろうか。
「モンスターの多様性も空間の広さも、このダンジョンとは比べ物にならなかった。それだけダンジョンが育っていたということなのだろう」
「ではこのダンジョンもいずれあのように育つのでしょうか」
「可能性はあるけれど、多分無理だな。俺たちが攻略してしまうから」
「そうですね」
ダンジョンが成長すればやがて中のモンスターが外に出る。
そうさせないためにも、そしてここを脱出するためにもダンジョンを攻略しないといけない。
(底にはまた女神の聖遺物があるのでしょうか……)
もしあったとしても、これ以上取り込むつもりはない。リゼットの中にはノルンダンジョン領域にあった火の女神ルルドゥの聖遺物がある。これだけでもう充分過ぎた。
まずはダンジョンを攻略する。聖遺物を見つければ拾って地上に戻す。そして誰かに売る。完璧なプランだった。
リゼットは垣間見える夜空を眺めながら、自分の完璧なプランに微笑んだ。
(それにしても、何もする気が起きません……)
満腹で、さざ波の音が心地よくて。星空が綺麗で。
のんびり、ゆっくり、時間が流れていく。
(――はっ! これはもしや、レモラの遅延障害?)
あまりにものんびりし過ぎている。
取り付いたものの動きを鈍らせるというレモラ。食べた相手にもその効果を発揮する可能性はある。
「大変です……」
警戒心の強いレオンハルトとディーもリゼットと同じようにのんびりしてしまっている。
リゼットは危機感でなんとか身体を起こし、レモラの残っていた部分――切り落とした吸盤や骨を集めて水の中に捨てる。
あとは水の中の生き物たちが食べるだろう。
この「のんびり」も、消化が終われば解除されるはずだ。
そしてリゼットは再び寝袋を枕にして食休みに戻った。