202 教皇と聖女
アマスフィアの魔力は、いままで見てきた中でもっとも純粋で、強大だった。
それが強い風となってアマスフィアから発せられ、大聖堂を揺るがしている。
「自分が神にでもなったつもりか」
レオンハルトが怒りを込めて言い、ディーは辟易したように肩を竦める。
「ありゃいくら言っても聞きそうにねぇぞ……」
リゼットはユニコーンの角杖を握り、女神の依り代と化したアマスフィアと向き合った。
「そこを通させていただきます」
アマスフィアがふわりと手を振る。
優雅な動きと共に、黄金色の光の矢が生まれ、リゼットに向けて飛んでくる。
【聖盾】
レオンハルトが即座に矢を弾き飛ばす。
アマスフィアは動揺することなく再度手を振り、次の瞬間には光の矢が再び【聖盾】を貫こうとする。
しかし、レオンハルトの盾はどれだけ攻撃を受けても破れることはなかった。
リゼットは心強さを感じながら、アマスフィアを見つめる。
教皇は本気だ。彼女には彼女の信念がある。リゼットたちを消すことが、世界のためと信じている。
だが、リゼットも誰も傷つけさせるつもりはない。
手加減をする余裕はない。
【光魔法(神級)】
「――貫く!」
リゼットの光を、アマスフィアは周囲に浮かべた円盤状の防壁で防ぐ。
光を受けた防壁が弾け、消滅する。
次の一撃を放とうとした刹那、同じ円盤防壁がリゼットの目の前に現れ、中から手が伸びてくる。手のひらから魔力が生まれ、至近距離からリゼットを狙っていた。
しかしその手はディーの投げナイフに弾かれ、一瞬硬直して円盤の中に戻っていく。
次の瞬間、大聖堂に転がる瓦礫たちが浮かび上がった。
「死になさい」
「お断りします」
魔力を纏った瓦礫が一斉にリゼットに襲い掛かってくる。圧し潰し、すり潰そうと。
【聖盾】
魔力防壁に押し止められても、瓦礫はそれを破ろうと押し寄せ続ける。
「ストーンブレイク!!」
リゼットは瓦礫を粉々に砕く。
立ち昇る土埃の中で、アマスフィアの影が揺らめいた。
「あなたは自分がどれだけ恐ろしいことをしたのか、理解していない」
「私が考えていたのは、生き抜くことだけです」
「なんというエゴ……恐ろしいほどの身勝手……このようなものが、何故聖女に……」
嘆くアマスフィアに、ディーが冷たい視線を向ける。
「女神様がこいつがいいって言ったんだろ? 女神様が間違ったとでも言うのかよ?」
「神は間違えません」
はっきりきっぱりと言い切る。
「そう、何もかもが女神の意思――いまここで殺してしまうことが、神の導き――神の望み――」
アマスフィアの魔力が高まり、全身の聖遺物が淡い光を放っていく。
凄まじい魔力量だった。その姿が揺らいで見えるほどに、膨大な魔力が溢れてくる。
(教皇、あなたは多くの過去と使命を背負っているのでしょう)
だが、そんなことは知ったことではない。
リゼットは地面を強く踏みしめる。
(――私は、前に進む)
過去も使命も踏み越えて。
「消えなさい!!」
【火魔法(神級)】
「アルティメットブレイズ!!」
――空から降り注ぐ女神の炎が。
アマスフィアから生まれる魔力と衝突する。
膨大な魔力が衝突し、大聖堂が強烈な光と音に包まれる。
ふたつの魔力が打ち消し合い、激しい風が吹き荒れる中、リゼットはしっかりと立つ。
風が弱まる中で見えたのは、衝撃に耐えきれずに倒れたアマスフィアの姿だった。
取り込んでいた多くの聖遺物が、散り散りになって消えていく。世界へ溶けていく。
「……私は……秩序を守らなければ……」
聖遺物を失い、ひどく消耗しながらも、アマスフィアの心は折れていなかった。
よろめきながらも信念で立ち上がり、再び戦いの構えを取ろうとしている。
「これ以上の戦いは無意味です。そこを通してください」
「誰に許されなくても。私たちは、未来へ進みます」
「そんな未来を許すはずが――……」
その目には焦燥感と執念、そして長い年月で積み重なった歴史の澱が宿っている。
「教皇様――もうおやめください」
ユドミラがアマスフィアを後ろから抱きかかえる。小さな身体を包み込むように。
「離しなさい……」
アマスフィアはその手を振り払おうとするが、弱々しい腕ではユドミラの懇願を跳ねのけることができていなかった。しかしその瞳にはいまだに闘志が宿り、頑として譲ろうとしない。
――その時、穴の中からふわふわと灰色の髪が浮かび上がってくる。
ダンジョンから抜け出してきたウルファネ・アスライは天を見上げ、柔らかな笑みを浮かべた。
「……ああ、とても懐かしい空気だ……」
「――ウルファネ……」
ウルファネの宵闇のような瞳が、慈しみを持ってアマスフィアに向けられる。
「アマスフィア、その辺にしておいた方がいい」
「……どういうつもりですか、ウルファネ」
「僕たちはようやく解放されるんだ」
「そんなこと望んでいない!」
怒りと悲しみがこもった声が響く。
「導きを失って、灯火を失って……世界は――身共はこれからどうすればいいのです!」
「相変わらず過保護だな。制御できる時代は終わった。それでいいじゃないか」
「秩序のない世界など、獣の世と同じ。世界がそのように堕ちていいはずがない! この世界は、完璧でなくてはならないのに!」
悲痛な叫びを上げながら、アマスフィアは魔法を使おうとする。しかし魔法は形にはならず、アマスフィアは苦しそうに顔を顰め、自分の震える身体を抱えた。
ウルファネはアマスフィアの前に歩み寄り、静かに小さな姿を見つめる。
「アマスフィア。完璧な世界はいずれ滅びるものだ。そうしてまた、新しい世界が生まれ、新しい時代がやってくる」
「認めない……認められない……」
「未来へ進むものたちを、過去に囚われたものが止められるわけがないんだ」
アマスフィアはぐっと奥歯を噛みしめ、ウルファネを睨み上げる。
「ウルファネ――あなたは耐えられるのですか? 私たちの存在意義が消えてしまうのに!」
「アマスフィア。僕たちの役目はもう終わりだよ」
「許せない……認められない……この大地は私たちのものなのに……」
ぼろぼろの身体で、とめどなく涙を流して首を横に振る。
「――おかわいそうな教皇様。妄執に取りつかれた哀れなひと」
ブローケの憐みの声が静かに響く。
ブローケはゆっくりと、一歩ずつ、アマスフィアに近づいていく。神聖な儀式のように。
何故か誰もそれを止めようとはしなかった。
「あたしが全部忘れさせてあげる」
ブローケの瞳がアマスフィアの瞳を覗き込む。
次の瞬間、アマスフィアの焦点がぼやけ、眠るように瞼が閉じられる。
かくん、と一度だけ首が揺れ、それに驚いたように再び顔が上がる。
その瞳は先程までの冷徹さや老練さが消えていた。
そこにあったのは、無垢な少女の眼差しだった。
「ここは……?」
響いた声はあどけなく、まるで別人のようだった。
少女は心細そうに視線を泳がせ、目の前のブローケから、ウルファネから目を逸らし、じわりと涙を滲ませた。
「あなたたちは誰? ……お母様、どこへいったの……?」
震えるアマスフィアの身体を、ユドミラがぎゅっと抱きしめる。
振り返ったアマスフィアは、ユドミラの姿を見て安心したような笑みを浮かべた。
「……ユドミラ!」
無垢な笑顔でユドミラに抱きつく。
ずっと探していた家族と再会したように喜んで。





