表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

192/197

192 ドラゴンステーキ





「レオン……?」


 何を言っているのか理解できず、リゼットはレオンハルトの顔を見つめた。


「心配な気持ちはわかる。だが、戻るにしても地図がない。どう考えても時間がかかる」


 地図はディーが持っている。

 複雑な迷宮がいくつもあるダンジョンを、地図なしで戻るのは、多大な時間を要するだろう。


「このまま行けるところまで行くべきだ」

「…………」


 レオンハルトの言うことももっともだ。

 どちらが正解だなんてない。正解が何なのか、わかるはずもない。

 リゼットたちに許されているのは、選択だけだ。正解のわからない選択。


 しかしリゼットは、すぐには選択できなかった。

 何を選び、何を諦めるか。状況における最善がわからない。


(――違う、わかっている)


 するべきことは一つだ。

 それを選択する勇気が、出ない。胸が苦しい。息が詰まる。指先が震える。

 膝から崩れ落ちてしまいそうなのを、なんとか留める。


 ――前に進むべきだ。それしかない。

 それしかないのに、動けない。

 足が凍り付いてしまったかのように、進めない。


 前へ進むことへの恐怖のせいか。

 己の未熟さで仲間を失った罪悪感のせいか。


 動けないリゼットに、レオンハルトの声が降ってくる。


「――リゼット。聖遺物を渡してほしい」

「え?」


 レオンハルトの言葉の意味がわからず、リゼットは顔を上げた。

 金色を帯びたエメラルドグリーンの瞳が、まっすぐにリゼットを見ていた。


「俺が下に行ってくる。自分がするべきことをして、必ず戻ってくる」

「――――ッ」


 レオンハルトはひとりで行くつもりだ。『母神の右手』を持って、巨人の元まで。ひとりで。


「――だ……ダメです! 絶対にダメです! 何を考えているんですか!」


 リゼットは声を張り上げて反対するが、レオンハルトの決意に変わりはない。

 本当に、本気なのだ。


「それなら私が一人で行きます!」

「なっ……それこそダメだ!」

「そもそもこれは私がするべきことです。私が一人で行くべきなんです!」

「君が一人で背負うことなんてない! 世界すべてに影響があることなら尚更だ!」

「だからってレオン一人に行かせられません!」


 リゼットの声は困惑と恐怖で揺れていた。


「私……」


 目許が熱い。流れ落ちる涙が頬を濡らしていく。


「レオンにまで何かあったら、私……」

「リゼット……俺は、死ぬつもりはない。必ず戻ってくる」


 レオンハルトの声は柔らかく、しかし揺るぎない決意を感じさせる。

 リゼットは駄々をこねる子どものように、首を横に振った。


「――ひとりに、しないで……ください……」

「リゼット……」


 レオンハルトはとても困ったようにリゼットの名前を呼び、押し黙った。


 リゼットも、どうしたらいいかわからなかった。

 ただ、レオンハルトを一人で行かせることは絶対にできない。


 静かな空間に重い沈黙が広がる。

 エンシェントドラゴンの焼け焦げた匂いだけが漂っていた。


「ステーキ……」


 レオンハルトの呟きに、リゼットの涙が一瞬止まる。


「ステーキ……?」


 場に相応しくない言葉に驚いて顔を上げると、真剣な眼差しと目が合う。


「そうだ、ドラゴンステーキを食べよう!」


 力強い言葉と共に、レオンハルトはエンシェントドラゴンの肉を切り出しに向かう。

 リゼットは呆気に取られながらも、調理用の火をおこす。ステーキには火力が不可欠だ。


「いい肉が取れた」


 満足そうに言う血まみれのレオンハルトと肉に、リゼットは浄化魔法をかける。


 レオンハルトの切り出してきた肉は、きれいな赤身肉だ。それを程度な厚みと大きさに切り分けて、塩と香辛料をふりかけていく。

 透明な塩が、肉の表面に美しく煌めいた。


 充分に熱されているフライパンに肉が触れると、鋭い音が上がる。

 水分が蒸発する音が広がり、立ち上る湯気と共に、香ばしい匂いが漂ってくる。

 リゼットも食欲が刺激されるとともに、安堵感を覚えていった。料理中の熱は、身体の奥まで染み渡っていく。


「できた……エンシェントドラゴンステーキだ」


 レオンハルトは自信に満ちた表情で、エンシェントドラゴンのステーキをリゼットに渡した。

 金色に焼けたステーキは、特別な輝きと芳香を放っている。


「あ、ありがとうございます……」


 ナイフで一口大に切り分けると、内側から透明な肉汁が溢れ出す。

 柔らかい肉を口に入れ、噛み締める。

 噛めば噛むほど甘い肉汁が、豊潤な味が口中に広がっていく。それが香辛料と塩と合わさって、極上の風味を奏でる。


 それはまさしく、幸せの味だった。


「とてもおいしいです」

「よかった」


 レオンハルトは安堵したように笑い、自分も食べ始めた。


 しばらく二人でステーキを食べる。

 飲み込むたびに、力と勇気が湧いてくる気がした。エンシェントドラゴンが、血肉になっていく。


「ご馳走様でした」


 完食したころには、心も身体も完全に満たされて、恐怖も寂しさも感じなかった。


「レオン、ありがとうございます。元気づけようとしてくれたんですよね」

「俺は……君の、食べている顔も好きだから」


 視線をそらすレオンハルトの表情からは、微かな照れが感じられた。


「私もです。レオンとディーの食べている顔を見るのが好きです」


 食べることも、食べている姿を見るのも好きだ。だから、料理が好きだ。

 食べることは生きることであり、料理は生きるための行為だ。

 美味しく、楽しく、生きたい。死と隣り合わせのダンジョンの中でも。ダンジョンの中だからこそ。


 ――生きたい。

 生きていきたい。


 純粋な願いが胸に生まれる。


「……私、最後はひとりで行くつもりでした」


 それはまぎれもない本心だった。

 だが、無理だ。無理なことを認め、伝える。


「レオン、一緒に来てもらえますか?」

「――リゼット、俺は……女神にも、世界にも、誰にも――君を渡すつもりはない。相手が誰であろうと」


 レオンハルトの言葉がリゼットの心を満たす。その声は優しく、力強く、暗闇を照らす光のようだ。


「ありがとうございます。たくさんエンシェントドラゴンの肉を持っていきましょう。全部終わったら、皆でドラゴンステーキを食べるんです」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ