191 エンシェントドラゴン
塔の探索を終え、下に降りていく。
アラクネがいなくなったからか、鐘の音はもう聞こえない。
塔の区画から元の場所に戻り、暗く広い神殿内を更に奥へ進んでいく。
モンスターに遭遇することもなく、やがて大きな扉の前に辿り着く。
重々しく立ちはだかる大きな扉の向こうからは、微かな気配と何かが動く音が聞こえてくる。
「……鍵はかかってねーな。にしても、いかにもって感じだな」
ディーが皮肉な笑みを浮かべ呟く。
「巨大なドラゴンがいそうですね」
「楽しそうに言うことじゃねーよ……」
「――慎重にいこう。扉を開けたまま中の様子を確認して、対策を立ててから挑もう」
レオンハルトがゆっくりと扉を開ける。
扉が開くと、内部は想像以上に広い空間が広がっていた。淡い光を放ち、まるで神殿の祈りの場のようだ。
中央手前には大きな祭壇が設けられ、その後ろにはドラゴンが寝ていた。鱗は深い緑色で、寝息をたてるごとに輝きを放っている。
【鑑定】エンシェントドラゴン。時の始まりから存在している古代竜。強大な魔法を使う。
――パタン。
レオンハルトが静かに扉を閉じた。その顔色は、さきほどまでの冷静さを失っていた。
「まさか、エンシェントドラゴンがいるなんて……」
「よくわかんねーけど、どー考えてもヤバいぞ……なんつーか、格が違う」
リゼットも同じ気持ちを抱いていた。
エンシェントドラゴンは、いままでのモンスターたちとは別格だ。壮大さも、存在感も。眼に宿る深い知性も。
竜を信仰する気持ちがよくわかる。あれは神と同格の存在だ。見ただけで心をつかまれ、思考が停止してしまった。
そんな相手と戦おうと考える時点で、高慢なのだろう。
リゼットは考える。前に進むべきか、引き返すべきか。
「いっそ一回戻るか?」
ディーの提案に、リゼットもレオンハルトも黙る。
その選択肢もありかもしれない。
だが、戻って、ダンジョンからなんとか脱出して、大聖堂――女神教会からも逃げ出して。
――それからは?
きっと、女神教会に追われる日々が続く。
教祖アマスフィアは、『母神の右手』の継承を第一に考えるだろう。どんな手を使っても諦めないだろう。それが世界のためだと信じているから。
――そしてリゼットも。
聖女の器を持って生まれたからか。女神たちを体内に取り込んでいるからか。
このまま投げ出すことはできない。
もし自分のせいで、世界が滅びるようなことが起きてしまったら。
(死んでほしくない……)
――そう。怖いのは、自分が死ぬことではない。
恐怖に囚われて動けなくなってしまうこと。
そして大切な人たちを失うことだ。
「私が様子を見てきます。神には神で対抗してみせます」
冗談めかして笑いながらも、本気で言う。
「おふたりは安全な場所に」
行こうとするリゼットの腕を、レオンハルトが引き留める。
「君を一人で行かせはしない。俺が、二人を守る」
「オレには期待すんなよ」
ディーは冷や汗をかきながらも、投げナイフと弓の調子を確かめている。
「でも、危険です」
「危険だからこそ一人で行かせられない」
「単独行動しようとすんなよ。ま、突っ走っていかねえだけ成長したよな」
扉を開けて中に入ると、エンシェントドラゴンはゆっくりと目覚めて身体を起こした。
深い緑の鱗は、長い歴史を刻んでいる。
金色の眼の中には、時空を超越した意思を感じさせた。
挨拶代わりとばかりに大きな口が開き、灼熱のブレスが吐き出された。
【聖盾】
レオンハルトの魔力防壁がブレスを受け止める。
火の襲撃も熱さもすべてを弾く盾は、力強くその立ち位置を保っている。
エンシェントドラゴンの攻撃はそれだけでは終わらない。巨大な尾が地面を滑るように動き、すべてを薙ぎ払おうとする。
【火魔法(神級)】
「ブレイズランス!」
リゼットの魔法で神炎の槍が巨大な尾を焼き切る。
だがエンシェントドラゴンは一瞬巨体を震わせるのみで、動きは止まらない。
エンシェントドラゴンの鱗から、いくつも光球が浮かび上がる。
純粋な魔力の塊であるそれは、凄まじい熱量を内包していた。太陽のように白く光るそれらから、次々と光線が繰り出された。
【聖盾】
研ぎ澄まされた力は、強力な魔力防壁をも貫いた。
光線の一つが、リゼットの目の前に迫る。
(――あ……)
――死ぬ間際、というのはあらゆるものがゆっくりと見える。そのことをリゼットは思い出した。思考は動けども、身体の動きは遅いままだということも。
(――大丈夫。復活できる)
レオンハルトの蘇生魔法もある。死亡時に復活アイテムもある。
死んでも終わりではない。仲間は迷惑をかけるだろうが。
「――退け!」
刹那、ディーがリゼットを突き飛ばす。
強大な光はディーの身体を貫き、血しぶきが飛び散った。
「ディー!」
頭の中が真っ白になる。
白い光景の中で、リゼットは激しい怒りと喪失感を覚えた。
――燃えろ。
燃えろ。燃えろ。燃えろ。
魂まで燃やし尽くせ。
【火魔法(神級)】
「ブレイズランス!」
神炎の槍がエンシェントドラゴンを突き刺そうとする。
しかし鱗に弾かれ、炎はエンシェントドラゴンの周りを滑るように拡散し、消滅した。
強固な鱗が、分厚い岩盤のようにエンシェントドラゴンを守っている。
ならば――
【水魔法(神級)】【敵味方識別】
「アルカヘスト」
すべてを溶かす溶解液――幼い日、祖父から聞いた伝承をイメージし、魔法と化す。
銀色に輝く水が、エンシェントドラゴンの鱗をも溶かし落とす。
――一閃。
レオンハルトの黒剣が、防御力の下がったエンシェントドラゴンの皮膚を斬る。
ドラゴンの弱点である首の逆鱗ごと。
赤い血が噴き出し、レオンハルトの全身を覆った。
巨体から力が失われ、轟音と共に崩れ落ちる。そしてそのまま動かなくなった。
レオンハルトは血を浴びた姿のまま、すぐにディーのところに戻り回復魔法をかける。
だが、回復魔法が深い傷に間に合うことはなく、ほどなくディーの命が尽きた。
レオンハルトは間を置かず、蘇生魔法を使った。
――いつもなら、流れ出ていた血が戻り、息を吹き返す。だが、蘇生魔法を受けてもディーの目は閉じられたままで、息は絶えたままだった。
「――蘇生失敗だ……」
レオンハルトの肩はひどく震えていた。
――蘇生魔法は成功率が低いと、レオンハルトはいままで何度も言っていた。
「すまない……」
「いえ、レオンは充分にやってくれました。充分すぎるほどです。私が鈍いから……」
――刹那、ディーの身体が光る。
死体は白い光の柱となって、天井を貫いて消える。
――所持していた復活アイテム『身代わりの心臓』の効果だ。いまごろ出口付近にまで戻っているはずた。
「レオン、私たちも最初の地点に戻りましょう。いまの私の風魔法なら、浮かび上がることもきっとできます。最初の場所に戻って、ディーと合流して、天井を破壊して穴を開けて、このダンジョンから一度出ましょう」
いま考えられるのはそれだけだ。
「このダンジョン、帰還ゲートが出てきませんから階段のところまで戻らないといけませんね」
「――待ってくれ、リゼット」
来た道を戻ろうとしたリゼットを、レオンハルトの声が引き留める。
振り返ると、レオンハルトの真剣な表情がそこにあった。
「俺は、このまま前に進むべきだと思う」