188 雨と炎
「火と水だけ用意しますね」
料理のための火と、スープのための水だけ魔法で用意して、リゼットは再び休んだ。
「オレもなんか手伝うか?」
「いや、これぐらいなら俺だけで大丈夫だ」
レオンハルトはそう言って、ブローケたちからもらった野菜とルフ鳥の肉を小さく切って、軽く炒めていく。水を入れて煮込んで灰汁を取り、塩で味を調える。
やがて、おいしそうな香りが広がり始め、リゼットは香りに誘われるように起き上がる。
「おいしい……ほっとする味です」
器に盛られた湯気の立つスープを一口飲み、ほっと息を吐く。
野菜と肉から引き出された旨味、ほのかな甘さと苦さが口の中に広がり、そのあたたかさが身体に染み渡っていく。
――食べている瞬間が一番、生きている喜びと実感が持てる。
「にしても、お前がワイバーンに連れていかれたときは流石に肝冷やしたぜ」
「はい。巣に連れて行かれそうになったときは、私もびっくりしました。卵が獲れるかと思ったら、雛になっていて」
「そこじゃねぇだろ」
呆れ顔のディーに、リゼットは苦笑する。
「おふたりは、ここまで無事だったんですか?」
「ああ。あのドラゴンスタチューは予備動作が大きいし、動きが単調だ。回避して石にぶつけたり、弱いところを砕けばなんとかなる」
「さすがですね。私には絶対に無理です……」
動きを見切ったとしても、身体が付いていかない。
リゼットは素直に賞賛するが、レオンハルトは浮かない顔だった。
「すまない。ドラゴンスタチューに気を取られて、ワイバーンに気づくのが遅れた」
「いえ、私もドラゴンスタチューを壊すのに夢中になりすぎていました。それにしても、このスープとても美味しいです」
シンプルなスープは、とてもやさしい味がする。
食べやすいように小さく切られた具材にも、丁寧に火を通されて、灰汁を取られた澄んだ味にも。レオンハルトの気遣いを感じる。
それが嬉しい。
「オレはちょっと物足んねぇ」
「なんでも食べればいいだろう。保存食も食材も充分ある」
「へいへい」
遠慮のないやり取りを交わしながら、ディーはアイテム鞄の中からルフ鳥の串焼きを取り出して食べ始める。
「ふふ、なんだか元気が出てきました」
「ホント無理すんなよ。誰かが無理とか無茶とかしたら、全員危ねぇんだからな」
「はい。無理はしませんが……ワイバーンを食べる機会を逃してしまったのは残念です」
「懲りねぇやつ……」
ゆっくりとスープを食べている間に、風が強まり、空が徐々に暗くなってくる。
顔を上げると、灰色の雲が空を覆いつくしていて、遠くから雷鳴が聞こえてきた。
やがて、雨粒が地面を打ち始めた。土の匂いが立ち、雨音に包まれる。
「あそこでしばらく休もう」
石柱が何本も立ち、屋根がある場所に移動する。
そのうちに夜が訪れ、闇が世界を包み込む。寝袋を敷いて就寝の準備を整え、順番に睡眠を取る。交替で寝ずの番をして、ダンジョンでの夜を過ごした。
一度目の寝ずの番――夜の中で振り続ける雨を眺めながら、リゼットはぽつりと呟いた。
「ルルドゥ、起きていますか?」
声に反応するかのように、髪の一房が赤く燃える。
その炎が大きく膨らみ、リゼットの前に赤く燃える少女――火の女神ルルドゥが姿を現す。
『…………』
無言でリゼットを見つめるルルドゥに、リゼットは微笑みかけた。
「私を止めてくださって、ありがとうございます」
ワイバーンの毒のせいか、弱ったせいか、リゼットは朦朧としながら旅を終わらせようとしてしまった。
それを止めてくれたのはルルドゥだ。
リゼットは感謝していたが、同時に不思議な気持ちを抱いていた。
ルルドゥは女神。世界の秩序を保つ側だ。ルルドゥからすれば、リゼットが聖遺物を取り込んで世界に身を投じた方が良いはずだ。
『確かに、それが最良だったのであろうな』
心を読んだのか、それとも表情から読み取ったのか、ルルドゥはリゼットの考えを肯定するように言う。
燃える赤い瞳が、リゼットに向けられる。
『だが、我は。お主が、望まぬことをするのは腹が立つ』
「まあ……そうだったんですね」
『何を笑っておる』
ルルドゥの炎がぼっと強まる。
怒っているのか、照れているのか。表情からは後者に思えた。
『我が見込んだのは、お主の強欲さだ。簡単に流されるでないぞ』
「……ありがとうございます、ルルドゥ。優しいんですね」
『ふん』
ルルドゥはぷいっと顔を背けて、ひときわ明るい炎を燃やして姿を消した。――否、戻った。リゼットの中に。
リゼットが明るく燃える髪の一房を撫でると、炎も落ち着き、元の髪に戻っていった。リゼットはその場所を何度も撫でながら、雨の降り続く空を――その上にある地上を――更に上に存在する天空を見つめる。
(……簡単にあきらめる気はありません)
自分の命も、大切な人たちの命も、未来も。
どれも諦めるつもりはない。
だが、優先順位は付けておかないといけない。いざというとき、間違えないように。
(ああ……なんだか、凝ったものを作りたい気分です……アウルベア肉を使って、何か……)
朝が来たら、食事を作ろう。元気が出るものを。
リゼットの二度目の寝ずの番の途中で、雨が上がり、夜が明けてくる。
爽やかな光が周囲を照らす中、リゼットは食材をチェックしていく。そして二種類の小麦粉とバター、塩を取り出し、アウルベアと野菜、赤ワインを揃える。
(アウルベア肉のパイ包み焼きにしましょう……!)
アウルベア肉と野菜を一緒に煮込んでシチューをつくり、シチューと一緒にパイ生地で包んで焼くことにする。
まずは鍋にバターを溶かし、アウルベア肉を炒める。全面に焼き色がついたら一旦取り出し、同じ鍋で玉ねぎ、にんじん、他に野菜を色々と加えて、柔らかくなるまで炒め続けた。
小麦粉を加えてさらに炒め、全体がよく混ざったら水とレッドワインを加える。肉と香草を入れて弱火で煮込む。
次はパイ生地作り。
まずは小麦粉に塩を入れてよく混ぜ合わせ、冷やしたバターを小さく切って、小麦粉とすり合わせるように混ぜる。
冷たい水を少しずつ加えながら、生地がまとまるまで混ぜ、一つにまとまったら濡れ布巾で包んで休ませる。
肉を煮込んでいる鍋も火から下ろして、塩と香辛料で味を調えてから冷ましていく。
(器にシチューを入れて、パイ生地で蓋をして、包み込むように焼いて……)
そうしているうちに、レオンハルトとディーも起き出してくる。
「いい匂いがするな……」
「なんかすげー手の込んだもん作ってねぇか?」
「おはようございます、ふたりとも。これから最後の仕上げですから、もう少し待って――」
その時、レオンハルトの雰囲気が険しくなる。モンスターの気配を察知したときの表情だ。
剣を手に、立ち並ぶ石柱の内の一本を見つめる。
そこから、ひょこっと小さな人影が顔を出した。
「子ども……? まあ、なんて可愛らしい……」
現れたのはレオンハルトそっくりの子どもだった。金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。あどけないながらも、利発そうな表情。
その子どもはレオンハルトをまっすぐに見上げ、太陽のような笑顔を浮かべた。
「父上!」
――空気が凍った音がした。