185 ルフ鳥パーティ
穏やかな風と共に、ダンジョンの夜が明けていく。
紺碧の空は青く澄み渡っていき、光が地上を照らしていく。
解体を進めていると、丘の上に人影が見えた。
ブローケたちは解体中のルフ鳥とリゼットたちを見て、足を止め、ただただ圧倒されていた。
リゼットは声を張り上げる。
「ブローケさん、手伝っていただけますか。あまりにも大きすぎて、私たちでは解体も食べるのも間に合いません」
ブローケは困ったように笑い、くしゃりと前髪を乱した。
「君には本当に敵わないよ」
呟いて、丘を下りてくる。
巨大なルフ鳥をしげしげと見つめながら。
「こーんな怖いモンスターを躊躇なく食べようとするんだから、すごいね」
「恐ろしいモンスターが生きる糧になる。これもモンスター料理の醍醐味です」
そうしているうちに集落の人々もやってきたので、皆で解体を進めていく。さすがに手慣れたものだった。あっという間に解体が進んでいく。
「先に料理しといていい?」
ブローケに聞かれ、リゼットは大きく頷いた。
「はい、もちろん。人数がいてよかったです。こんな大きな恵みを、私たちだけでは食べ切れませんものね」
「呑気なやつ……何されかけたか忘れてんのか?」
ディーの問いに、リゼットは静かに頷いた。
「皆、生きることに必死なんです。私だって、生きるためになら何をするかわかりません」
「――ダンジョンは弱肉強食、か」
ある程度解体を終わらせてから集落に戻ると、中心ではすでに大きな炎が燃え上がっていて、その周囲にはルフ鳥の肉が串に刺されて焼かれていた。
他の場所の大鍋には、切り分けられたルフ鳥の肉と、新鮮な野菜が一緒に煮込まれていた。
料理と煙のにおいが充満する中を、リゼットは頬を緩めながら歩く。
「どの料理もとってもおいしそうです」
「ホント、あんな大きいのがこんなにおいしいなんてね」
香ばしい匂いが近くで漂ったかと思うと、串焼きを食べているブローケが近づいてくる。
「みんな、おいしいおいしいって言ってるよ。ほら、食べてみて」
ブローケから手渡されたのは、長い串に刺さったルフ鳥の肉だった。
レオンハルトとディーにも渡される。
ルフ鳥の串焼きを食べてみる。
外側は焼き色がついてパリッとしていて、内側は火が通っているのにとても柔らかい。酢と砂糖と油が混ざったマリネ液で一度漬けられているのだろう。甘みと酸味が、豊かな肉汁と一緒に口に広がる。
「おいしい……」
「でしょ?」
「本当においしい……ブローケさん、ありがとうございます」
「大げさだなぁ。調子狂っちゃうよ……」
ブローケは困り顔で串焼きともぐもぐと食べる。どこか嬉しそうで、どこか居心地の悪そうな、複雑な表情で。
「そうだ、ブローケさん。これを見ていただけますか」
リゼットはエルテリアから預かった、金細工に小さな緑の宝石がついたイヤリングを取り出した。それを見たブローケの表情が変わる。
「これは、もしかして、エルテリアの……」
「やっぱり。エルテリアさんから、渡すようにと頼まれたんです。きっと、あなたにだと思います。どうぞ」
「…………」
イヤリングを受け取ったブローケは、深い悲しみと寂しさが混ざった眼差しでそれを見つめる。
「ルフ鳥を吹き飛ばすとき、あんなに強い魔法が使えたのはきっと、エルテリアさんのおかげです」
先ほど身分証カードのスキル欄を確認してみたが、リゼットの風魔法は【中級】だった。一時的に【神級】まで成長したのは、エルテリアの助力としか考えられない。
「そっか……あたしまた、エルテリアに助けられたんだ」
イヤリングを握りしめ、顔を上げる。
「もちろん君たちにもね。ありがとう」
涙の滲んだ、明るい笑顔だった。
ブローケはイヤリングを自分の耳につける。最初から彼女のものだったかのように、よく似合っていた。
ブローケは草原を見つめる。
「――エルテリアとは、このダンジョンで出会ったんだ。あたしは盗みで捕まって、罪人用の穴からここに放り込まれて。エルテリアは聖遺物を持って下りてきていて――一緒に、ダンジョン探索した」
目を細め、大切な思い出を懐かしそうに語る。
「モンスターの肉を焼いて食べながら、ここまで潜った。ここでは同じように、運よく生き残った人たちが暮らしてたから、エルテリアはここにあたしを置いて、ひとりで進んでいっちゃった……ひどいことするよねぇ」
ぐっと息を詰まらせる。
泣くのを我慢している子どものように、リゼットには映った。
そしてリゼットは、置いていった側であるエルテリアの気持ちがよくわかってしまった。
「……ずっとエルテリアを待っていたから、あたしもどこにも行けなくて……皆、やさしかったし……」
力なく笑い、胸の痛みに耐えるように、ぐっと拳を握りしめる。
リゼットは何も言えなかった。胸が詰まって、言葉が喉につかえて。
「――でも皆、段々と壊れていくんだ。長い年月で、壊れていっちゃう。あたしは、そういう人たちの記憶を奪った。皆で、生きるために」
「…………」
「君を見たとき、やっと実感したんだ。ああ、エルテリアは世界を守って、生きて、死んだんだなぁ……って」
空を仰いだブローケの髪を、優しい風が揺らした。
エルテリアの魂が乗っているかのような穏やかな風だった。
「そう思うと、すごくやるせなくて。女神教会に復讐したい気持ちとかでもぐちゃぐちゃで……本当に、悪いことをしたよね。ごめんなさい」
振り返り、誠実な謝罪と共に頭を下げる。
「ブローケさん。私は、私にできることをやりきって、また戻ってきます。そのときは皆で地上を目指しましょう」
リゼットが言うと、ブローケは顔を上げる。
「――うん。リゼット、あたしもやるべきことをやるよ。エルテリアに、君に、笑われないように」
その笑顔は涙に濡れていたが、清々しかった。
「それと、もうひとつ、お願いがあるのですが」
「ん?」
「お野菜を少し頂いていってもいいでしょうか?」
「あはは、もちろん! 好きなだけ持って行ってよ!」
新鮮な野菜をたくさんもらって、集落から旅立つ。次の階層への階段を探して、丘を越えて歩いていく。
「何とかなってよかったぜ。記憶がないってときはマジでちょっとビビったからな」
集落から離れたところで、ディーがほっと息をつく。
「とても新鮮な体験でした」
「そんな一言で済ませていいやつじゃねーだろ。あいつらは気の毒だと思うけどよ。でもやっぱ、気分はよくねーな」
「でも、記憶は戻ってきましたし。それに……」
――わかってしまった。
置いていかれてしまった人々の苦しみが。悲しみが。
リゼットは、いよいよという時が来れば、自分が犠牲になればいいと思っていた。
運命を受け入れればいい、と。
だが、いまはどうしても地上に戻らなければならないと、強く思う。
仲間と共に。そしてブローケたちと共に。
そうしなければならない。ダンジョンの中に、彼らを置いていくことはできない。
「それに?」
「おいしいモンスター料理をたくさん食べさせてもらいましたし。レオンはどうでしたか?」
「……そうだな。すごく落ち着かなかったな」
「普通はそうだろ」
レオンハルトは苦笑し、それ以上は言わなかった。
「やっぱり、書き留めておくのは大事ですね。今回はこのモンスター料理帳に助けられました」
そして、宝物にしているあの紙に。
昔レオンハルトに頼んで、国の言葉で名前を書いてもらった紙だ。
名前と人柄がわかっていたから、お互いに記憶のない状態でも協力できた。
「オレが寝てる間、マジで何があったんだよ……」
「私は地下倉庫に閉じ込められていました」
「楽しそうに言うことじゃねーからな?」
呆れたようにぼやく。
「レオンはどうでした?」
「聞くなよ。冒険者の情けだ」
ディーがわかった風に言う。
「聞かれて困るようなことはしていない!」
何故か怒るレオンハルトが怒る。
「では何を?」
問いかけると、レオンハルトは目を逸らした。
「いや……それは、ノーコメントで……でも本当に、聞かれて困るようなことはしていない」
「そうですか?」
「そう。ああほら、階段だ。早く次へ行こう」
次の階層への階段に向かう背中を見ながら、リゼットは少しだけ複雑な気持ちになった。
いったい何があったのだろう。
気にはなかったが、あまりに気にしすぎないことにする。
世の中にはきっと、知らなくてもいいことがある。