184 空覆うルフ鳥
ウルファネは天空にルフ鳥を従え、ブローケを見下ろしながら告げる。
「無聊を慰めてくれたお礼だよ。いますぐ女王たちの記憶を返すんだ。そうしなければ、ルフ鳥に君たちを食べさせる。そしてこの階層を更地にしよう。作り直しだ」
その声には逆らうことを許さない力が込められていた。
歯ぎしりしてウルファネを睨むブローケの後ろから、女性の戦士たちが咆哮を上げてウルファネに突進していく。
「――やめて!」
ブローケの悲痛な絶叫が響く。
彼女たちの武器はウルファネに届くことなくすべて砕け、女性たちは意識を失ったようにその場に倒れた。深く安らかな眠りが、ウルファネを守っていた戦士たちに広がっていく。次々と、深い眠りに落ちていく。
「やめてったら!!」
ブローケが悲痛な声で叫ぶ。
――その瞬間、リゼットの頭の奥に火花が散った。熱い痛みと共に、かつての自分、罪人としての日々、家族の記憶、ダンジョンの記憶、仲間との思い出、戦いと勝利の記憶、モンスターの記憶、自分でつくった料理の味――かけがえのないものたちが、花開き、蘇る。
「……思い出しました。たぶん、全部」
顔を上げ、自然とレオンハルトと顔を見合わせる。
視線の中に通じるものを感じ、リゼットは安堵した。
――覚えている。
この信頼感と、安心感。仲間となら、どこまでも突き進んでいけるという気持ち。
ちゃんと、思い出した。
「ほら、返したよ。だからもう消えて」
「――返せば攻撃しないなんて、一言も言っていない」
ウルファネがブローケを見る表情は、価値を失ったものを見る無感情なものだった。
空を覆うルフ鳥が、鳴く。
【鑑定】ルフ鳥。天を覆うほど巨大な鳥。大型動物を捕食する。
その鳴き声と羽ばたく音は、まるで世界そのものの胎動のように地面を揺らす。
大きく上空を回り、一瞬だけ星空が垣間見える。
鋭い眼が光り、集落に向けて滑空を開始した。
【聖盾】
レオンハルトの魔力防壁が、世界すら呑み込む嵐のような襲撃を跳ね返す。
その衝撃で、ルフ鳥の身体がよろめいた。
【火魔法神級】
「ブレイズランス!!」
リゼットの生み出した神炎の槍が、巨大な身体に容易に突き刺さる。
業火は瞬く間にルフ鳥を焼いた。翼の表面に油でも浮いているのかという燃焼スピードだった。
炎の中でルフ鳥が悲鳴を上げながら羽ばたいて逃げようとする。焼け落ちる羽根が、炎の雨のように降り注いだ。
ルフ鳥はあっという間に事切れて、巨体が空からゆっくりと落ちてくる。
(このままだと――)
集落の上に、焼けたルフ鳥が落ちてしまう。そうすれば何もかも押し潰され、残ったものも焼かれて消えてしまうだろう。
【風魔法(初級)】
「ストームブレイカー!」
リゼットはいまの自分ができる最大威力の暴風で、落ちてくるルフ鳥を遠くへ飛ばそうとする。
風に押し流されてわずかに軌道が逸れていくが、このままでは全然足りない。
(もっと――)
もっと強い力を。
【魔力操作】
更に風が強まるが、まだ足りない。もっと遠くへ飛ばさなければ。
(もっと、もっと、もっと――)
焦るリゼットの手に、そっと細い指が触れる。
【魔力操作】【魔力操作】【魔力操作】】
【風魔法(中級)】【風魔法(上級)】【風魔法(超級)】
スキルが一瞬で有り得ないほど強化される。
自分の力ではない。これは――
(エルテリアさん――)
感じる。彼女の力が流れ込んでくるのを。
【魔力操作】【風魔法(神級)】
「貫け!!」
エルテリアの助力によって作られた風の刃は、ルフ鳥の首を飛ばし、頭を遥か彼方へ吹き飛ばした。
残った燃え盛る巨体は風に押し流されて、丘の向こうへ落ちていった。
炎の光が、夜明けのように空を赤く燃やしていた。
リゼットは風の余韻が吹き荒れる中、振り返る。静けさの中で夜が明けていき、眠らされていた女性たちも起き上がっていく。
そこにはエルテリアは存在せず、ウルファネもいつの間にか姿を消していた。
「様子を見に行きましょう」
ルフ鳥が落ちた丘の向こうに行くと、こんがりと焼けたルフ鳥が、焦げた草原の上に翼を広げて横たわっていた。
風がまた強く吹き、香ばしい匂いが漂ってくる。
「食べましょう!」
「やっぱり食う気か……」
ディーが呻き、レオンハルトが朗らかに笑っている。
「いいじゃないか。ちょうどよく食べごろみたいだし」
「はい!」
急いで丘を駆け下り、ルフ鳥の元へ行く。羽根は既に燃え尽きているため、むしる必要はない。
血抜きもちゃんとできている。
――となれば、次は解体。
リゼットは意気揚々とオリハルコンの包丁を取り出した。
「早速切り分けていきましょう!」
巨大なルフ鳥の肉に包丁を入れると、肉が焼けた匂いがじゅわっと広がる。
あまりに魅力的で食欲をそそる匂いだった。
そう、まるでチキンソテーのような。
「すごく、お腹が空きます……」
「お前、昨日あれだけ食っといて」
「魔法をたくさん使うとお腹が空くんですよね」
「羨ましいような、まったく羨ましくないよーな……」
それにしても素晴らしい匂いと色だった。
火が通った部分は金色に輝いていて、透明な肉汁が滴っている。
――味見をしたい。その欲求がリゼットから湧き上がる。
――はしたない。理性がリゼットを押しとどめる。
(いいえ、味見をすることで最適な料理を考えられるはず。ほんの少しだけ……)
欲望を前に、理性は時として脆い。
よく火が通っている金色の肉を、一口分だけ取って食べる。
柔らかい身を噛むと、まろやかな肉汁が溢れてくる。
「お、おいしい……! この大きさなのにまったく大味でなく、シンプルに焼いただけなのになんておいしいんでしょう……! 香ばしさに甘さが合わさった深い味わい……絶妙なバランスです」
こっそりと味見するつもりが、あまりの美味に興奮して声を出してしまう。
「もう食ってやがる」
「そんなにうまいのか……」
「はい、とても」
うっとりとしながらリゼットが頷くと、ふたりも火が通っている黄金色の肉をじっと見つめた。
そして、一口食べて、驚きに目を見開く。美味しいと、その顔が言っていた。
「これは、驚きだな。物凄くうまい」
「モンスターってでかくても大味にならねーのな……エールが飲みてえ」
「まだ呑む気なのか」
「酒はいくらあってもいいぜ。たまには役に立つしな」
時折味見をしながら、解体を進めていく。すると、解体中に肉の間からころんと琥珀色の魔石が転がり落ちた。
「ルフ鳥が階層ボスだったんですね」
「手間が省けたじゃねーか」
レオンハルトは魔石とルフ鳥を見つめる。
「こんな巨大なモンスターを一瞬で召喚するのは、さすがダンジョンマスターというところか」
「……ウルさんは、いったいどういうつもりなんでしょう」
記憶を取り戻す助力をしてくれたかと思えば、恐ろしいモンスターですべてを無にしようとする。いままでその存在を認めていた人々を、何の躊躇いもなく消してしまおうとする。
リゼット――ダンジョンの女王を導こうとすることだけが、彼の行動原理に見える。
「ま、あんまり信用しない方がいいだろーな。わけわかんねーし」
もぐもぐ食べながらディーが言う。
ウルファネ・アスライはダンジョンマスターだ。だが、ダンジョンマスターでも、ダンジョンのすべてを自在に操ることはできない。
(いいように利用されないようにだけ、気をつけないと)
肉を噛みしめながら思う。
「それにしても……お鍋にするか、串焼きにするか、ソテーにするか、とても悩みますね」
「食うことしか考えてねえのか?」
ディーがぼやき、レオンハルトが笑い、ルフ鳥を見上げる。
「全部すればいい。これだけあるんだ。どんな料理も作れるさ」
「そうですね。ふふっ、とても楽しみです」