183 ブローケ
その態度に、リゼットの直感が働いた。
「もしかして、あなたがディーさんですか?」
「いまさら気持ち悪ぃ呼び方すんな」
引きつった顔で言う。
「ごめんなさい。私たち記憶がまったくなくて」
「はぁ? なんつーもん落としてきてんだよ。忘レ茸でも食ったか? あーもう世話が焼ける」
ディーは一瞬顔を引きつらせ、ぼやきながら瓦礫の中を探し回る。
そしてすぐにまとまった荷物を発掘した。
レオンハルトに剣と盾、鎧を渡し、更にごそごそと鞄を探し回り。
「あったあった、ほらよ」
一枚のカードをレオンハルトに渡す。
金属製のカードには文字がずらりと並んでいる。それは身分証のようで、名前とスキルが明記されていた。
レオンハルトはそれをじっと見つめ、小さく頷いた。
「――ありがとう、ディー」
「思い出したか?」
「いや、まだだ。だが、自分のするべきことはわかる」
そして、レオンハルトは慣れた手つきで鎧を身に着け、剣と盾を装備した。
ディーはリゼットにも、身分証のカードを渡した。
不思議な光沢をもつ金属製のカード。そこにはリゼットの名前が刻まれている。
そしてディーから杖を渡される。白い角でつくられた杖を握りしめ、リゼットは微笑んだ。
「なんだか、とてもしっくりきます」
そして、ディーもどこか安心したように笑っていた。
「何かおかしなことを言いましたか?」
「いや、記憶がなくなっててもお前らはお前らだなーって」
「それはよかったです。とはいえ、忘れたままではいられません」
――その時、石壁の一部が音を立てて崩れ落ち、武器を手にした女性たちが入ってくる。
その中央で、茶髪の女性が守られるように立っていた。その顔に浮かぶ冷たい眼差しと、挑発的な笑みが、彼女が只者ではないことを物語っていた。
「真の聖女様ってやつは、一秒だってじっとしてられないの? 常に動いてないと死ぬわけ?」
嘲笑するように、しかしどこか懐かしそうに目を細め、リゼットを見る。
「あいつはブローケだ。オレたちをここへ呼び込んだやつ」
ディーが囁く。
――ブローケ。
追っ手の女性たちが、ブローケ様と言っていたのを覚えている。どうやら彼女が集落の長のようだ。
ブローケはリゼットとレオンハルトを見て、おかしそうに笑う。
「すごいね。忘れてもまた惹かれ合うとか、おとぎ話じゃあるまいし」
「――君が、俺たちの記憶を奪ったのか?」
レオンハルトの鋭い声での問いに、ブローケは悪びれなく笑う。
「うん、そう。あたしの忘却スキルでね。ディーくんは本気で熟睡してたから、スキルを使えなかったんだよね。残念」
「そりゃどーも。やっぱ酒は役に立つな」
「まあ、安心して。いまからまとめて失くさせてあげるから」
声が低く響き、緊迫した空気が漂う。
リゼットはぐっと前に踏み出した。
「ブローケさん、どうしてこんなことを?」
「ここは辛いことばかりの場所だから。記憶を失くして、全部最初からやり直したほうが幸せなんだ」
「他人の幸せを勝手に決めるのは、よろしくありません」
ブローケは嘲笑し、肩を竦めた。
「きれいごとだね。囚われて、出ることもできなくてて、大切な人も奪われて。いったい何人壊れていったか」
「…………」
「あたしは、記憶を失くさせることで、救ってあげているの」
「――返してください」
リゼットはブローケを強く見つめ、声を張る。
「私の記憶を返してください。きっと何よりも大切なものなんです。全部、返してください!」
リゼットは記憶を諦めるつもりはない。だが、ブローケも譲る気配がない。彼女は彼女なりに、揺るぎない信念に基づいて行動している。
簡単にはいかなさそうだが、諦めるつもりはない。
記憶は生きた証だ。揺るぎない過去だ。自分自身だ。どんなに辛い記憶になろうとも、自分だけの大切なものだ。
「忘れていたほうがいいって。この楽園で、静かに過ごしたほうがいい」
「――それは困るんだよね」
突如、未知の声が響く。
辺りに煙が立ち込め、その煙の中から現れたのは、美しいエルフの男性の姿だった。
ブローケは驚愕し、女性たちも恐怖に顔を引きつらせた。
「ウルファネ……いまさら何の用?」
ブローケが非難めいた声でエルフの名前を呼び、睨む。
ウルファネと呼ばれたエルフは、穏やかな笑みを浮かべる。
「女王には旅を続けてもらわないといけない。できるだけ、深く。邪魔をされるのは困るんだ」
「それこそあんたたちの勝手でしょう。あたしの知ったことじゃない」
「君たちと対話をするつもりはないよ。時間の無駄だ」
ウルファネは軽やかな嘆息を吐き、天を仰ぐ。
その眼差しは星空よりももっと遠く――悠久の先にあるものを見ているかのようだった。
「この場所も、一回更地にするべきかな。面白いと思って観察していたけれど、女王に害を加えるようなら消してしまったほうがいい」
その呟きに、女性たちの恐怖が高まる。
「――残念だ。本当に、面白いと思ってたんだよ?」
憐れむような声に、ブローケの顔が引きつる。
全身から怒りが燃え上がっていた。
「無力な人間が必死でダンジョンで生きる様は、いい娯楽だった?」
ウルファネは微笑むだけで答えず、杖を空に向けて一振りする。
杖から奇妙な光が放たれ、空間が捻じれる。
次の瞬間、空から落雷のような轟音が響き渡り、大きな雲が星空を完全に覆いつくした。
暗闇の中から、何かが息をつく音が聞こえる。
まるで、巨大な生物が深呼吸するような。
「明かりを――」
リゼットが言った瞬間、闇夜を照らす光が生まれ、上空が白く照らされる。
「鳥――? この大きさ、ルフ鳥か?」
天空の支配者のような姿をした白い鳥を、レオンハルトがそう呼んだ。
強靱な脚には鋭い爪がついていて。空を覆う巨大な翼から起きる風は、まるで暴風のように周囲を吹き荒らしていた。
「これだけのサイズ、何日分の食料になるでしょう」
胸が躍る。
あの手帳に書かれていたコカトリスのようにローストにしようか、フェニックスのようにから揚げにしようか。どちらにしても、きっとおいしい。
「――本当、記憶がなくてもお前らはお前らだよ」