180 宴会
「さあ、飲んで飲んで食べて食べて!」
ブローケの明るい声が星空に響き、宴会の開始を告げる。
テーブルの上にたくさん並べられた料理を、大きな焚き火の明かりに照らし出す。
料理からは魅力的な香りと湯気が立ち昇っていた。
ダンジョンのモンスターや植物で作られた料理が、所狭しと並べられている。ミノタウロスの肉はローストビーフになっていて、その赤身が熱を帯びていて美味しそうに輝いていた。
その他にもハーブと一緒に焼かれた何かの肉、ほんのりと甘い新鮮な野菜、そして蒸し上がったマンドラゴラなどが、次々と女性たちによって運ばれてくる。
「すげーうめえな!」
酒を飲んでディーが大喜びの声を上げ、場の空気が一層高まった。
「でしょう? ほら、レオンハルトさんもどうぞ」
「すまないが、ダンジョンでは酒は飲まないようにしているんだ」
レオンハルトは微笑みながらブローケの酒を断る。手元のカップの中身は水――リゼットが水魔法で出したものだ。
熱気に乗って、誰かが歌を歌い始める。不思議な声と旋律が、無数の星が煌めく夜空に響き渡った。誰かが楽器を奏で、誰かが躍り出す。
星の美しさも、音楽と舞いの美しさも、酒と料理の匂いも、ダンジョンの中にいるとは思えないほどだった。
そのうちディーが酒に酔いつぶれ、床に寝転がる。その寝息は静かで、顔には満足感が溢れていた。
レオンハルトはその隣で女性に囲まれていた。
女性たちはとても嬉しそうで、レオンハルトは無下にもできず困っているようだった。
リゼットはその光景を見て、何故かもやもやした気持ちになった。
――なんだろうこの気持ちは。
せっかくのモンスター料理なのに、あまり味がわからない。
「リゼットー、こっちこっち」
ブローケに呼ばれ、顔を上げる。
かなり酔いが回っているのか、足元がふらついていた。
酒を飲んでいないリゼットの方から、ブローケのいる焚き火の近くに行く。
「楽しんでる?」
「はい。お料理も、どれもとてもおいしいです」
「ありがとう。でも、ごめんね。男のお客さんは久しぶりで、みんな盛り上がっちゃってさ」
「いえ……」
「で、どっちがリゼットの男なわけ?」
「――はい?」
言われていることの意味がわからず、聞き返す。
「二人もいるんだから、一人ぐらい置いていってくれてもいいよね」
ブローケはにっこりと笑った。その表情も声も飾らないもので、冗談かそうでないかの判断がつかない。
ただ、かなり酔いが進んでいることはわかる。
「よくありません。おふたりとも私の所有物ではないですし。大切な仲間です」
「なら、本人の同意があればいいよね?」
「……ダメです」
「あたし、騎士様が気に入っているの」
「ダメです!」
思わず叫んでいた。宴会の騒ぎに紛れ、大きくは響かなかったが。
「わあ強欲」
ブローケはおどけるように笑う。
「そうですが、何か?」
「いいじゃん。聖女様は巡礼に行くんでしょ? 世界を救いに行くんでしょ?」
「…………」
「危険な旅の途中で何があるかわかんないし、聖女様が目的を果たしたら、あの人たちすることなくなっちゃうじゃん。取り残されちゃうじゃん。かわいそうだよ」
リゼットは何も言えなかった。
ブローケのとろんとした表情が、急に冷静なものになる。
刹那、強い風で炎が揺れて火の粉が飛んだ。
「ここで生きているのは、そういう人たち」
――人々を見つめ、ブローケは静かに言う。
その目の奥には、深い悲しみと長い疲労が滲んでいた。
「聖女様の巡礼に付き従って、置いていかれた人たちがほとんど。罪人としてダンジョン送りにされた人は、よっぽど運がよくないと生きられないから」
カップに残っていた酒をぐっと飲み干し、ため息をつく。
「あとは、ここで生まれた子どもたち」
「…………」
「……なんでか、男の人は割と早死になんだって。大切にしてるのにさ」
乾いた声で、自嘲気味に笑う。
「……男の方たちは、モンスターを狩りに出かけているのではないのですね」
「うん、そう。いないの。みんな死んじゃったから。だから、寂しいんだよ。ここにいる女たちは、みんな寂しいの」
寂しげな言葉がリゼットの胸に突き刺さる。
ブローケの瞳が、懇願するようにリゼットを見た。
「置いていってよ。あの人たちのためにも、あたしたちのためにも」
リゼットは強く頭を振った。
それだけは受け入れらない。
「――ここから出ましょう。皆で力を合わせれば、必ず出られます」
「無理だよ、聖女様。できるわけないし、できたとしても、外を選ぶ人間はほとんどいないよ。あたしたちはもうダンジョンの住人だから」
「諦めないでください――」
リゼットの声は、知らず知らずのうちに震えていた。
「ふふっ。ねえ、あたしたち、ここで何年暮らしてきたと思う?」
「…………」
「もう誰にもわかんない。わかんないよ。あまりにも時間が経ちすぎて」
「ブローケさん……」
リゼットは意味のある言葉を言えなかった。
現実を知らない言葉は、あまりにも虚しく、響かない。
「外の世界がいまどうなっているのかも。出たところで、何をするのかも、わかんない。ねえ、あたしたち、外に出てどうやって生きるの?」
「……それでも、生きていれば、何とかなります」
「生きていくだけなら、ここでだってできる。ここでしか生きられないかもしれない」
「……私の家は、領地持ちの貴族です。あなた方が暮らしていけるように、何とか尽力します」
いまさら生家に頼るのを情けないと思いつつも、できることはなんでもやる。
侯爵家の現当主となっている従兄のアドリアンを頼ることも躊躇わない。
「無理だよ、聖女様はここから出られないんだから」
「……っ、そんなことありません!」
「残念だけど、そんなことあるんだ。さて、どっちか選べないのなら、どっちも置いていってもらうしかないよね」
――リゼットは、悔いた。かさばる荷物を部屋に置いてきたことを。
ブローケは本気だ。そしてきっと、この村の人々全員本気だ。
「ここから先はあなたひとりで行きなよ。できるだけ深くに、できるだけ早く。お連れさんは、あたしたちが救ってあげるからさ」
「――お断りします」
ブローケは乾いた声で笑う。
「ねえ、自分の立場わかってる?」
「…………」
「――エルテリアを殺した教皇の犬の言うことなんて、聞くわけないよね」
――それは、消えてしまった先代聖女の名前だ。
ブローケの瞳に宿っていたのは、明確な悪意だった。