172 デュラハンの訪問
風魔法で髪を乾かしながら台所に戻ろうとすると、ディーがピッキングツールで裏口の鍵をかけているのを発見する。
「何をしているんですか?」
「戸締り。変なもん入ってきたら嫌だろ」
「入ってくるとしたら、モンスターかレイスかダンジョンの住人くらいですよ?」
「だからそれが嫌だって言ってんの」
不機嫌そうな顔をしながら、怒ったように言う。
「そーだよ。アンデッド系が一番苦手だよ。特にレイス。死ぬならおとなしく死んどけっての」
リゼットはレイスを魔法で簡単に倒せるし、浄化魔法で消せるが、物理攻撃は効かない。
ディーは苦労させられたのだろう。
「大丈夫です。私が倒しますから」
「そりゃ心強ぇな」
ディーと共に台所に戻ると、アウルベア肉のシチューが、鍋でぐつぐつと煮立っていた。焦げてはいない。
シチューは深い赤色で、豊かな香りを放っていた。
リゼットが木製のスプーンで一口すくって口に運ぶ。
口の中に広がるのは、アウルベアの肉の豊かな旨味とトマトの甘酸っぱい酸味、そして香辛料の風味が絶妙に絡み合っている。
リゼットはパンの準備に取りかかる。厚切りにしたパンを、鉄板の上に軽く置き、焼き色がつくように熱する。小麦の甘い香りが立ち上り、シチューの香りと合わさって食欲をそそる。
「なぁ、あのワインは?」
「あれは料理用です」
そうしていると、レオンハルトが浴室から戻ってくる。
「できました。アウルベアのトマトシチューです!」
テーブルの上に、色鮮やかなトマトシチューと焼き立てのパンを並べていく。
全員がテーブルに揃い、食事の準備もできたところで、リゼットは食事前の祈りをした。
「いただきます」
早速シチューから食べていく。
「おいしい!」
リゼットは感動の声を上げる。
トマトシチューはアウルベア肉から染み出した滋養たっぷりの旨味と、野菜の旨味がしっかりと出ている。味見の時よりも更にまろやかになった甘味と酸味が絶妙だった。
パンは外側がカリッとし、内部はふんわりと柔らかい。シチューをつけて口に運ぶと、シチューとパンの風味が合わさって極上のハーモニーを奏でた。
「うん、うまい」
レオンハルトも嬉しそうに食べていく。
「なあ、このキノコ……」
ディーの視線は、皿に横たわるキノコに向いていた。もちろんゴーレムから採集したキノコだ。
「ちゃんと毒を消して浄化しているから大丈夫です。好き嫌いしないで食べないと、体調を崩してしまいます」
「そういう問題じゃねえ……」
ディーはますます呆れ顔になった。
「お前らなんでも食うよな」
「ディーは香りの強い野菜が苦手だったな」
レオンハルトに言われ、ディーはバツが悪そうな表情をする。
「昔の嫌な思い出だよ。どーしても腹が減ったからその辺の草食って、とんでもねー目に遭ったのを思い出すんだよ」
「まあ。それは大変でしたね」
「でもこれはそういう問題じゃねーからな?」
キノコを見ながら強く言う。
「おいしいですよ?」
「そもそも何も死んでいない場所なんてないし、ダンジョン内でそんなことを気にしてたら何も食べられない。それに地面に生えていたのならともかく、生えていたのはゴーレムの上だ」
「……わかってるっての」
言いつつも、食べる。
味は好みに合ったようで、その後は無言で早いペースで食べていく。
完食したそのとき、遠くの方から風で窓が揺れるような音が聞こえてくる。
どうやら裏口の方から聞こえてくるようだ。
「たぶん裏口の方からです。井戸のある方からですね」
「開けにいくなよ! 絶対に開けるなよ!」
音が急に止む。
静けさが戻ったかと思うと、今度は正面玄関から音がし始めた。コンコンと、扉をノックする音が。
静寂の中に響き渡るノックの音は執拗で、まるで何かを必死で伝えたいかのようだ。
「――俺が出る」
戦闘の準備をして全員で玄関に向かうと、ノックの音が止む。
レオンハルトが、慎重に扉を開ける。
闇の中に佇んでいたのは、デュラハンだった。何故か大きなタライを首の上に乗せて、両手でそれを支えていた。
デュラハンが、タライの中身をレオンハルトに向かって浴びせかけてくる。
しかし、リゼットの張っていた作られた結界がそれを阻止する。結界が光り、液体を弾いた。
レオンハルトが堅固な盾で、デュラハンを突き飛ばす。
デュラハンの身体は重い音を立てて後ろに倒れ、タライが鈍い音を立てて跳ね上がり、地面に転がった。
「フレイムランス!」
炎の槍の一閃がデュラハンを貫き、その身体をさらに遠くへ吹き飛ばす。
しかし、デュラハンはすぐに立ち上がる。
どこからともなく土煙が舞い上がり、大鎌と首無し馬が召喚される。。
デュラハンは大鎌を手に、首無し馬に颯爽と騎乗した。
レオンハルトが一瞬のためらいもなく外に出る。その目指す先は首無し馬だった。馬に向かって突進し、迅雷のような速さで盾で一撃を加える。
【聖盾】
馬とデュラハンが弾け飛び、馬から投げ出されたデュラハンが、再び地面に転がり落ちる。
落馬したデュラハンは、よたよたとおぼつかない動きで何とか立ち上がろうとする。
その動きはリゼットから見ても、洗練されているとは言えないものだった。
【火魔法(神級)】【敵味方識別】【魔法座標補正】
「ブレイズバースト!」
デュラハンが煙になる前に、弾け飛ばし、燃やし尽くす。
鎧の一部だけを残し、デュラハンの気配が完全に消えた。
「……なんつーか、鎧の方、馬に乗ってねえと意外と鈍くさくね? このタライも意味わかんねぇし」
「賢馬は新兵をも勝たせるという言葉がある。デュラハンは馬の方が本体なのかもしれないな。ちなみにタライの中身は血だ」
「げっ!」
「デュラハンは死人が出る家に訪ねてきて、家人にタライ一杯の血を浴びせかけるんだ」
「クソ迷惑!!」
リゼットの目の前に、上からひらひらと花びらが降ってくる。あの花畑で見たのと同じ、白やピンクの花びらが。
「……デュラハンの鎧の中にあったのでしょうか」
確認しようにもデュラハンはもういない。
横たわった首無し馬がいるだけだ。
「それにしても、おいしそうですね」
「嫌だよ首のないのに走り回る馬とか」
「普通の馬との違いはそこだけですよ?」
「唯一にして大違い!!」
言っているうちに、馬も土煙になって消えてしまう。
「ああ、そんな……!」
悲嘆するリゼットの後ろで、ディーとレオンハルトが安堵の息を零している気がした。