171 古井戸のレイス
綺麗な家を選んで、玄関の扉を開く。鍵はかかっていなかった。
中には当然誰もおらず、人が住んでいる気配もなかった。だが、レイスなどのモンスターが潜んでいる危険はある。リゼットはまず浄化魔法をかける。浄化魔法はアンデッドを消滅させると共に、家の中もきれいになるので効率的だ。
中は、入るのをためらうほどに生活感があった。つい今朝まで人が住んでいたかのようだ。住人だけが忽然といなくなったような、そんな不気味さがあった。
居間も客間も台所も立派で、更には風呂もある。
裏口を出たところには井戸もあった。とっくの昔に枯れているようだったが。
元は裕福な騎士か商人の家かもしれない。
家の奥まったところ――日当たりの良さそうなところに、寝室を発見する。どうやらこの家にベッドは二つだけのようだった。
「ここが寝室みたいですね。せっかくベッドもあるんですし、ここででじっくり休みながら探索を進めていきましょう」
リゼットはベッドを見ながら考える。どちらも一人用のもので、二人で寝るのは窮屈そうだ。
レオンハルトは体格がいい。
ディーはリゼットよりも背が高いが細身だ。
「ディー、私と一緒に寝ませんか」
「オレを殺す気か」
「えっ……私そんなに寝相が悪いんですか……?」
「そーそー、くびり殺してくる勢い」
――知らなかった。
リゼットは大きなショックを受けた。そんな凄まじい寝相をしていただなんて。
「そ、それでは、ベッドを繋げて三人で眠るというのも、やめておいた方がいいですね……」
「交替でベッドを使って、寝ずの番のときは下りたらいいんじゃないか?」
レオンハルトの提案が、一番状況に相応しいと思った。
「そうですね。それが一番よさそうです」
話がまとまったので、料理をするため台所に移動する。
家全体を包み込むように結界を張り、安全を確保して。
「アウルベアの肉で、シチューを作りましょう」
広いテーブルの上に食材を並べていく。
「聖都でたくさん買い込んでいて、本当によかったです」
ニンジンにタマネギに、トマト、赤ワイン。
鍋を用意して、オリハルコンの包丁を用意し、石窯に魔法で火をおこして。アウルベア肉を薄く切って、野菜のヘタや皮と一緒に煮込んでアクを取る。
アク取りが終わると肉だけ取り出し、茹で汁と野菜のクズは一度捨てて、一口大に切ったニンジンとタマネギを炒めて、肉も炒めて、水を入れて煮込む。
「――そうだ。さっき、裏口の方に井戸があったじゃないですか」
アク取りをしながら、水のない枯れ井戸を思い出して言う。
「おばあ様から昔聞いた話なのですが、ダンジョン探索中に、不思議な井戸を見つけたことがあったそうです」
リゼットは祖母から冒険の話を聞くのが大好きだった。
ダンジョンの話を聞きながら、ダンジョンとは何て不思議な場所だろうと憧れたものだ。
その井戸の話も、そんな話のひとつだった。
「その井戸はとても深くて、真っ暗で底が見えず、水も汲めないような井戸だったそうです」
その話と、先ほど見た井戸を重ね合わせながら、リゼットは続けた。
「しかし、下の方から、不思議な声が響いてきた気がしました。気のせいかと思いましたが、よく耳を澄ませてみると、――一枚、二枚……と、何かを数えるような声が聞こえました」
レオンハルトもディーも黙って聞いていた。特にディーはどこか青い顔をしながら。
「そのとき、おばあ様はふと思い出したそうです。ある冒険者が、手に入れた古代エルフ金貨を井戸に落としてしまい、思わず飛び込んで帰ってこなかったという話を……」
リゼットはそっと自分の手を見つめ、その上に金貨が乗っているかのように一枚一枚触れていく。
「三枚、四枚――……ああ、何度数えても、一枚足りない……」
ぐっと、手のひらを握りしめ。
「盗んだのは、誰だ……誰だ……? ――お前かあああぁ!」
記憶の中の祖母と同じように、魂の叫びを発する。
「――と、叫びながら井戸から出てきたレイスを、斬って倒したとか。レイスを斬るなんてさすが、と感動したものです」
リゼットが話し終えると、ディーがいつの間にか椅子から転げ落ちていた。
「ディー、どうしました?」
「どうもしねーよ!」
何故か怒っている。
「――確かに、レイスが斬れるなんてよっぽど珍しい武器か、付与魔法の使い手ぐらいだろうな」
レオンハルトが苦笑しながら言う。
「はい、おそらくそうだったんでしょうね。おばあ様のことは、前衛系ということぐらいしか知らないので、詳しいことはもうわからないのですが……もっと話を聞きたかったです」
たくさんの話を聞かせてもらったはずなのに、まだまだ足りない。もっともっと聞きたかった。
「それはそうと、せっかくお風呂があるんですから、入りませんか」
「嫌だ」
ディーが断固拒否という勢いで言う。
「浄化魔法は素晴らしいですが、やっぱりお風呂は格別です。さっぱりしましょう」
「どうしても入るなら、お前らだけにしろ。オレは絶対嫌だからな。鍋かき回してた方がマシ」
「では、お言葉に甘えて」
鍋にトマトと赤ワインを入れて、あとは煮込むだけの段階に来たので、鍋の見張りをディーに任せる。
家中を灯火の魔法で照らしながら、レオンハルトと浴室へ移動する。
浴室の大理石の床の中央には、陶器製の湯船が置かれている。見たところ壊れている箇所もなく、手触りは滑らかだ。これならこのまま使えそうだ。
リゼットはまず、浄化魔法を唱えて周囲を綺麗にした。
次に、湯船の水漏れをチェックする。水魔法で試験的に水を入れてみた。冷たい水が陶器製の湯船を満たしていき、漏れ出ることはなかった。
「お湯を入れますね」
リゼットは水魔法と火魔法を同時に使って、湯舟をあたたかい湯で満たす。
手を入れてみると、少し熱いが適温だった。思わず笑みが零れる。
「快適なお風呂タイムになりそうです」
「じゃあ、俺は近くにいるから。……無防備だし」
「はい、ありがとうございます。もし何かあったらお願いしますね」
リゼットは早速準備を整え、大理石の床を裸足で踏む。床の質感は滑らかで、冷たい感触が足裏に心地よい。
緊張感と期待を抱きながらゆっくりと湯船に入ると、ほどよく温まったお湯が肌を包み込む。
(気持ちいい……)
目を閉じ、湯の匂いと柔らかい感触に包まれていると、生きている実感が湧いてくる。
この心地よさと安らぎは、浄化魔法では味わえない。いまの瞬間だけは、ここがダンジョンであることも忘れて、心地よさに身を任せた。
壁の向こうからは、時折金属音が聞こえる。レオンハルトが鎧の手入れをしている音だろう。
その音は、リゼットの好きな音だった。
「……レオン」
「ん?」
声をかけると、壁越しに返事が聞こえる。
リゼットは勇気を出して聞いてみた。
「私ってそんなに寝相が悪いんですか?」
「あ、いや……」
歯切れが悪い。
やはり真実なのだろう。
「迷惑をかけたりしていないでしょうか?」
「そ――それは、大丈夫……」
「よかった……あ、レオンはすごく寝相いいですよ。ディーは少し暑がりですよね」
湯船から立ち上がると、肌から湯気が立ち上り、冷たい空気と混ざり合って心地いい。
身体はすっきりとした感覚で、疲れた筋肉がほぐれたことを実感する。
リゼットは白いタオルを手に取り、肌の上の水滴を優しく拭き取る。髪まで拭き終えた後は、冒険者としての装束を身に纏う。革のベルトを締め、ブーツを履くと、気が引き締まった。
長い髪はまだ濡れているが、これは風魔法で乾かしてみることにする。
浴室から出ると、レオンハルトは手入れ道具の片づけをしていた。
「お待たせしました、レオンもどうぞ」
「ああ……俺はひとりで大丈夫だから、戻っててくれ」
「はい。何かあったら呼んでくださいね」