170 第二層~旧聖都
階段を下りた先に広がっているのは、無人の街だった。
灰色の空に覆われた、静寂に包まれた街。一瞬だけ外の聖都の光景が思い起こされる。聖都から人々がいなくなり、月日が流れれば、このような光景になるのではないだろうか。
歪みかけた石畳、誰もおらず空洞となった木造の家。街の周囲を包む高い城壁。
立ち並ぶ家の中には、焼け焦げた家もある。白いカビのようなもので覆われた家もある。
「ここは、大昔の聖都かもしれませんね。雰囲気が似ています」
探索しながら呟く。
少し離れた場所に、大神殿のような建物も見える。山頂ではなく平地に。
「教皇の話が真実だとしたら、霊峰が大きく隆起する度に聖都は作り直されていったんだろう。ここは、かつて大地に飲み込まれた聖都の姿かもしれない」
先頭を歩くレオンハルトが言う。
「こんなに立派な街がと思うと、不思議な気持ちですね……」
「いったいどれだけ前の話なんだよ。想像もつかねぇよ」
山が空に近づくたびに聖都が作り直されているとしたら、いったいいままで何度繰り返されてきたのだろう。
栄光と荒廃、そして終焉が交差する場所に、寂寥とした風だけが吹いていた。
リゼットはふと、地図を描いているディーの様子がいつもと違うことに気づく。
「ディー? どうしました?」
「いや、なーんかイヤな感じが……オレ、こういう場所苦手なんだよなぁ……死角が多くて、物陰からなんか出てきそうな場所」
ふと、レオンハルトが足を止める。
石畳の上に、すっかり古びた剣や槍が転がっていた。まるで激しい戦闘の跡のように。
「……武器がたくさん落ちていますね。何かあったのでしょうか」
リゼットが言った瞬間、落ちていた剣や槍が、空から糸で吊るされたように浮かび上がる。
【鑑定】レリックラプター。遺された武器に憑依し、冒険者を襲うアンデッド。
闇夜のような紫の煙を纏った武器たちは、一斉に刃先をこちらに向ける。
そして、まるで生きているかのような躍動感で襲い掛かってきた。
【先制行動】【浄化魔法】
浄化の光が武器たちを包み込む。浄化魔法は、アンデッドをも消滅させる力を持っている。
光に触れた武器たちは、魂が抜けたかのように動きを止め、力を失って地面に落ちる。それらは石畳にぶつかった衝撃で、ほとんどが粉々に砕け散った。
「うーん……それなりに業物だったんだろうけれど、ボロボロだな」
「使えそうなのはねーな……」
壊れた武器の山を見ていたレオンハルトが、何かに気づいたように顔を上げ、空を見る。
「夜が来そうだな。この階層には一日という概念があるみたいだ」
厚い雲に覆われているからか、それとも最初から存在しないからか、太陽は見えない。
ここが聖都の再現だとしたら、女神が訪れて以降の景色だ。時代的に太陽があってもおかしくないのだが、ダンジョンの法則がそれを許さないのかもしれない。
「綺麗な家もたくさんありますから、休むところには困らなさそうですね」
「そうだな。良さそうな家を探そう」
街の探索を続けながら、休むのにちょうど良さそうな家を探す。
地図を埋めるように歩いているうちに、リゼットの鼻腔を、甘い花の香りが掠める。
「なんだか、花の匂いがします」
香りに導かれるように、リゼットの視線が路地へと向く。
「花があるのなら、果実もあるかもしれない」
レオンハルトの期待のこもった声に背中を押され、家々が並ぶ路地に入る。狭い道を抜けると、視界が一気に開ける。
「まあ……」
リゼットは感嘆の声を漏らした。
そこは、白とピンクの可憐な花が咲き誇る、幻想的で美しい花畑が広がっていた。風にふわふわと揺れる姿は、物悲しい空気をかき消すような生命力と、甘い香りに溢れていた。
花畑の中には白い石がいくつも置いてあった。それぞれほぼ同じ大きさで、誰かが丁寧に並べたかのようだった。
「どうやら墓地みたいだな。何が潜んでいるかわからないから、注意してくれ」
レオンハルトの声に応えるように、花畑の中央にあったひときわ大きな石が動き出す。
「ゴーレム……墓を守る番人といったところか」
「――大変です! あのゴーレム、キノコが生えています!」
ゴーレムの身体のあちこちに、白や灰色のキノコが生えている。
【水魔法(神級)】【魔力操作】
「水よ――凍れ!」
ゴーレムの関節に水を発生させ、氷にして膨脹させて関節を破壊する。手足がバラバラになったゴーレムは、なすすべなく倒れた。
「さっそく採集しましょう」
「待て」
キノコを採ろうとしたリゼットを、ディーの鋭い声が止める。
「キノコ――」
「待て待て待て。ダンジョンの、墓地の、ゴーレムに生えたキノコなんて食えるか!!」
「キノコに罪はありません。毒キノコでも無毒化できますし、これはきっと食用キノコです」
「そういう問題じゃねえ!」
叫び声が花畑に響く。しかしリゼットもここで引くわけにはいかない。なんといってもキノコは栄養満点。不足がちな栄養素を補ってくれる。
「――二人とも、話はあとで。まだモンスターがいる」
レオンハルトの警告の声を受け、視線の先を追う。
墓地の奥からゆっくりとやってくる影があった。
二本の足で、花の間を歩いてこちらへ近づいてくる。
右手に持っているランタンは、頭蓋骨にウィル・オ・ウィスプを宿したものだった。青い光が黒い全身鎧を不気味に輝かせている。
(リビングメイルでしょうか)
中身のない全身鎧のモンスター、それがリビングメイル。しかし頭蓋骨ランタンの持ち主は、リビングメイルとは一点大きな違いがあった。
その鎧は、頭がなかった。
兜がないのではない。首からは下は完璧な騎士であるのに、頭そのものがない。
【鑑定】デュラハン。首無しの騎乗者。死を告げる騎士。
花が風が揺れて、土煙が立ち昇る。
土埃が集まった場所に、馬が現れる。首無しの黒馬が。
デュラハンが颯爽と首無しの馬に騎乗すると、左手に大鎌が現れた。命を刈り取る形をした大鎌を手にし、頭蓋骨のランタンを鞍に刺し。
首のない騎馬が突進してきた。
【聖盾】
突進してきたデュラハンを、レオンハルトが冷静に弾き返す。
デュラハンはそのまま落馬して、よたよたと起き上がった。
「フレイムランス!」
火焔の槍がデュラハンを貫く。
しかしその寸前、デュラハンの身体が煙のようになり、火焔はそのまますり抜けた。
リゼットが驚いている間に、デュラハンは立ち上がった首無し馬に乗り、逃げるように駆けていく。あっという間の出来事だった。
「逃げたか……なんとか早めに倒しておきたいな」
「どーやって? 煙になるんなら、武器も魔法も効きそうにないぜ。逃げた方がいいんじゃね?」
「……とりあえず、もう暗くなる。いまは休もう」
「はい」
リゼットは返事をして、手早くゴーレムからキノコを採集した。





