169 side 修道者メル
――修道者。
女神教会にて修行を積むものがそう呼ばれる。
メルもそのひとりだった。かつてダンジョンがあったノルンという地の女神教会で、日々修道に励んでいた。
修道者としてはメルの容姿は異質だった。
修道者は教会では一番下――見習いの身分であり、年若い少年少女がほとんどだ。自業自得で年老いた姿となっていた、メルはそんな彼らと混じって働いていた。
若い彼らは、年老いて見えるメルが、若者のように熱心に働く姿に驚愕し、尊敬してくれている。メルはその眼差しを受けると、まるでズルをしているようで落ち着かなくなる。
だが、嬉しかった。頑張って働いて、仕事の成果が見えて、認められる喜びは、メルディアナだったころには得られなかったものだ。
昔のように外見だけ見て寄ってくる人も、肩書だけ見て寄ってくる人も、聖女だからと傅く人も、利用しようとすり寄ってくる人もいない。
そのおかげで清々しく、心穏やかに過ごせていた。
――そんなメルのところにある日、教会の審問官と名乗る、軽薄そうな男性と、鋭い雰囲気の女性がやってきた。
「修道者メルディアナ――おれたちと本山に来てほしい」
「承りました。ですが、ひとつ訂正を。わたしはメル、ただのメルです」
メルディアナ・クラウディスは侯爵家に引き取られてからの名前だ。貴族というのは名前の長さも大事らしい。
メルが生来の名前、本当の名前である。
メルディアナという名前をとても気に入っていたので、修道者になるときは耐え難く思ったが、いざただのメルと呼ばれるようになると、真冬の重々しいコートを脱いだかのように身体も心も軽くなった。
そのときの清々しい気持ちは、忘れられるものではなかった。
「それから、姉がわたしにつけた監視役である、教会騎士も一緒でもよろしいでしょうか」
「……おう、そりゃもちろん」
「リゼット様のご意向ならば」
少し困ったような男性――ケヴィンの後ろで、怜悧な女性が答える。ユドミラと名乗った彼女もまた、姉の信奉者らしい。
そしてメルは教会騎士ダグラスと、審問官たちと共にノルンを出た。
審問官が何故メルを連れ出そうとしたのか――最初は裁きにかけるためかと思った。
メルは聖女である姉からすべてを奪おうとした。聖女の証である聖痕も。名誉も。
その断罪の時がついにやってきたのかと。
しかし審問官たちは決してメルを手荒に扱うことはなかった。
その態度で気づく。女神教会はきっと、真の聖女と呼ばれている姉に何かをさせるために、妹である自分を利用するつもりだろうと。
しかしそう簡単にいくだろうか。
自分は姉を陥れようとした人間だ。姉が自分のために動くとは思えない。
(でも、あのお姉様なら、揺らぐかもしれない)
メルは知っている。
姉は決して聖女と呼ばれるような高潔な人間ではない。自分勝手で我儘な利己的な人間で、そして愚かしいほどに善人であることを。人の不幸を楽しめない、そんな人間であることを。
共に暮らしていたときは何を考えているのかわからなかったが。
それでも、妹だからこそわかることもある。
(本山が何をお考えであろうと、お姉様は手負いのジャイアントキリングベアーより怖ろしい御方……簡単にはいかないでしょう)
姉は、おとなしく利用されるような人間ではない。
最後には己を貫く。眩いほどの強さで。
本山に向かう道中での休憩中、ケヴィンがじっとメルを見ていることがあった。
メルは微笑み、問いかける。
「姉に似ていますか?」
「……ああ、なんとなく雰囲気がな」
「それはそうでしょう。わたしはずっと、姉の真似事をしていましたから」
スラムで育ったメルが侯爵家に引き取られて、何の礼儀も知らなかったころに手本としたのは、姉の振る舞いだ。話し方、所作、礼儀、身だしなみ――メルから見て姉は完璧な令嬢だった。
メルはずっと、姉のようになりたかった。
長い旅の末、女神教会の本山の麓の街に辿り着く。
遠くから見た霊峰は、とても高かった。山の中腹には都の姿が見え、上の方は青い空に半分溶け込んでいた。
山頂まで、一体何日かかるだろう。
荘厳な大聖堂に辿り着くまで、どれだけの苦難が待っているだろう。
「ここからは騾馬だ。さ、どうぞ」
騾馬は一頭しかいない。ケヴィンに騎乗を勧められ、メルは首を横に振った。
「だいじょうぶです。わたしはこう見えて頑丈ですので、自分の足で歩けます」
「行きましょう、メルさん」
教会騎士ダグラスに呼ばれ、メルは歩き出した。
(わたしはずっと、お姉様のようになりたかった……でも、いまは違うわ)
いまはただ、自分らしく生きたい。
――自分らしさが何かは、まだよくわからない。
だが、そう生きなければならない気がした。





