162 秘中の秘
気づけばリゼットは、真っ暗な場所にいた。
夜よりも暗い漆黒の闇が、どこまでも続いていて何も見えない。
「ここは……?」
声がよく反響し、触れる空気は冷たい。おそらく、灯りひとつない石造りの密室だろう。わずかな光すら差し込んでいない。不穏なまでの静謐な雰囲気は、まるでダンジョン内のようだった。
「ふたりとも、大丈夫か?」
「いてて……背中打った……」
レオンハルトとディーの声が聞こえ、ちゃんと三人そろっていることにリゼットは安堵する。
「明かりをつけますね――」
ダンジョン領域外では魔法の威力は格段に弱くなるが、灯火の魔法くらいなら領域外でも充分に使える。
リゼットが魔法を使おうとしたとき、部屋がふっと明るく照らされる。
そちらの方向を見ると、オレンジ色の炎が燃えるランタンを掲げた黒髪の少女がいた。
「なんですか。余分なものがぞろぞろと」
少し困ったように言う。余計な仕事が増える、と言いたげに。
レオンハルトがリゼットとディーを庇うように立ち位置を変える。
「ここは、どこですか? あなたは何者で、どうして私たちをここに?」
リゼットは一気に問いかける。ひとつぐらいは答えてもらえるだろうと期待して。
「ここは大聖堂の深部。秘中の秘の、手前」
「まあ……こんなに大聖堂に簡単に入れるなんて」
リゼットは驚き、感動する。
「身共は教皇アマスフィア。母神に任ぜられし管理者」
「あなたが……教皇?」
教皇は教会の最高地位であり、最高指導者であり女神の代理人だ。
「ガキじゃねーか……」
ディーが呻く。教皇アマスフィアと名乗った少女は、慣れているのか気にした様子もなかった。
アマスフィアの姿を見ながらリゼットは考える。
――耳の形はよく見えないが、エルフだろうか。エルフは実年齢と外見が一致しない種族だ。
太陽の下で見たときは年相応の姿に見えたが、いまはもっと神聖な存在に見える。それこそ、神か精霊のような。
「さあ、真の聖女殿――」
ランタンが揺れ、声が鈴のように響く。
「母神がお待ちしております。こちらへ」
アマスフィアが石室の外へ案内しようとする。
「ここは転移魔法のための部屋。転移事故に巻き込まれたくなければ、早く出た方が賢明です」
急いで部屋から出る。誰かが転移してきて混ざってしまったら大変だ。
部屋の外も、中と変わらない石造りの空間だった。重苦しいほどの静寂が満ち、ランタン以外の光もない。
「どうして私たちをここに?」
気持ちが落ち着いたところで、リゼットは先ほど答えがなかった質問をもう一度繰り返す。
アマスフィアは大きな瞳でリゼットを見上げた。
「ご心配なく。身共はわかっております。御身に宿る聖遺物を見れば、あなたが女神たちに認められし真の聖女ということは。世界をあまねく救済するために、この地へ訪れたということも」
「違う」
レオンハルトが強く否定する。
「俺たちがここに訪れたのは、巨人を殺す方法を探すためだ」
アマスフィアはレオンハルトの言葉に驚いたようで、少し間をおいてから頷いた。
「ならば、正解です。母神との拝謁で、すべてが滞りなく進むことでしょう」
言ってランタンを掲げ、リゼットたちを導くように闇の中を進んでいく。
同じような景色が続く中を黙って歩き続ける。足音だけが重なるように響き続けた。
「まるで迷宮ですね」
景色が変わらず、分岐が多くて、道を知っている者でなければ容易く迷うだろう。
――いったいこの奥に、何を守っているのだろう。
(まさか、本当に母神が……?)
リゼットはいまだ信じられなかった。母神は天に座する。その存在を幾度も感じてきた。
――ならば何を守っているのだろう。
秘中の秘に近づいていくことを感じ、リゼットは気を引き締めた。
◆ ◆ ◆
深く、暗く、広く、静謐な空間。
大聖堂の深部に位置するであろう石造りの部屋は、外界から完全に切り離された場所だった。
部屋にはたった一人を除いて誰もいない。
中央で寝そべる一人の女性を除いては。
彼女の周囲には何もない。まるで、この部屋が彼女のためだけに存在するかのようだった。
「ここは神の座。こちらにおわしますのが母神です」
アマスフィアの声が静かに響く。
ぐったりと寝ている女性は、白い聖女服を纏い、まるで死んだかのように微動だにしない。彼女の顔は儚げで、その姿はわずかに光を帯びているようにも見えた。
「彼女が母神……? どう見てもヒューマンだ」
レオンハルトが訝しげに言う。
リゼットにもそう見える。その姿は神々しさがあったが、ヒューマンだ。
「何をおっしゃられるのやら。あなたの目にも、母神の姿は映っております」
アマスフィアがころころと笑う。
リゼットは再び目を凝らして、そして、女性の右腕が不可解な状態であることに気づいた。
彼女の腕は、肘から下が床の石に埋まっていた。
――神の座に囚われているかのように。
そして、女性の額には聖痕があった。
――聖女だ。
リゼットの心臓が激しく脈打つ。
「彼女は聖女――ですよね……?」
「ええ。母神と共にあられる彼女は、先代の真の聖女です。母神に触れることができ、その身に宿せるのは、女神たちに認められた真の聖女のみですから」
アマスフィアはランタンを高く掲げる。
光が広がり、部屋をぼんやりと照らす。
「――母神は右手で巨人を倒し、聖体と海で死の封印を施された。噴き上がる呪詛を抑えるために、大地に結界を施された。母神の娘たちは結界の杭となるため、その身を大地に溶かせられた」
鈴のような声で、歌うように諳んじる。
「そして、そちらの右手こそが、地上唯一の母神の聖遺物です」
――右手。
ぐったりと寝そべる聖女の右手は、肘のすぐ下から石に埋まっている。まるで石から生えたかのように、隙間なく。
女神教会は聖遺物を管理しているという話は知っている。
――しかしこのような方法だとは思わなかった。
その光景はあまりに異様で、そして不可解だ。
「……どうして、彼女はこのような姿になっているのですか?」
「聖遺物は普通は地下に潜っていくものですが、この『母神の右手』だけは、ひたすらに空へ帰ろうとします。母神の座する空へ」
アマスフィアは純粋な瞳で、天井に覆われて見えない空を見上げる。
その先にある太陽を――母神の目を見つめて。
「この霊峰がここまでの高さとなったのは、空に戻ろうとする聖遺物により大地が引き上げられてしまったからです。そう、ここが大地で最も空に――母神に近い神聖なる場所なのです」
――俄かには信じがたいことだ。
だがリゼットは、教皇の紡ぐ言葉を否定できなかった。
わかるのだ。石に刺さるそれが、聖遺物であるということが。母神のものであるということが。
リゼットの中の女神たちが歓喜し、騒めいていることが。
「――真の聖女殿」
アマスフィアは真摯な瞳でリゼットを見つめた。
「彼女から聖遺物を引き継いで、地下深くに戻してきてほしいのです。これまでの真の聖女たちが行なってきたのと同じように」
「……つまり、地下深くで、巨人を留めるための杭となれと?」
「そのとおりです。すべては、世界をあまねく救うために」