161 女神教会総本山
「申し訳ございません。一般参拝者の方は、ここから先へお進みいただくことはできません」
女神教会の大聖堂が頂に座する霊峰の、立派な石畳の参道の途中で、警備の教会騎士がリゼットたちに告げる。
言い方は穏やかなれど、何人なりとも通さないという迫力だ。辺りに吹く風のように冷たく乾いた声に、確固たる使命感が込められている。
「そうですか、わかりました。お疲れ様です」
仲間と共に山を登っていたリゼットは、聞き分けよく引き下がる。
その場所から上を見ると、山と空の境に荘厳な大聖堂が聳え立っている姿が見える。まるで王冠のように美しく、威厳ある姿だ。
リゼットは山頂に背を向け、振り返る。
周囲には同じように山を登ってきた人々がいる。皆、大聖堂に向かって祈りを捧げていたり、感謝や崇拝の気持ちを呟いていた。女神に対する深い信仰が窺い知れる。
「これ以上は近づけないみたいですね」
「マジかよ。わざわざここまで登ってきたってのに」
仲間の一人であるディーが、声を潜めてがっかりしたように言う。
「なぁ、我こそは聖女なりーって言って入ってこいよ」
「聖痕もないのに、それではただの思い込みの激しい人になってしまいます」
――リゼットはかつて聖女だった。
身体にはその証である聖痕も現れていた。しかしそれは妹のメルディアナに奪われ、戻ることはなかったため、聖女であったことを証明できない。
そんな調子で聖女を名乗れば、あっさりと摘まみ出される。
「まだ目立つのは避けたほうがいい。女神教会の本山がどんなものかわからない。用心に越したことはない」
もうひとりの仲間であるレオンハルトが冷静に言う。レオンハルトは慎重な姿勢を崩さない。
目的が目的だけに慎重にもなる。
今回、女神教会の本山に訪れた目的のひとつは、リゼットの中の、女神の神体の一部――聖遺物を取り出す方法を調べること。
もうひとつは、この世界の大地そのものである巨人を完全に殺す方法を調べること。
「あいつらの名前を出せば行けんじゃね? 審問官の。ケヴィンとユドミラだったか?」
ディーがかつて出会った女神教会の審問官の名前を出す。
「いや、あまり大事にはしたくない。なんとか侵入できないだろうか」
「物騒なこと考えるなよ……犯罪はゴメンだぜ。まーたダンジョン送りになる」
「何かの仕事や、一般開放日でもあったらいいんだ。とりあえずいまは中の様子を知りたい」
レオンハルトが考え込んでいる。
確かに仕事の募集や一般開放される日があれば、容易に潜り込むことができるだろう。
「あまり素性は明かしたくありませんし、無理を通したくもありません。ここは先にやるべきことをやりましょう」
「ああ、まずは麓に戻って情報収集だな」
「それも大事ですが――」
リゼットは下に広がる聖都を指差した。
「観光です!」
――女神教会本山。
女神を信奉する女神教会の聖地であり、本拠地でもある。霊峰の頂には大聖堂が聳え、その麓には熱心な信者たちや巡礼に訪れた人々が集う都――聖都が広がっている。
麓と言っても、既にかなりの高地だ。霊峰はこの大地で最も高い場所と言われており、この地に来るまでに相当の山道を登ってきた。
聖都ではあちこちに屋台が立ち並び、おいしそうな食べ物や、観光客用の土産物が並べられている。そんな中、信者たちは女神に捧げる葉を持ち歩いており、その緑が聖地の景色に彩りを添えていた。
「すごい! おいしそうなものがたくさんですね。どれも素敵で目移りします」
リゼットは観光客の人の流れに沿いながら、目を輝かせて屋台の前を歩いていく。
たくさんの観光客たちが、それぞれの屋台の前で迷いながら買い物を楽しんでいた。
賑やかで楽しい光景を、リゼットは胸を躍らせながら見つめる。
「まあ。砂漠火焔サソリの串焼きですって」
「街中でくらいまともなもの食えよ。モンスターに掠ってんじゃねーか」
「サソリはサソリだろう?」
レオンハルトが不思議そうに言う。
「なし崩しになんなよ。ちゃんと線引け、線」
レオンハルトは苦笑した。どこか楽しそうに。
「そうだな。だんだんと、普通の食材とモンスター食材に違いを感じなくなってきた」
「完全に染まってやがる……オレはそっち側には絶対いかねーからな。オレは、あの果物を買う!」
何故か力強く宣言して、たくさん果物が並んでいる屋台に向かっていく。
人が集まるところだけあって流通も盛んなようで、果物の種類も豊富だ。不思議な鱗の欠片で覆われたルビーのような果物もある。それが割られた姿も展示されていて、雪のように白い果肉と無数の黒い種が見える。
「とてもおいしそうですね。こちらは何ですか?」
リゼットが店主に尋ねると、屋台の中にいた中年の男性が嬉しそうに答える。
「これは竜鱗果だよ。甘くて果汁たっぷりでうまいんだ」
「まあ。縁起のいい名前ですね。三つください」
「どうも。お嬢さん可愛いからオマケとしくよ」
「まあ、お上手ですね。ありがとうございます」
店主は紙袋に五個の竜鱗果を入れて、リゼットに渡す。リゼットは銀貨で支払い、再度お礼を言ってずしりと重い袋を受け取る。胸の前でそれを抱えようとすると、レオンハルトが引き取ってくれた。
「よーしよしリゼット、よくやった。次はあっちだ」
「ええ、食材はいっぱい買い込んでおきましょう」
聖都に到着し、霊峰を上る前に食料品は買い込んでいたが、まだアイテム鞄には余裕がある。
「アイテム鞄いっぱいに詰め込んでおかねぇと、全然安心できねえからな」
「いつなんどきダンジョンに入れるかわかりませんからね」
別の店に行こうとしたとき、後ろから来た小柄な子どもと軽く衝突する。
地元民らしきその子はぶつかったことを気にもせず、人混みに乗って前の方へ早足で歩いていく。その途中でディーにもぶつかり、一瞬ぎょっとして、逃げ出すように駆けていく。
「随分慌ただしいだな。リゼット、大丈夫か」
後方にいたレオンハルトに声をかけられる。
「あ、はい。少しぶつかっただけですから」
「あんまりボーっとしてんなよ」
戻ってきたディーから財布を手渡され、リゼットは目を丸くした。
「え? 私の財布ですか? いつの間に?」
「さっきスラれてんだよ。んで、スリ返した」
言ってレオンハルトの方にも財布を投げる。
「気づかなかった……」
レオンハルトは愕然としながら財布を見つめた。
リゼットと同じく、気づかないうちに盗まれていたことがよほどショックだったようだ。
「こんな治安の厳しそうなところでよくやるぜ。捕まったらどうなることやら」
ディーは呆れたように言う。
「鮮やかなお手並みですね……」
軽くぶつかった一瞬で、相手に気づかれずに財布を抜き取るなんて。相当慣れている。
「感心してんなよ……おっと、余分なもんまでついてきてたな」
ディーはもう一つ財布を手にしていた。見覚えのない財布だ。
「スリの方のでしょうか?」
「中身重すぎだから、そりゃねーな」
「衛兵の詰所に届けましょう。この近くにあったはずです」
――そのとき。
「財布がない〜〜!」
女の子の泣き声が少し離れた場所から響く。
リゼットは人混みの中から声のした方を覗き見る。
往来の真ん中で困ったように頭を抱えているのは、黒髪の少女だった。
手入れされた髪に、凛とした佇まい。見たところ十二歳くらいの少女で、細く華奢な体形に、真っ白で汚れひとつない服を着ている。綺麗な身なりは、育ちの良さを充分に表していた。
「たぶんあいつのだな。リゼット、渡してきてやれ」
ディーがリゼットにずっしりと重い財布を投げてくる。
「どうして自分で渡さないんだ?」
レオンハルトが問うと、ディーは嫌そうな顔をして頭を掻いた。
「オレがスッたって思われるだろーが」
「まさか。そんなことがあるわけがないし、もしそうなったら俺が許さない」
「私もです」
「危ない橋は渡んねぇんだよ。ほら、いいから早く行ってやれ。教会のやつだったら繋がりができるかもしれねーし、その伝手で中に入れるかもしれないぜ?」
「はい」
リゼットは頷き、少女の方へ向かう。少女はリゼットの存在に気づくと、半泣きの表情でリゼットを見上げた。細い眉と大きな瞳が印象的な少女に、リゼットは預かった財布を見せる。
「すみません。こちらの財布が落ちていましたが、あなたのものでしょうか」
「おお、それはまさしく身共のものです!」
がしっと、財布ごとリゼットの手を両手で握る。
「ああ、よかった……お礼をさせてください」
少女はいそいそと受け取った財布を開けると、金貨を取り出す。
「い、いえ。こんなに受け取れません」
「遠慮なさらず。あなたは身共の恩人なのですから――」
顔を上げ、まっすぐにリゼットを見つめたまま少女は固まる。天球のような深い青の瞳に覗き込まれ、リゼットの背筋にぞくりと悪寒が走った。
この感覚は身に覚えがある。鑑定スキルを使われたときの、感覚――
「――見つけた」
少女の雰囲気が変わる。無邪気でありながら、老練な賢者のような笑みを浮かべ。
「ようやく、会えた。ウルファネの予言、此度は的中したようですね」
宿願を果たした喜びに震え、リゼットに手を伸ばす。少女が握っていた金貨が地面に落ち、石畳の上で跳ねた。
「こちらへ――」
警戒し、後ろに引くリゼットに、少女は手を伸ばして近づいてくる。
「リゼット、どうしたんだ」
異変を感じ取ったのか、レオンハルトがリゼットの傍にやってくる。
少女はレオンハルトのことは一瞥もせず、飛び掛かるようにリゼットの腕をつかんできた。
「君、何を――」
「おい、どうした?」
ディーが訝しげに覗き込んでくる。
レオンハルトが少女の手を握り、リゼットから離させようとした、その瞬間――
浮き上がるような感覚がリゼットを包み、周囲の景色が歪む。
光が消え、闇に閉ざされ、一度バラバラになり再構築されるような感覚――
リゼットはこの感覚を知っている。ダンジョンで、帰還ゲートに入ったときと同じ感覚だった。