158 ダンジョンの外へ
一瞬、意識が飛んだのち、リゼットたちはダンジョンの一階ホールに移動していた。
「ラニアルさん……」
「リゼット、急ごう!」
レオンハルトに強く手を引かれ、崩れかけた階段を駆け上がる。
ダンジョンの出入口にある広場には、誰もいなかった。夕暮れの光が照らし出すのは、無人の広場だ。
「人がほとんどいなくなってるじゃねーか」
「街の封鎖が解けて逃げ出したんだろう」
いまだ崩壊を続けていくダンジョンから離れながら、ディーとレオンハルトが言う。
リゼットはダンジョンのあった場所を振り返る。
崩れていくばかりで、誰かが脱出してきそうな雰囲気はない。
「…………」
「――リゼット、彼女はそう簡単には死なないと思う」
「そーそー。なんか変なアイテムや魔法を使って、どこかで生きてるだろ」
「……そうですね。ラニアルさんなら、きっと……」
きっとどこかで生きている。
ドワーフたちも、きっといまにも元気に出てくる。
入口部分にあった大きな石像が、広がる穴に飲み込まれていく。
ずっと起きていた地響きは、それと共に一度止まった。
「他の方々は大丈夫でしょうか……」
広場に空いた大きな穴を見つめながら、リゼットはドワーフたちとダンジョンにいたであろう冒険者の安否を祈る。
それにしても、街は意外なぐらいに静かだ。冒険者は脱出していっただろうが、街全体にはまだ住人たちが大勢残っている気配がする。
なのに混乱が起きてない。強固な秩序で統制されているかのように。
――その時、リゼットの足元の石畳にヒビが入る。
ここまで崩落が来たかと後ろに下がったとき、ツルハシの先が地面に現れた。
ガラガラと石畳に穴が開き、中から土まみれのドワーフ三人が出てくる。
「早っ。どうなってんだよ」
「がはは! ドワーフの逃げ足を舐めるでないわ!」
快活な笑い声が空まで響く。
「ほれっ、おまけじゃ」
ぽいっと地面に放り出されたのは、布でくるまれたラニアルだった。
「ラニアルさん!」
「うう、なんたる屈辱……有終の美を飾るつもりだったのに……」
「グチグチ言うでない」
「むむー……ドワーフってホントおせっかいだよね」
ごろごろと地面を転がって布を外し、立ち上がる。
居心地の悪そうな表情をしているラニアルを、リゼットは抱きしめた。
「よかった……」
「リゼット……君ってホントに、とんでもないお人好しだよ」
ラニアルの手がぽんぽんとリゼットの背中を叩く。
その感触と、抱きしめた身体のあたたかさに、リゼットの目元から涙が滲んだ。
「これからは、自分が陥れた人々と同じ数だけ助けるんじゃぞ」
「エルフ人生三回あっても足りないよ」
「とんだ極悪エルフだな!」
「わかった、わかったって。誓います。あたしラニアル・マドールは、この才と知識で人を助け続けることを、鉄のドワーフに、竜の剣に、風の矢に、そして――友に誓います」
ラニアルは静かに魔法の言葉を紡ぐ。ラニアルの首元が光り、青い紋様が浮かび上がり、そして消える。
「誓約魔法だよ」
「誓約魔法?」
「誓いを破ろうとしたら、死んだほうがマシ一歩手前ぐらいに苦しくなっちゃう魔法」
「そんなものが……」
「そりゃまた、随分使い勝手の良さそうな魔法だな?」
ディーが皮肉めいた言い方をする。
「まあこれくらいはねー」
ラニアルは言って、後ろを振り返る。ダンジョンのあった場所に空いた大きな穴を見つめ、所在なさげに土で汚れた頬を掻いた。
「ダンジョンはもう無人だったから、大丈夫だよ。あたしのダンジョンは難攻不落だからね。みーんなリタイアさ」
「過去形だろ。オレらにクリアされてんだから」
「君たちって反則なんだよ色々と。ダンジョンマスター泣かせだよ」
リゼットは安心し、浄化魔法を使う。
全員の汗や土汚れが消えていく。
「まったく……おせっかいなやつらだ」
座り込んだままのタガネがぽつりと呟く。
「そもそもわしらを呼んだのはお主じゃろう」
「素直でないのう。嬉しかったと言えばいいのに」
「誰が」
タガネはドワーフ兄弟に背を向けて、ランドールの姿を見つめる。その背中はひどくを寂しげであり、だが奥には強い誇りを感じさせた。
タガネの見つめる先から、夕陽を背にして四人のドワーフがやってくる。そのうちの三人はダンジョン内でタガネとパーティを組んでいた戦士二人と回復術士。
そして戦闘要員には見えないドワーフの女性が一人。他のドワーフは彼女の周囲を守るようにして歩いている。
「……最後の仕事か」
タガネは覚悟の決まった声で小さく呟き、しっかりと立ってドワーフたちと向き合う。ドワーフたちはタガネから少し離れた場所で足を止め、タガネを見据えた。
彼らの間には目には見えない決定的な溝が作られていた。
「タガネ市長――いえ、元市長」
ドワーフの女性は、冷たく厳しい声でタガネに告げる。
「あなたはランドールを私物化し、我欲に溺れ治安を乱し、ランドールの評判を失墜させました。よってあなたをこの街より追放します。本日中にランドールを離れ、二度と足を踏み入れぬように」
「…………」
「ラニアル・マドール。あなたもです」
「はーい」
ラニアルはのんびりと答え、手をひらひらと振る。
ドワーフたちはそれだけ告げると、背を向けて真っ直ぐに戻っていく。
勇ましい後ろ姿が、リゼットには何故か泣いているように見えた。
「……腹を切るか首を斬られるかと思ったのに……くくっ……死にぞこないに気を遣いおって」
自嘲しながら、ぐっと顔を押さえる。涙を押し込めるように。
その身体がぴくりと固まる。タガネは不思議そうに何度も唸り、自分の身体を触る。
「なんだ……? 焼けるような苦しみも、痛みもない……病が、治っている……?」
信じられなさそうにレオンハルトを見上げる。
「貴殿の力か……?」
「いや、蘇生魔法では病は癒せない。腕が立つ回復術士でも、おそらく無理だろう。可能性があるとしたら――」
レオンハルトがリゼットを見る。
「……よく、覚えてはいないが……我が身は一度、女神の炎で焼かれた……女神は私に生きろと……?」
タガネがリゼットを見る。
「聖女よ――女神の娘よ。そうなのか?」
リゼットは返答に窮した。聖女ではないとも言いにくいし、知らないとも言い難い。もちろん肯定するのも無理だ。
リゼットはタガネに向かって微笑んだ。
「生きてください。私に言えるのはそれだけです」
タガネの目から涙が溢れ出し、彼女は拳を震わせて無言で泣き続けた。
そしてまた、別のグループがリゼットたちの方へやってくる。
女性ばかりの冒険者パーティだった。戦士らしきリーダーと、弓士、回復術士、魔術士に、赤い髪の魔術士イレーネ。
緊張しているパーティの中から、イレーネが進み出てレオンハルトの前にやってくる。
「――レオンハルト様」
イレーネはスカートを持って優雅に一礼した。宮廷での儀礼のような雅さで。
「お待ちしておりましたわ、ご無事で何よりです」
「イレーネ……君も無事でよかった」
怪我ひとつない元気そうな姿に、リゼットもほっとする。
「少しだけお話しさせていただいてよろしいでしょうか」
レオンハルトは無言でイレーネの言葉を促す。
イレーネは深く、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。わたくし、己の愚かさと浅はかさに、ようやく気づきましたの。わたくしは、自分の理想をずっとあなたに押し付けていました。その傲慢さであなたを傷つけ、すべてのことを自分の思い通りにしようとしていました」
イレーネが後ろを振り返る。四人の女性冒険者を見つめ、小さく一礼する。そしてまた、レオンハルトに向き合う。
「彼女たちは、以前のわたくしをパーティに入れてくださいました。わたくしのあまりのワガママで、愛想を尽かされてしまったのですが……」
イレーネは恥じ入るように声を落とす。
「死んで、地上に戻ったとき、わたくしを気にかけてくれたのです……わたくしはそこでようやく自分の不徳に気づき、謝罪し……またパーティに加えていただけたのです」
顔を上げる。赤い瞳には眩しいほどの決意に満ちていた。
「今度こそ、ちゃんとパーティに貢献できるように、微力を尽くしたいと思います」
「そうか……君の力は本物だ。弛まぬ努力と類まれな才能の賜物で、俺も何度も助けられた。きっとどんな困難も乗り越えられるだろう」
ほっとしたように微笑むレオンハルトを見つめるイレーネの表情は、どこか切なそうだった。手の届かない天空の宝石を眺めるような瞳だった。
「レオンハルト様……あなた様の信頼を裏切り、傷つけ、申し訳ありませんでした……でも、これだけは知っておいてください。わたくしは、昔からあなたのことが好きでした。あなたに相応しい相手になれるように、ずっと修身してまいりました」
「…………」
「でも、あなたの心にはもう別の方がいらっしゃるのですね」
「……すまない」
イレーネは目許に涙を浮かべ、気丈に頷く。
「謝らないでくださいませ。あなたの幸福と幸運を祈っております。そして、その……髪を、一房くださりません? 遺髪として持ち帰りたく思います」
レオンハルトは髪の一部を躊躇なく切り、イレーネに渡した。
「ありがとうございます。あと……旅の路銀を貸していただけると、とても助かるのですが」
「図太すぎるだろ」
レオンハルトは苦笑しながらイレーネに二十万ゴールドほどを渡す。
「ありがとうございます。――リゼット。レオンハルト様のことを頼みましたわよ。この方はすぐに無茶をされるから……いえ、あなたに任せる方が不安ですわね……」
イレーネの凛とした眼差しが、ディーに向けられる。
「あなたの方がまだ信用できそうですわ」
「そりゃどーも」
「わたくし、いろいろと失礼なことを言いましたわよね」
「ハッ。んなもん、いちいち気にしてねーよ。お互い様だろ」
ディーに一笑されて、イレーネはどこか安堵したように笑う。
「――リゼット、わたくしが生き延びられたのはあなたのおかげよ。あなたに食べさせられていなかったら、モンスター料理なんて絶対に食べずに死んでいたでしょうから」
「まあ。イレーネさんに喜んでいただけて良かったです」
「喜んではいませんわ! ……まったく、この呑気さがいいのかしら……理解できません……」
ぶつぶつと呟きながらも、未練を振り切るように顔を上げ、ラニアルを見た。
「よくもぬけぬけとわたくしの前に現れたものね」
「いやぁその節は。でもまあ、お互い様ってことで。利用しつつ、されつつね」
ラニアルは笑いながら首元をイレーネに見せた。
イレーネの顔が引きつる。
「隷属紋……あなた、どうかしていますわ」
「まあねー。それにしても良いパーティだね、イレーネ様」
「ええ……」
イレーネは複雑そうな表情で頷きながら、レオンハルトをちらりと見る。
「前衛で皆を守ってくださる騎士の方がいらっしゃったら、もっと安定するのでしょうけれど」
「ああ、それなら――」
レオンハルトが声を上げ、女性パーティが沸き立つ。レオンハルトはそのままタガネの方を見た。
「ふむ……なるほど……ちょうどいいかもしれん。私も君たちのパーティに入れてもらえないか。全力を尽くして君たちを守ると誓おう」
タガネは力強く宣誓する。
前衛が弱い女性五人パーティに、女性ドワーフ騎士のタガネが加われば、かなり強靭なパーティとなるだろう。
先頭に立つタガネが夕暮れのランドールを出発する。
その足取りは勇ましく、迷いがなかった。