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155 深淵の牙ニーズヘッグ





 タガネの顔から血の気が引いていき、身体がわなわなと震え出す。恐怖でか、怒りでか。

 ラニアルは冷笑を浮かべた。


「よかった、わかってるんだ。そこまで愚かじゃないみたいだね」

「貴様……」

「安心してよ。もしもこの世に賢者の石があったとしても、私利私欲にまみれてるくせに高潔なふりしてる我儘姫様に、国の再建なんて絶対できないからさ」

「貴様――!」


 タガネが力強く立ち上がり、斧の柄を握り肩に担ぐ。


「理念も持たぬエルフ風情が……私には同胞を守るという使命がある。国を建てる使命がある!」

「威勢はいいけど王器がないよ。機が読めないのも最悪。いまのあんたには誰も従わない。ねぇ、一人ぼっちでも王様になれるの? ――リゼットはどう思う?」


 ラニアルは明るく笑い、リゼットを見た。

 魔術師の眼がふよふよとリゼットの前までやってくる。


「思ってること、言いたいこと、あるでしょ。ほら、外に向けて言ってみなよ。みんな聞いてくれてるよ」


 棘だらけの黒い球体が、静かにリゼットを見つめている。この瞳に映された自分が、ランドールの街のあの動く絵画に描かれ、声が外にまで響くというのなら。


「――皆さん」


 リゼットは黒い眼を見つめ、外の光景に思いを馳せる。

 あの場所にいる人々に自分の言葉を伝えることができるのなら――


「第三層にお越しの際は、ぜひドワーフの宿屋をご利用ください。ダンジョンの夜も安全安心、何より食事が素晴らしいです!」

「なんの宣伝してんだよ!!」

「宣伝は大事です!」


 ぶちっと魔術師の眼が潰れる。


「あはは、リゼットって本当にあたしの予想を軽々と飛び越えてくれるよね」

「恐縮です」

「リゼットならもっと市長さんを糾弾してくれると思ったのに」

「……私は、市長のやろうとしていたことは許せません。ですが、どうやっても生きたいという気持ちと、どうやっても叶えたい夢というものがあることはわかります。許せませんけれど」


 リゼットは顔を上げ、ラニアルを見据える。


「そこに付け込んで一方的に搾取するというのも、いかがなものかと思います」

「それを言われるとつらいなー……でもそうだね。ここまで頑張ってくれたんだから、あたしも少しは誠意を見せないとね」


 ラニアルがずっと持っていた金杯に、赤い液体が湧く。

 金杯がラニアルの手から浮かび、ふわふわとタガネの前に移動する。


「これは聖遺物――土女神様の血だよ。呑めば女神と同等の力が手に入る。賢者の石なんかよりずっと確実に」


 リゼットは困惑した。


「ラニアルさん、どうして――」


 まだ嘘をつくのか――


 このダンジョンに女神の気配は感じられない。金杯に満ちるそれも、聖遺物だとはとても思えない。リゼットの目にはそれよりもよほど怖ろしいものに見えた。

 止めようとしたのに、口が、身体が動かなくなる。

 レオンハルトとディーもまるで麻痺してしまったかのように動けなくなっている。


 タガネは食い入るように金杯を見ていた。


「さあ、どうする。ドワーフのお姫様。生き長らえたいのなら、進むしかないよ」

「……タガネ市長――それに触れてはいけません!」


 リゼットは麻痺を振り切って、力の限り叫んだ。

 ラニアルは驚いた顔をしていたが、タガネはリゼットの警告を無視して金杯をつかみ、ゴクリと飲み干した。

 その目には、勝ち誇ったような輝きが宿っていた。


 しかし次の瞬間、タガネの表情が苦悶に変わり、口から血が噴き出す。


「あぐ……」

「――これは魔石とモンスターの一部を溶かしたワインだよ」


 タガネは苦しそうに地面に倒れ込み、土に指を立て、呑み込んだものを吐き出そうとしていた。


「やだなぁ。騙したわけじゃないよ。いまのあんたの身体はこうでもしないと生き長らえないと思ったから、試してみただけ。魔石とモンスターの一部を一緒に摂取すると、モンスターになることがあるんだ。そうなればきっと生きられるよ。ほら頑張って」


 無責任な励ましの声が空しく響く。

 タガネの身体が動かなくなり、静寂が訪れる。


「うーん、モンスター化する前に身体の方が耐えきれなかったかぁ。ドワーフは魔力が低いし、そんなもんかな」

「……呪って、やる……」


 微かな声が、強い呪詛となってラニアルに向けられる。ラニアルはそれを笑顔で受け止めた。


「うん、どうぞ」


 ラニアルは悪びれる様子がまったくなかった。悠久の時間を生きてきたエルフにとって、死も呪いも見飽きたもののひとつなのかもしれない。


「本当に哀れな人。あたしなんかに縋るしかなかったんだから」


 タガネだったものを見る目は酷薄で、感情が冷え切っているようだった。


「まあ、あたしも叶わない夢に縋るしかない愚か者か。――ごめんね、リゼット。あたしはやっぱり笑って生きることはできないや」

「ラニアルさん――」

「あたしはもうとっくに壊れてちゃってるみたい。長い時間を生き過ぎたからじゃないよ。エルフなのに恋を知ってしまったから」


 階段を上がり、椅子の上で眠っている妖精竜を抱きあげる。我が子を抱くように大切そうに。


「……うん、やっぱりこれは恋だった。あたしはあたしなりに恋をした」


 その表情は幸せそうに満たされている。だがどこか空虚な表情でもあった。


「これ以上のことはきっともうない。いらない。誰にも汚させない」


 ――ぞっと、嫌な予感が身体を駆け抜ける。リゼットは何とか動こうとした。しかし麻痺は強力で、指先一つ動かせない。

 ラニアルは琥珀色の魔石を取り出すと、それを妖精竜の口元に持っていった。

 妖精竜は素直にそれを口に入れ、飲み込む。


(あ――)


 魔石を食べた妖精竜の身体が変化する。

 光り輝くような鱗は、この世の終わりを予感させるかのような漆黒に染まる。


 かつて小さな身体だった妖精竜が、大きく膨らみ、翼と尾が長く伸びる。子どものような姿は変貌し、恐ろしい姿へと変わっていく。



【鑑定】ニーズヘッグ。深淵の牙。あらゆるものを齧る、破壊のドラゴン。



 ニーズヘッグは、深く沈んだ炎のような赤い目でラニアルを見つめる。

 ぞくりと、ラニアルの身体が身震いした。


「――あたしはきっとリゼットに壊してほしかったんだ。夢も未練も、全部ぜーんぶ」


 乾いた笑いを浮かべるラニアル。

 その表情には漆黒の闇よりも深い絶望が滲んでいた。


「不思議だね。こんなに短い命なのに、こんなに短い命だからこそかな……彗星のように鮮烈に輝く。本当、眩しいよ」


 ラニアルは空を仰ぎ、右手を伸ばした。

 その瞬間、ダンジョンにぽっかりと穴が開く。空を突き破り、いくつもの階層を突き破り、遥か高く――外界の空が見える穴が開く。


 ――ダンジョンと外界が繋がり、外の光が差し込んでくる。


「――さあ、エルル。最後のダンスをしよう」


 ラニアルはニーズヘッグへ自らの身体を差し出すように両手を伸ばす。


「ラニアルさん!!」


 ニーズヘッグは鋭い牙が覗く大きな口を開き、がぶりとラニアルを呑み込んだ。





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