150 パンを焼く
「おいしい……おいしいです……」
暖かな日差しの中、水の流れなくなった噴水の縁で串焼きを食べながら、リゼットは感動の涙を流した。
ペリュトンの肉には香辛料がたくさんかかっているのでピリッと辛い。それがとろっとしたドラゴンリーフの食感と甘味と合わさって、至高のハーモニーを奏でている。
串焼きを食べ終わった後は、口元を拭って白ブドウを食べる。瑞々しい果汁が弾け、爽やかな甘みが全身に広がっていく。
身体の中の女神たちも喜んでいる感覚がする。
「お前は幸せな顔して食ってるのが一番似合ってるよな」
先に食べ終わったディーが串を片づけながら言う。
「ありがとうございます。私もずっとこうして食を楽しんでいきたいです」
ひたすら美食を探求していきたい。
そのためには目の前の問題を一つ一つ解決していかなければならない。もちろん楽しみながら。
リゼットは心身ともに満たされ、立ち上がった。
「ごちそうさまでした。まずは下へ降りる階段探しですね」
屋敷の中や庭を歩き回り、下の階層へ下りる階段を探す。
しかしいくら探してもそれらしきものは見つからなかった。庭も、屋敷の中も、倉庫も探し、エーテルポーションや回復アイテムなどは見つかったが、階段はどこにもない。
いままで階段を探すのに苦労したことはなかった。階層ボスらしきモンスターを倒し、魔石を手に入れれば、次の階層へ誘うように階段は現れた。だがいまはいくら探しても見つからない。
「どうして見つからないんでしょう」
屋敷の裏手の倉庫の中で、リゼットは呟く。石壁に声が反響した。
「もしかすると、階層ボスをちゃんと倒していないからかもしれない。ラニアル・マドールのつくっていたフェンリル未満がそうかと思ったんだが――……」
「途中で倒しちまったのがヤバかったとかか?」
ちゃんとしたモンスターの形になる前に倒してしまった。
「でも、すごいものを見つけましたよ。これは小麦粉です!」
倉庫にいくつも積まれている、ぱんぱんの穀物袋に入った白い粉。香りと指先の手触りでわかる。これは小麦粉だ。しかも上等な。
「キッチンの方には石窯もありました。カナトコさんにいただいたパン種がありますから、そう――パンが焼けます!」
レオンハルトはリゼットの力説を聞き、しばらく視線を泳がせて――頷いた。
「うん……そうだな。焼こうか」
「お前こいつに甘すぎねぇ?」
小麦粉の袋をキッチンに運ぶ。屋敷が大きい分、キッチンも広い。そして作業台も三人で作業するのに十分な広さがあった。
作業台に浄化魔法をかけて、小麦粉とパン種と水と塩を合わせて、それぞれで素手で捏ねる。
しっかりと塊になるまでひたすら捏ねる。
「階段が見つからないのは、ここが最下層だからなのかもしれないな」
生地を捏ねている最中、レオンハルトが言う。
「だとしたら、あいつはどこに行ったんだよ。この階層の家を全部調べていくのか?」
ディーが手に着いた生地を取りながら、面倒くさそうに言う。
リゼットは作業台の上に広がった小麦粉を集めてまとめながら、ずっと気になっていたことを言葉にした。
「あの城、いかにも何かありそうじゃないですか?」
「城か……」
「ま、ある意味定番か。偉いやつは城でふんぞり返ってるもんだ」
「偏見だ」
レオンハルトが不本意そうに呻く。
「もしラニアルさんがいなかったとしても、あの城はとても興味深いです。宝箱や、すごい秘宝があるかもしれません」
「あんま期待すんなよ。裏切られたときがっかりすんぞ」
そう言われても期待は止まらない。リゼットはもう完全に城に行って探索するつもりでいた。
前に行ったときは固く門が閉ざされていたが、そんなものはなんとでもなる。壊してもいいし、穴を開けてもいい。
「もし、どうしてもどうにもならかったら、一度地上に出てからまた潜ってみましょう。二度目はきっと、もっと楽しい冒険になります」
「前向きが過ぎるだろ……にしてもレオンの生地、めっちゃ膨らんでね?」
ディーが驚きの声を上げる。
「そうかな。もともとの量が多かっただけじゃないか」
「レオンの手は大きくてあたたかいですから、パン生地も喜んでいるのかもしれませんね」
「…………」
レオンハルトは力強く生地を捏ね続ける。何も言わないが、耳が赤かった。
「生地に気持ちなんてあるのかよ」
「あります。料理は気持ちを込めれば必ず応えてくれます。ディーは手先が器用ですから、細工や飾りパンもきれいにできそうですね」
「あ? パン屋でもするか?」
信じられなさそうに言いながら、頬についた小麦粉を拭う。
「それは絶対に大人気のパン屋になります! ぜひ投資させてください!」
「お前はやんねーのかよ――って無理そうだな」
リゼットの生地は、まだべちゃっとしていた。水分量が多いのか、下手なのか、捏ねるという段階にならない。
気持ちを込めても、応えてくれないこともある。
「……レオン、続きをお願いしていいですか?」
「ああ、もちろん」
中途半端なパン生地をレオンハルトに任せると、みるみるまとまっていく。
「やっぱりレオンには才能があります! パン作りの才能が!」
「君がそこまで喜んでくれるなら、それもいいかもしれないな」
「正気に戻れ」
「ひとまずこれで発酵させていきましょう」
パン生地に濡れ布巾をかけて発酵を待つ。
キッチンでのんびり過ごしながら、ディーは地図の整理をしていた。
「しっかしどんだけ広いんだよ、この屋敷」
自作した屋敷の間取り図を眺め、ディーが頭を抱えている。
「そうですか?」
「地方の屋敷ならこんなものじゃないか」
「なんだこいつら……感覚が違う……」
マッピング用の鉛筆を見取り図の上に転がし、背もたれに体重を預ける。
「こんだけ広いと住むのも不便だろ? なんだってこんなにでっかく建ててんだ?」
「そうですね……大きな屋敷は家人が住む場所のほかに、使用人の生活する場所や、客人を迎える部屋。それに、収集物を保管展示するためのギャラリー、パーティを行うホールに、備蓄のための倉庫などがありますから」
「詰め込みすぎだろ」
リゼットは苦笑する。
「そうかもしれません。でも多くの人の仕事場でもありますし、役所になる場合もありますし。それにいざというときの領民の避難場所になったりするので、人や物資を収容できるように広くなっているんです」
「住むだけの場所じゃねーのかよ……落ち着かねえな……」
ディーは辟易したように呻く。
「オレは小さくても狭くても、落ち着ける家がいいね」
「……確かに、それはそれでいいかもしれない」
「はい。家族の距離が近くて、きっと楽しいと思います」
リゼットはパン生地の様子を確認する。
「よかった。ちゃんと膨らんでいます。形を整えていきましょう」
パン生地を小さく分けて丸く整え、天板に並べていく。
「これを石窯に入れればいいのか?」
「いえ、このままもう一度膨らませます」
「どんだけ手間かけるんだよ……」
「その方がふんわりしますから。さぁ、お茶を飲んで待ちましょう」
お茶を入れてのんびりと過ごしながら、レオンハルトはパン生地を眺める。
「パン一つでも手間がかかっているんだな」
「食べるのは一瞬なのにな」
「そうですね。だからこそ最高の一瞬にしたいです」
石窯に魔法の火を入れる。
「そう思うと、ダンジョンマスターってすごいですよね。パンを作るのも大変なのに、モンスターを作るなんて。しかもダンジョンまで。どれほどの情熱を持って作っているのでしょう」
「一緒にするもんじゃねーだろ……」
パン生地が再び膨らむのを待ち、石窯に入れて焼いていく。
少しすると小麦の芳醇な香りが漂ってくる。焼けてきたのを確認して天板を取り出すと、丸く膨らみよく焼けたパンが現れる。
味見のため三等分にして食べると、ふわっとした感触ともちっとした食感、小麦の香りがいっぱいに広がる。
「うまっ」
ディーが驚いた顔で口元を押さえる。
「ああ。自分で作ったものだと、より愛着が湧くな」
「はい、とってもおいしいです」
焼き立てということもあってかとても美味だ。
「そうだ、サンドイッチを作りましょう。食べたいときにすぐに食べられるように」
パンを半分に切って、焼いたペリュトンの肉とチーズを挟む。
新鮮な白ブドウもたくさん集めて、準備万端にして城に向かった。