147 悠久を生きるエルフ
緊迫した大広間に、弦楽器がひとつだけ音楽を奏で続けている。
「おい……あいつ完全にヤバいぞ。逃げた方がいいんじゃね……?」
ディーが声を潜めて囁いたとき、ラニアルがぱっと顔を上げた。
「ああ、安心してよ。これはあたしの作ったホムンクルスだから」
ラニアルは血まみれの魔石に、愛しそうに頬ずりする。その表情はとても幸せそうで、その瞳はどこか虚ろだ。
「ただの作り物。本物のエルルはとっくにちゃんと死んでるよ」
魔石に触れるようなキスをして、微笑む。
「でも、戻ってきてほしいから。偽物でも戻ってきてほしいから、再現実験中。まっ、今回も失敗しちゃったけど、挑戦に失敗はつきものだもんね。成功するまでやるだけさ」
「ポジティブすぎてタチ悪ぃ……」
「……死んだ相手を無理やり蘇らせて、記憶を改竄して、檻に閉じ込めて愛でているのか」
レオンハルトが嫌悪感をあらわに呟く。
剣先は揺らぎなくラニアルを向いていた。
「このダンジョンはそのための箱庭か」
「まあそうだね」
肯定しながら床に落ちていたエルクドの本を拾い、胸に抱く。
「――ラニアル・マドール。君のしていることはあらゆる生命への冒涜だ」
強い言葉と共に、剣を手にラニアルに一気に接近する。
鎧を着ていないからか、リゼットが知っている速度よりもずっと速い。そのスピードでアダマントの黒剣が躊躇なく振り下ろされる。
――ガキィィン!
鈍い金属音と共に剣を受け止めたのは、いずこからか現れた棘のある黒い球体だった。
(巨大ウニ――!)
空飛ぶ巨大ウニ――魔術師の眼が、長く伸ばした棘でレオンハルトの剣を受け止める。
棘はさらに伸び、レオンハルトを貫こうとする。レオンハルトは盾でそれを防ぎ、いったん後ろに下がった。
「さすがヴィルの王子様。偉そうなところは始祖竜そっくりだよ」
「知ったような口ぶりだな」
「知ってるからね。お望みなら詳しく教えようか?」
悠久の時を生きるエルフは、含みのある笑い方をする。
「ラニアル・マドール。君は多くのことを知っているんだろう。なら、いまの俺の考えもわかるだろう」
「生かしておけないって目をしてるね。リゼットのことはもう諦めたって言ってるのに、しつこいなー」
――ガキィィィィン!
剣が。見えない速さで再びラニアルに迫り、魔術師の眼がそれを受け止める。だが、受け止めきれずに割れる。中身は何もない。鉱石インクを流し込んだような艶のある闇の断面を見せて、落ちる。
「覚醒した【竜の血】怖い! 何匹ドラゴン食べてきたのさ!」
ラニアルは悲鳴を上げて空中へ逃げる。シャンデリアの上まで。
「もーっ! モンスター食べて強くなるなんて信じらんない!」
「オレが見てきた中で、間違いなくテメーが一番最悪なモンスターだぜ。食えねーけど」
「モンスター呼ばわりとか、さすがにひどくない?!」
ラニアルが顔をディーの方に向ける。その眼前にディーの投げたナイフが迫る。
それはラニアルに突き刺さる前に、見えない壁に弾かれて落ちる。しかし二本目は――シャンデリアでできた死角を縫って投げられたそれは、ラニアルの手に当たった。
魔石を握りしめる手に。
「――――ッ」
ラニアルの手から魔石が滑り落ちる。
床に当たる寸前、転移したラニアルが床と魔石の間に飛び込んで受け止めた。
息を切らせながら強く胸に抱き、ディーを睨む。
「あたしのエルルになんてことをしてくれるの!」
無詠唱の魔法が炸裂する。魔力をただぶつけただけのような、シンプルで暴力的な魔法――
【聖盾】
レオンハルトの魔力防壁がそれを防ぐが、盾が大きく揺れる。あまりの力の強さか。
「もう怒った。あんまりいい気にならないでよね。あたしはダンジョンマスターだよ」
ラニアルの雰囲気が変わる。
無邪気な道化師の顔から、老練なエルフの魔術師に。
何年生きてきたかも定かでない、底の見えない深淵を纏った姿に。
ラニアルの手の中に別の魔石が現れる。ダンジョンマスターの魔力を受けたそれは受肉し、変形する。
魔石を中心にして、黒い獣のモンスターが生まれていく。
「出でよ、フェンリル――」
ラニアルが魔石を高く投げた瞬間、黒い塊から四肢が生え、尾が生え、頭が盛り上がり――
【火魔法(神級)】【魔法座標補正】
「ブレイズランス!」
モンスターが完成する直前に、リゼットの魔法が黒い獣を貫いた。白い炎はモンスターを完全に焼き尽くし、灰にした。中央にあった魔石が床に落ち、ころころと転がる。
ラニアルは愕然としながらそれとリゼットを見た。
「な……な……作ってる最中に攻撃する普通?! おーぼー! ひきょうものー! オニ、悪魔!!」
「――ラニアルさん」
リゼットはラニアルを見つめる。
感情の揺れひとつ見逃さないように、真っ直ぐに。
「教えてください。ラニアルさんの本当の望みは何ですか?」
ラニアルは口元をひくつかせた。
「なにそれ。叶えてくれるの?」
「そのまま叶えることはできないかもしれません。ですが、お互いの希望を知ったうえで、話し合うことはできます」
「交渉かぁ。じゃあリゼットの望みは?」
問われ、リゼットは即答した。
「いまの私の望みは、ラニアルさんに笑ってもらうことです」
「は?」
きょとんと目を瞬かせる。
「ラニアルさんは大切なお友達ですから」
大切な人には心から笑っていてほしい。穏やかに生きてほしいと、リゼットは思う。
いまのラニアルは歪で病的だ。そうさせたのがリゼットだとしても。
ディーが後ろからリゼットの肩を引く。
「本気かお前。いまこいつがお前をどうしようとしてたか、いままでこいつが何をやったか、もう忘れたのかよ」
「忘れてはいませんが、私の意志を尊重してくださいましたし……」
リゼットが断ればあっさりと引いてくれた。
「それに私は、ラニアルさんは本当は優しい人だと知っていますから。でなければ、ノルンのダンジョンの前で完全初心者の私に声をかけてくださらなかったはずです」
静かになった大広間に、ラニアルの笑い声が響いた。
「はっ、あはは……恥ずかし……ヒューマンのお友達は初めてだよ」
ラニアルは耳を赤くして黒髪を耳にかける。
「……まあ、悪い響きじゃないかな」
「ところでラニアルさんは、食べ物は何が好きですか?」
「んん? 話が変わりすぎじゃない?」
「美味しいペリュトン肉があるんですが、ご一緒にどうですか?」
「あはは、リゼットは本当におもしろいなぁ」
言って、床に落ちていた白ブドウを拾う。
「あたしはエルルのブドウが好きだった」
一粒もいで、食べる。
「……うん、美味しい……あたしの心からの望みは、エルルと面白おかしく暮らすことだよ。ブドウを食べて、たくさん話をして……どうして、あのときにちゃんとそう言わなかったんだろ」
その声は、少し気の抜けた話し方で。
目じりの下がった笑い方と共に、ラニアルらしいものだったが、どこか悲しそうでもあった。
ラニアルが軽く手をかざすと、大広間の隅に青い光――帰還ゲートが現れる。
「地上の封鎖は解いてあげたよ。もう帰って大丈夫」
「ラニアルさん――」
「……あたしはただ、見てもらいたかったんだ。あたしのダンジョンを。あたしの選択を。そしてあわよくばリゼットに協力してもらいたかった」
いたずらっぽい笑い方だが、緑の瞳は寂しげだった。誰にも触れられない悠久の孤独がその瞳に宿っていた。
「安心してよ。いまはもう、そんなこと思っていないから。友達だもんね」
ふわりとラニアルの身体が浮かび上がる。
「じゃあね。さようなら」
まるで永遠の別れのように言って、ラニアルは姿を消した。