141 イレーネとの再会
気がつくと、丘に一人で立っていた。
(ここは、どこ――?)
目に映るのは先ほどまでと似た景色だ。遠景は違うが、背後の巨大な城壁には見覚えがある。
(城の、裏側? いつの間にこんなに移動を……もしかしてこれが転移魔法? 私もついに転移魔法が使えるように? あ、いえそれよりも、戻らないと――)
城の裏手に来ているだけなら、ぐるっと回れば戻れるはずだ。かなりの距離がありそうだが。
歩き始めて、リゼットは足を止める。
もし、レオンハルトとディーが、リゼットを探して城の裏手側に回ってきたら――
逆方向に向かっていればすぐに合流できるが、同じ方向に進んでいれば、入れ違いになって永遠に合流できない。
(せめて、ここに私がいた痕跡と、進行方向を残しておかないと)
「ストーンピラー」
石の柱を立てて、足元に落ちていた白い石でガリガリと文字を書く。
「こちらへ向かいます、っと……うん、これでよし。さて、出発しましょうか」
くるりと進行方向に足先を向けると、ペリュトンが三体、リゼットを阻むように集まっていた。
「エクスプロージョン!」
リゼットが【先制行動】で動く前に、火魔法が真横から吹き付ける。
運よく、リゼット自身はストーンピラーのおかげで炎と爆風から守られる。
一瞬の爆発のあとに残ったのは、白と黒の煙と、こんがり焼けた地面と、倒れたペリュトンたちだった。
(この魔法は――……)
リゼットは魔法の主を探す。煙が風で晴れて、人影が見える。
豊かな赤い髪に、手には黒い杖を持った女性だった。
「イレーネさん!」
リゼットは興奮してイレーネに駆け寄る。
「まさかここで会えるなんて! お仲間の方はどちらに?」
「いないわ。わたくしひとりよ」
「まあ! ソロでここまで? すごいですね!」
「それほどでもないわよ。わたくしなら当然ね」
悠然と微笑み、ふぁさっと赤い髪を揺らす。
「やっぱりモンスター料理を食べて? どんなモンスターを食べました?」
「た、食べるわけないでしょう。あんなもの」
イレーネはあからさまに嫌そうな顔をする。
「まあ、そうなんですね。詳しいお話を聞きたいです。このペリュトンを食べながら話しましょう」
「落ち着きなさい! こんなもの食べるわけないでしょう!」
「ええっ? とってもおいしそうですよ?」
焼けた肉の香ばしい匂いがたまらない。
いますぐ切り分けて食べてしまいたいくらい。
ふらふらとペリュトンの丸焼きのところに向かおうとしたリゼットを、イレーネが引き留める。
「やめなさい! あんなもの、食べるものじゃないわ!」
「でも……――イレーネさん、大変です! 影がありません!」
「影? ああ……」
イレーネは自分の足元を見る。そこには影がない。リゼットにはあるのに。
「ペリュトンに取られてしまっています! 取り戻しに行かないと!」
「いいわよ別に」
「でも――」
影を取られるとどうなるのか。
イレーネは平然としているから、もしかしたら実害はないのかもしれないが。
「いいのよ、これは本物ではないから」
「本物ではない? どう見ても本物のイレーネさんですが、もしかして幻なのですか?」
「そうみたいね。もういいでしょう。わたくしの話したいのはそんなことではないの」
リゼットとしてはもっと詳しく知りたいところなのだが。
赤い瞳がルビーのように輝く。
「リゼット。あなたのことを教えてくれる?」
「私のことですか? どんなことをお話ししましょうか」
「リゼットは、とても強いわよね」
イレーネに確認するように問われて、リゼットは首を捻る。
「そうでしょうか? 他の方の強さはわかりませんが、普通ぐらいかと思います。いえ、普通だなんておこがましかったです。まだまだ冒険者暦も浅いですし、才能がないですし、未熟です」
「はあっ? 才能がない?」
「魔力は少しだけ高いかもしれませんが、ギルドの方にも才能がないと言われましたので」
「それ、絶対に鑑定間違いよ……はあ……これだから無自覚な天才は……」
怒ったように言いながらも、気を取り直すように小さく咳払いをする。
「もしかして、あのシーフも強いのかしら?」
「はい。ディーはとても勇気があって、優しい人ですよ」
イレーネは怪訝な眼差しでリゼットを見る。
「……それだけ? 何か特別な力はないの?」
「とても見やすい地図を作れますし、宝箱を開けられます。罠を見つけられますし、解除も作成もできます」
ディーの特別な力ならいくらでも思いつく。
だがイレーネは納得していないようだった。
「そんなのシーフなら当たり前でしょ。シーフの仕事しかできない下民をレオンハルト様が重用するとは思えないわ」
不機嫌そうに言う。
リゼットはそれに頷くことはできない。
「そんなことはありません」
自分たちのパーティは、誰が欠けても成り立たない。お互いの足りないところを補い合って、ダンジョンをクリアしてきたのだ。ディーは大切なメンバーであり、侮るような言い方は許せない。
「あなたも聖女なのでしょう? 聖女だからレオンハルト様も傍に置いているのよね」
イレーネは反論を許さないとばかりの迫力で言う。
その目は完全に座っていた。まるで何かに追い立てられ、追い詰められているかのように。
「いえ、私は聖女ではありません」
――かつてはその証が身体に現れたこともあったが。
リゼットは自分を聖女だと思っていない。その器に相応しいとも。
どれだけ聖遺物を宿そうとも、女神と対話しようとも、リゼットは人間だ。その肉体も、魂も。
傲慢で我儘な人間だ。
「ならどうしてパーティを組んでいるのよ」
「……きっかけは、瀕死だったレオンを偶然助けて……そこからドラゴンを倒しに行くことになったんです」
「あら……そうだったのね。あの方は正義感に厚いから、助けられた恩を返すためにいまだにあなたと共にいるのね」
イレーネは安心したように息をつく。
「…………」
レオンハルトが瀕死の状態に陥ったのには、イレーネも関わっているはずだ。なのにまったく気にする様子もない。
「でもそれも口実よ。レオンハルト様にはやっぱり野心があるのよ」
「レオンに野心ですか?」
リゼットの知っているレオンハルトに、その言葉は似つかわしくない。
だがイレーネはそれしかないとばかり
「野心があるからこそ、わたくしよりもあなたを選んだ……そうでしょう? わたくしよりも強い力を持つ、あなたを……そうよ、でなければわたくしが捨てられるはずが……」
リゼットは首を傾げながらも考えた。
どうやらイレーネは自分よりもリゼットの方が強いと思い込んでいて、レオンハルトがリゼットの力を利用するために、イレーネではなくリゼットを優先している――そう思っているようだった。
(レオンに野心というのはしっくり来ませんが……)
レオンハルトは異国の第二王子だそうだが、国に帰るつもりはなさそうだし、王になるつもりはもっとなさそうだ。
ただ、レオンハルトは王族として生まれ、王族として育ってきた。成人の儀を成功させるために学び、鍛え続けてきた。モンスターに対する知識や、咄嗟の判断力、戦闘能力を見てきたリゼットにはよくわかる。あれは彼の半生のすべてを捧げて会得してきたものだと。
――だから。
もし王として求められれば。
レオンハルトは王となるかもしれない。
少なくとも、王族の義務から逃げるようには思えない。
「とにかく、ドラゴンを倒していないのなら、まだあらゆることが間に合うはずなのよ……どんな道だって――」
「あのー」
ぶつぶつ呟くイレーネに声をかけるが、イレーネは顔を上げない。
「そうよ……危険なドラゴン討伐なんてしなくても……ドラゴンの子どもの血を浴びれば充分なのだから……」
「倒しましたよ、ドラゴン」
「……え?」
イレーネがぽかんとしてリゼットを見る。
「レオンはドラゴンを倒していますよ。二匹」
「二匹?!」