137 第五層のエルフ
長い階段を下りていく。
しばらくは階段に落ちてきた砂が積もっていたが、それも次第に消えていく。
深い階段でも、終わりはある。遠くに光が見えてくる。
そして、光の中へ。
――第五層。
そこは街だった。眩しい光に溢れ、青い空が広がる階層だった。そしてその下には街が広がっていた。石造りの街に、整備された石畳。リゼットの知る王都に負けず劣らず発展した街だった。
だが、人がいない。
生活の痕跡はあるのに、住人はもちろん、モンスターもいなければ、他の冒険者もいない。寂寥としていた。
「なんだか、懐かしい感じがしませんか? ノルンのダンジョンでもこのような階層があった気が」
「ああ……五層の廃墟街か」
「言われてみりゃそうか。空の色が違うとだいぶ印象が違うな」
「遠くの城も……街並みも、あそこの塔も、見覚えがあります」
わくわくしながら見渡していると、ディーが荷物の中から紙の束を取り出す。地図だ。
「ディー、地図を保管してるのか?」
「んー……そりゃあまあ、な」
何故か照れくさそうにしながら、地図の中から目的のものを探す。
「あー、同じだこれ。地図と地形、見える範囲はまるっきり同じ」
「まあ。やっぱり同じ街が再現されているんですね」
――滅びる前。あるいは滅びた直後の姿が。
「なら、あのお屋敷に行ってみませんか? もしかしたらブドウも再現されているかも!」
「んなまさか」
「まあ、行くだけ行ってみよう」
地図を辿って街を探索する。
しばらく歩くうちに、どこからともなく甘い匂いが漂ってくる。
どきどきしながら進むと、見覚えのある屋敷が見えてくる。
大きい屋敷に、手入れの行き届いた広い庭園。ノルンのダンジョンにあった屋敷にはトレントの幹が残っていたが、ここにはない。だが庭には、白ブドウの木があった。一本ではなく何本も。他の木の枝を棚にして、立派にたわわに実っていた。
「うお、マジかよ」
「やっぱりあの白ブドウでしょうか」
「んなまさか」
「食べてみればわかります」
「リゼット、気をつけてくれ――」
リゼットが白ブドウに手を伸ばした刹那、ツタの合間からにょろにょろと出てきた緑色の触手に手首を捕まれる。
【鑑定】グリーンテンタクルス。植物系の触手。敵や獲物を拘束し、養分を奪う。
テンタクルスはあっという間に数を増やし、リゼットの身体に巻き付いて拘束してきた。
「リゼット!」
「この馬鹿!」
レオンハルトがテンタクルスを斬ろうとするが――新たに伸びてきたテンタクルスに二人も捕まる。
「こいつ――!」
「なんだよこりゃ!」
テンタクルスの表面はすべすべしていて痛くはない。締め付けも強すぎず苦しくはない。だが、このままだと肥料コースだ。
魔法で一気に燃やしてしまおうとリゼットが決めたとき――
「侵入者め。僕の屋敷に忍び込むとはいい度胸だ」
高圧的な男性の声が響き、テンタクルスの動きが停止する。
声をした方を見ると、そこにはおそろしいほど整った顔立ちをしたエルフがいた。
銀色の髪に、銀色の瞳。
――ぞわり、と背中に冷たいものが走る。
(そんなわけが――……)
リゼットは己の直感を否定した。
肌の色が違う。顔つきも違う。声色も違う。見た目の年齢も違う。
――だが。
その姿は、リゼットの聖痕を奪い、妹メルディアナに移殖したダークエルフの黒魔術師にそっくりだった。
胸が締め付けられる。
彼は死んだ。ここにいるはずがない。だがどうしても、同一人物に見える。同じ匂いがする。
「――あ、あなたはもしかして、エルクドの――」
「気安く名前で呼ぶな! 無礼者!!」
血縁者かと問おうとすると、激昂する。激しい怒声がリゼットの身を竦ませた。
「貴族の僕を名前で呼ぶとは、いまこの場で殺されても文句は言えんぞ!」
テンタクルスの拘束が強まる。このままでは窒息する。
――血縁者ではなく、まさかの本人なのか。
「……確か、伝統を重んじる年配のエルフの中には、名前だけで呼ばれるのは侮辱だと感じるものがいるという話を聞いたことがある。フルネームか、決まった愛称で呼ばないといけないとか」
レオンハルトが小さい声で呟く。
「そんなマナーが……だとしたら、大変、失礼なことを……」
相手の文化やマナーは最大限尊重しなければならない。人種が違うなら尚更。祖父にそう教えられて、多くの種族の歴史やマナーを学んできたつもりだったが、まだまだ知らないことばかりだ。
(フルネーム……)
リゼットは必死に記憶を手繰り寄せる。
――確か名前は。
「……エルクド・ドゥメルさん?」
「発音が違う!!」
「わかりません……!」
そもそも絶妙に呼びにくい。
エルクドは諦めたように大きくため息をついた。
「発音も満足にできないのか。教養がなく舌の回りも悪いとは……仕方ない。エルルでいい」
呼びやすい愛称で呼ぶことを許され、リゼットは心底ほっとした。
「はい、よろしくお願いします。私は――」
「それで貴様らは何をしに来た」
遮られて名乗れない。彼にとってはこちらの名前などどうでもいいのかもしれない。
リゼットは聞かれたことに答えた。
「ダンジョンの探索です」
「おい、馬鹿正直に言うな馬鹿」
ディーが呻くが、一度口にした言葉は戻らない。
「ダンジョン……? ああ、以前流行したアレか。謎ときだのスリルだの冒険だのの、大魔術師殿のお遊びか。どうしてそんなものと僕の屋敷を間違える?」
「……えっと……」
リゼットは答えに迷う。
(もしかして、ここがダンジョンだと気づいていない?)
黙っていると、銀の瞳に睨まれる。
「僕の名前を知っているのだから、ここが僕の屋敷というのもわかっているだろう」
「知りませんでした」
「ほう……?」
エルクドは不機嫌を隠さない。
テンタクルスがぎゅっと締まる。
「ほ、本当です。私たちはラニアル・マドールさんの作ったダンジョンを探索しているだけです。そしたら、このお屋敷があって――」
「……ラニアル・マドール? ……なんだ。大魔術師殿がまた何かやらかしたのか? しかもこの場所を巻き込んでいるのか?」
テンタクルスの拘束が緩む。
エルクドがリゼットたちに向けたのは、同情の眼差しだった。
「貴様らも災難なことだ。相当振り回されているんだろう?」
「おーそうだ! オレたちは被害者だよ!」
エルクドは額の髪をくしゃりとする。――頭が痛い、と言わんばかりに。
「仕方ない。ここで休んでいったらいい。だが余計なことはするな。騒ぎも起こすな」
声も言葉も態度もぶっきらぼうだが、その行動は優しい。もはや敵意もない。
リゼットは困惑した。
(もしかしたら、同姓同名のよく似た別人なのかも……)
もしも彼がリゼットの知るダークエルフだったら、絶対にリゼットを許さないはずだ。彼の目論見も、ダンジョンも壊し、彼を倒したリゼットを。
テンタクルスに拘束されたまま、リゼットは頭を下げた。
「エルルさん、ありがとうございます」
「発音が違う……」
呆れ顔で言われる。これ以上どうすればいいのだろうか。
「――で、貴様らは何の種族だ。妙な耳をしているな」
エルフ族の耳は長い。それと比べればリゼットたちの耳は明らかに短く、丸く、生粋のエルフには異様に映るのかもしれない。そのエルフから見れば、ヒューマンもドワーフもノームもリリパットも同じように見えるのだろう。
「ヒューマンです」
「ヒューマン? 聞いたことがないな。新種か?」
「…………」
リゼットは言葉を失い、そして自分の浅はかさを思い知った。
――世界は広い。ダンジョンも広い。ヒューマンを知らない人がいてもおかしくない。
「間抜けヅラだが造形はずいぶん僕らに似ている。変異種か? 言葉を話せる程度の知能はあるようだが……」
エルクドはぶつぶつと独り言を言いながら考え込み、自嘲気味に笑った。
「まあいい。久しぶりの客人だ。もてなしてやろう」
ようやくテンタクルスから解放されて、地面に降ろされる。
エルクドはついてこいと言わんばかりに、背中を向けて屋敷の方に歩いていく。
「どーする? 無理やり逃げるか?」
「――行きましょう。気になるじゃないですか。彼の正体も、おもてなしも!」
ディーが信じられないものを見る目でリゼットを見る。
「どの道、簡単には逃げられそうもない」
レオンハルトが背後を見つめる。そこにはテンタクルスの壁がある。魔法で燃やすこともできるだろうが、そうなるとエルクドを完全に敵に回すことになる。
逃げ出せる状況ではなかった。