114 安息の泉
遺跡の陰で雨宿りしながら外を見る。
雨は激しく降り続け、足元にはあっという間に水たまりができる。そこで跳ねた水が霧となって身体にまとわりついてくる。
雨を喜んでいるのか、カエルの鳴き声がどこからともなく響いてくる。
「景気良く降ってんな」
「考えていた量よりちょっと多いです……」
リゼットは困惑していた。想像していたよりも魔法の威力が高まっている。
聖遺物の力が高まっているのか、それともこのダンジョンに何かあるのか。最も考えられるのは、己の魔力操作の未熟さだ。
「少なくて延焼するよりよっぽどいい。雨が止むまで、中の探索をしていこう」
レオンハルトが遺跡の奥へと入っていく。
「リゼットは魔力を温存していてくれ。弱いモンスターは俺が払う」
「はい。それでは明かりだけ」
灯火の魔法を使い、薄暗い遺跡の中を照らす。
石造りのその場所は、大半が植物に侵食されて崩れかけているが、木々の太い根で形が保たれてもいた。
空気の湿り気は、雨のせいだけではないだろう。石と土と、雨のにおいを嗅ぎながら奥へ進む。
そしてこんなところでもスライムはいる。血のように赤いレッドスライムが、石の隙間から這い出すように現れる。それをレオンハルトが枝払いをするかのように斬って倒していく。
ディーは鉛筆でマッピングをしながら、時折コンパスを見て方向感覚を修正している。
「ディーのつくる地図はすごいですね」
「あ? なんだ、今更オレの凄さがわかったのか?」
「はい。私もマッピングをやってみましたが、もう全然で」
「こんなの慣れだ慣れ。あとはスキルだな。まっ、シーフを大事にしろよ」
声を弾ませ、得意げに笑う。
「にしても迷宮にしては妙だよな。左右対称で、構造が単純だ。トラップも仕掛けもねえし」
「神殿かもしれないな。同じような、エルフのつくった神殿を見たことがある」
「ならここは、どの神を祀ったものなのでしょうね……」
女神なのか、女神が来るまで大地を支配していた巨人なのか、それともリゼットの知らない、エルフたちの神か。
(本ばかり読んで、知識ばかり蓄えても、わからないことばかり……おじい様のおっしゃっていたとおりね)
リゼットの国にはヒューマン以外の種族はほとんどいなかった。貴族として、他種族と関わるときのために歴史やマナーやタブーを学んだが、その知識はほんの上辺をなぞっただけだ。
実際に触れて、話さなければ、理解することなどできない。
――ラニアルのことも。
彼女が何を考えているのか、どうしてこんなことをしたのか。いまのリゼットにはわからない。
ラニアルは、リゼットにとっての恩人だ。そしてラニアルは「会いにきて」と言った。
(ラニアルさんに会わないと)
ダンジョンにいればいるほど、その思いは強くなっていく。
そうして探索を進めているうちに、不思議な部屋に辿り着く。
丸いドームのような石室の中央に、花畑があった。天井に空いた穴から、光と雨が差し込んできている。その下で、黄色やピンクの花が色鮮やかに咲いていた。
「まあ……すごい! 毒消し草や麻痺消し草も生えていますよ。ベアネギまで!」
【鑑定】ベアネギ。熊が好んで食べるネギ科の草。血行促進効果がある。
回復アイテム兼食材が手に入ってリゼットのテンションが上がる。
「この部屋は安全みたいだな。休憩所のようなものか」
「だったらそろそろ休もうぜ。なんか疲れた」
「そうだな。食事にして、睡眠を取ろう。俺が作るからふたりは休んでてくれ」
レオンハルトに言われ、リゼットは素直に甘えることにした。
「ありがとうございます。それでは、お任せします」
魔法で煮炊きと暖を取るための火を着けて、料理に使うための食材をアイテム鞄から取り出してから、少し離れたところに座る。
ディーはレオンハルトの横にしゃがんだまま、並べられた食材たちを見つめている。ファニーアップルロフィウスの皮にアラに切り身、各種の回復草、乾燥させたサウザンドブロブ、鶏の卵にイモ。
「どうしたんだ」
「気にすんな。変なもの入れねーか見てるだけだから」
「……それは心強いな。それじゃあイモの皮をむいてくれ」
「へいへいっと」
イモを受け取って、ナイフでスルスルとむいていく。慣れた手つきで。
リゼットは座って休みながら、その光景を見ていた。料理に参加したいが、いまは少し疲れた。体力のない身体が恨めしい。
最近は寝る前に筋力トレーニングもしているが、中々ふたりに追いつけない。
(もし、おふたりも筋力トレーニングをしていたら、永遠に追いつけないのでは?)
元々の体力差に、筋肉の付きやすさの差。それを埋めるにはどうすればいいのか。
「難しい顔で何考えてんだ」
皮むきを終わらせたディーが、リゼットの方へやってくる。
「マッスルになるにはどうすればいいかと」
「食え」
「はい。食事は大事です」
ただ、食事だけでは筋肉はつかない。
やはりトレーニング。それも効率のいいトレーニングが必要だ。
「鍛えたくてもレオンには相談しない方がいいぞ。あいつ筋肉にはスパルタだからな」
「聞こえてるんだが」
「聞かせてるんだよ。……ったく、贅沢な悩みしやがって。こっちは体重減らしつつ鍛えようとしてるっつーのに」
言いながらリゼットの隣に座る。
「ま、変に気張らなくていいだろ。パーティなんだからよ。助け合いってやつだ」
「……はい。ありがとうございます」
「つーわけでオレに戦闘は期待すんなよ」
レオンハルトは陸魚の皮とアラを焼いてから、水を入れてサウザンドブロブで出汁を取って、残りの食材を入れていって鍋にする。
すべて材料を入れたところで、リゼットはユニコーンの角で一混ぜして毒を消す。
あとは灰汁を取りながら煮込む。ぐつぐつと煮立ち始めると、いい匂いが漂い始めて食欲を刺激する。
しばらく経つと全体的に火が通り、いい具合になってきた。
「そろそろいいかな」
それぞれ器に取り分けて。
「いただきます」
全員で揃って食べる。
リゼットはまずはスープを飲んだ。様々な具材から出汁の染み出したスープのあたたかさが、胃から全身に染み渡っていく。
「おいしい……」
ほっと息をついて、具材を食べる。噛みしめて、飲み込んで。
「出汁が効いていて、とってもおいしいです。特にこの魚の身、絶品ですね」
旨みが強く、火を通したことで身は適度に引き締まりホクホクになっている。野菜との相性もいい。
身体が芯からあたたまり、元気も出てきて、身も心も満たされる。
「レオンも腕上がってきたよな」
「ええ、本当に」
「口に合ったならよかった」
嬉しそうに言う。
「それにしても、煮ても焼いてもおいしいだなんて……ファニーアップルロフィウス……なんて素敵なモンスターなんでしょう」
「一緒に食ったあいつらが広めて、いまごろ乱獲されてるかもな」
「まあ。地上でモンスター料理が広まっているかと思うと、胸が熱くなりますね」
やはりモンスター料理。モンスター料理が街を、世界を、救うかもしれない。
だがレオンハルトは難しい表情で、鍋の陸魚肉を見つめていた。
「第一層のモンスターで、街全員を支えられたらいいんだが……」
「それは、モンスターが枯渇する恐れがあるということですか?」
リゼットが問うと、レオンハルトは頷く。
「このダンジョンは、おそらくあまり広くない。モンスターの回復速度によっては、全員の腹は満たせないだろう」
「そうですか……そんな問題もあるのですね」
食べるものがなければモンスターを食べればいい――そんな単純な問題ではない。
「その辺はオレたちの考えることじゃねーだろ。お偉いさんとギルドに任せとけ」
「そうですね。私たちにできるのは、ダンジョンをいち早く攻略することです!」