111 異常事態
「まーとりあえず、そっちのお貴族様はレオンの婚約者で、レオンを殺すつもりも見捨てたつもりもないと」
ディーがイレーネを指差し、確認するように言い。
「んでレオンはとっくに絶縁したつもりで、ヨリを戻す気もないと」
レオンハルトを指差し、また確認するように言う。レオンハルトは無言で頷く。
「わかったようなことを言わないでちょうだい!」
イレーネは激昂していた。
その姿を見るレオンハルトの目は冷静そのものだ。
「イレーネ、君と俺には決定的な認識の違いがある。――クラウスは、命じられていたんだろう。ドラゴン討伐を成功させそうなら、その前に俺を排除するように」
話を聞きながら、リゼットはだんだん不安になってきた。他国の事情をこんな風に聞いていていいのだろうかと。ディーも耳をふさぎたそうにしている。
「ギュンターとヒルデは脅迫されて、君は君の理屈でクラウスに従った」
「……それは……」
「責めるつもりはない。俺も至らないところばかりだった。君にそんな決断をさせた俺にも責任はある」
イレーネは何かを言おうとして押し黙り、顔を伏せた。
「イレーネ。俺たちの関係は、あのダンジョンで終わったんだ」
「……そんな……わたくしは……」
「君が望んでいるのは、王に従順な王弟か? それとも俺自身が王位を狙うことか? 俺は、君の望みには何一つ応えられないし、応えるつもりもない」
「――レオンハルト様……わたくしの話を聞いてください」
レオンハルトは静かに首を横に振る。
「俺たちはもう生きている場所も、見ている未来も違うんだ」
「…………ッ」
パンッと乾いた音が響き。イレーネの手がレオンハルトの頬を叩いていた。
イレーネは荒くなる息を抑えながら、無言で去ろうとする。
「イレーネさん、忘れ物です」
杖を持って追いかけると、イレーネは引っ手繰るようにしてリゼットから杖を取った。
リゼットを見る赤い瞳は、憎しみと悲しみに歪んでいた。
レオンハルトがリゼットとイレーネの間に、庇うように入る。
イレーネは顔を上げ。
「わたくしが、あなたの目を覚まして差し上げますから」
言って、くるりと踵を返し、広場の方へ颯爽と歩いていく。一度も振り返ることなく。
「おー。男前になったな」
平手打ちの痕が残る頬を見て、ディーがからかうように笑う。
「どうしてこんなことに……」
レオンハルトの呻きは困惑しきっていた。イレーネとの再会も、イレーネの態度も、完全に予想外のものだったようだ。
「婚約話が消えたと思ってたのはお前だけってわけだな」
「……本人にまだそのつもりがあったなんて思わないだろう……政略的な価値のなくなった政略結婚なんて――……」
「鈍いなお前。あの女は賭けてたんだ。自分のためにレオンが無謀な夢とやらを捨ててくれるか、もしくは全部捨ててついてこいって自分に言ってくれるか。んで賭けに負けてスッカラカン。自業自得」
肩を竦めて首を振る。
ディーの推理は的を射ているように、リゼットにも思えた。どうしてそこまでわかるのかと不思議になるほどに。
レオンハルトはますます困惑顔になる。
「なんだってそんなことを……」
「本気で鈍いな、お前。ま、その気がないんだから終わりだ終わり」
――これは、リゼットにもわかった。好きだからだ。特別な感情があったから、特別な期待を寄せた。問題なのは、やり方だ。
そしてイレーネは失敗した。
「……イレーネさん、大丈夫でしょうか」
短い間だが冒険を共にし、共に戦い、同じモンスターを食べた。
モンスター料理を食べる人に悪い人はいない――というのがリゼットの持論である。既に仲間意識も目覚めている。
「いままでやってこれてるんだから平気だろ。頼まれてもないのに気を回す必要はねーよ」
「彼女も魔術士としては優秀だ。それよりもいまは、俺たちがこの状況を切り抜けることを考えよう」
「そうですね……とりあえずお茶にしましょうか」
リゼットは火魔法と水魔法の混合魔法で湯を沸かし、お茶を淹れる。
「ジャムを入れていいですか?」
「ああ、頼む」
「いーけど、なんのジャムだよ」
「リンゴ風ジャムです」
「風のつく場所がおかしい。どーせまたモンスターなんだろ……」
リゼットはファニーアップルのジャムをお茶に溶かす。
飲むと、ハチミツとリンゴの甘みが爽やかで、身体に染みわたる。
「甘いものは落ち着くな……」
「はい、とても」
「――で。なんのモンスターなんだよ」
「ファニーアップルロフィウスというモンスターの頭部分です。頭に生やしたリンゴのコンポートも美味でしたが、陸魚部分も大変美味しそうでした。食べられなかったのが残念です……」
あの大きさなら可食部分も多かったはず。何人分の食料になっただろうか。
「……クソ。普通にうまい。お前って本当にどこでも生きていけそうだよな」
「頼もしいじゃないか」
「そこに異論はねーけどよぉ。で、これからどうするよ」
「……このまま外に出ることはできないんだろうか」
レオンハルトが街の外側の空に目をやる。
「ちょこちょこ話が聞こえてきたけど、外に出る道は全部閉ざされているみてーだぜ」
――つまり、脱出は不可能ということになる。見つかっていないルートがあるかもしれないが。もし見つかったらその噂は一瞬で広がり、人々は我先にと外へ逃げ出すだろう。いまのところその気配はない。
「――もし、本当にすべての脱出手段が閉ざれているとしたら。きっとこれから、恐ろしいことになる」
レオンハルトは真剣な顔で言う。
「お、おい……あんまり脅すなよな」
「脅しじゃなくて事実だ」
享楽都市という人々の欲望が渦巻く街が封鎖され、大量の人々が閉じ込められて。
ダンジョン領域という特殊な環境下で、ストレスに晒され続ければ、遠からず暴徒が現れるだろう。
この現状を打破するには、ラニアルに解除してもらうか、ダンジョンをクリアするしかない。
「ラニアルさんは、深層に来るように言っていましたね……」
「どのみちクリアしねーとダメってことか。クソッ、バカンスが台無しだ」
お茶を飲み終わり、片付けをしていると、街中にある動く絵画が突然ひとりの女性を描き出した。
浅黒い肌に、濃い灰色の髪。やや丸い鼻に、ヒューマンよりも少しだけ大きな耳。
ドワーフの女性の、堂々とした姿を。
『――我が愛するランドールの諸君。私は市長のタガネだ』
凛々しい声が、街に、地面に、空に響く。
街の人々が一斉に顔を上げ、市長の姿を見上げる。
『皆も知っての通り、いまのランドールは未曽有の危機に晒されている。錬金術師ラニアル・マドールの卑劣な裏切りにより、この街すべてがダンジョンと化してしまった』
正義感に溢れた顔に、抑えきれない怒りが滲む。
『この街には戦えない一般市民もたくさんいる。そして外部へ通じる道の封鎖により物流も滞り、食料の確保すら見込めない。このままでは、長くは持たない』
危機的状況を正しく伝えるためか、市長は厳しい状況も開示する。
人々の間にさらなる動揺が広まる。
リゼットはこっそりとレオンハルトとディーに言う。
「食べ物がないのなら、モンスターを食べればいいのでは?」
「リゼット。それは最終手段だ」
「お前が処刑されかねなくて怖えーよオレは……」
ふたりに反対されておとなしく黙る。
その間にも市長の演説は続く。
『だが我々には知恵がある。勇気がある。そして、欲望がある!』
――欲望。
黄金都市――あるいは享楽都市にふさわしい言葉が、動く絵画から街に響き渡る。
『この事態の解決に貢献したものには、相応の報酬を用意しよう。私が保有するすべての黄金を! 諸君らが望む、この世のすべての快楽を約束しよう! 欲望を叶えよう!』
熱の入った言葉に、冒険者たちがざわめき出す。
この街に集まったのは何らかの欲望を持った者たちだ。市長はそれを叶えると、皆の前で約束した。火のついた欲望は、胸の中で、腹の底で、熱を高めていく。燃え上がっていく。
『さあ旅立て、冒険者たちよ――我らの怒りを、魂を、欲望を、裏切り者の錬金術師に思い知らせてやるのだ!』
熱狂的な歓声が割れんばかりに響き、冒険者たちはダンジョンを攻略すべく行動を開始した。欲望のままに。
「……オレらも行くのか?」
「……正直なことを言うと、ものすごく眠いです」
「そうだな……夜も遅いし、せっかく宿も取っているんだ。休もう」





