110 仲間との再会
――帰還ゲートを通ると、地上に転送される。
リゼットの目に映ったのは、夜のランドールの街の広場だった。隣にはイレーネもいる。
広場で一番目立っていたドワーフの女性市長の銅像も健在だったが、その台座の部分には、大きな入口ができていた。ダンジョンへの入口が。そして広場には、混乱する人々が群れを成していた。
変化はそれだけではない。街全体の様相が変わっている。ランドールに来て日の浅いリゼットには外観の変化はほとんどないように見えたが、街を包む空気は一変していた。混沌と、不安と、疑心暗鬼。そして恐怖。
ランドールという享楽都市の闇の部分が増長され、黄金都市の輝きが失われている。
リゼットは少しだけ不安になった。この人だかりと、この混乱。探し人は見つかるだろうか。
「リゼット!」
名前を呼ぶ声に、不安が一瞬で消し飛ぶ。
喜びと安堵が胸に込み上げ、声のした方に手を上げる。
「レオン! ディー!」
人ごみを搔き分けてやってくるふたりの姿が見え、リゼットはほっとした。レオンハルトもディーも怪我をしている様子はない。
リゼットの前まできたレオンハルトが、リゼットの全身を確認して安堵の息をつく。
「無事で、よかった……」
「はい。おふたりも無事でよかったです」
「ホント、合流できてよかったぜ。お前がどんどん先に行っちまわないかってことだけが心配だったからな」
第二層を見に行こうとしたことを、見透かされているようだった。
その時、背後でカランカランと何かが落ちる音がする。振り返ると、杖を落としてわなわなと震えているイレーネの姿があった。
「レオンハルト様……?」
落とした杖を拾うこともせず、瞳を潤ませ、レオンハルトの名前を呼ぶ。本名を。
レオンハルトは信じられなさそうな表情で、イレーネを見つめた。
「……イレーネ?」
「レオンハルト様……!」
喜びの声を上げ、レオンハルトに抱きつく。
「やっと、やっとわたくしを迎えに来てくださったのね! ――もう、遅いのよ! でも許してあげます。わたくしは心が広いですから」
嬉しそうに微笑みながら、目許に美しい涙を滲ませる。
「レ……レオンのお知り合いだったんですね」
親しげな様子や抱擁する様は、知り合い以上の間柄に見えた。だがリゼットにそこに踏み込む権利はない。
再会できてよかったという気持ちと、胸を焦がすような焦燥感を覚えながらイレーネの落とした杖を拾う。
胸の痛みに気づかないように。動揺を表に出さないようにしながら。取り乱すのはみっともないこと――貴族として受けた教育がこんなときに威力を発揮する。
「リ、リゼット! 違うんだ! イレーネ、とにかく離れてくれ!」
レオンハルトは物凄く焦りながらイレーネの両肩をつかんで引きはがす。
「なんだこのド修羅場」
ディーが首の後ろで手を組みながら、どこか呆れたように言っていた。
「――場所を変えよう。ここは人目が多すぎる」
周囲の人々は混乱のさなかで、こちらを気にするどころではなさそうだが、大事な話らしい。
イレーネはレオンハルトを見上げながら、うっとりと微笑む。
「はい、レオンハルト様。そういたしましょう。もっと静かなところで、ふたりきりで――……」
「ん? オレたちは聞かねーほうがいいのか?」
「頼むから来てくれ……」
レオンハルトが物凄く困った顔で言うので、リゼットとディーもついていく。
広場から離れた、静かな路地に移動して、レオンハルトはイレーネと向き合う。リゼットとディーはイレーネの後ろで話し合いを見守った。
「イレーネ、どうして君がここに? ……クラウスと国に戻ったんじゃなかったのか」
「あんな裏切り者の話はしないでくださいませ」
よほど不愉快な話題だったのか、怒ったように顔を背ける。
「……君も切り捨てられたのか」
「いいえ。わたくしが切り捨てたのです」
レオンハルトは疲れたように小さくため息をついた。
「いまは一人なのか? 誰か仲間は?」
「優秀なわたくしにはパーティなど必要ありません。足手まといにしかなりませんもの。わたくしに必要なのはレオンハルト様だけで、レオンハルト様に相応しいのはわたくしだけですわ」
「本気で言っているのなら、早く認識を改めた方がいい。君自身のためにも」
二人の間に流れるのは、どこかちぐはぐな空気だ。ディーもそれを感じ取っているらしく、怪訝な顔で口を開く。
「で、お前らどういう関係? まーだいたいわかるけどよ」
「イレーネは、前のパーティでの仲間で……」
「それって、ノルンのダンジョンでお前を殺そうとしたやつらだよな?」
確認しようとするディーの言葉に、イレーネが動揺する。
「誤解ですわっ! 公爵家の娘であるわたくしが、殿下を見捨てるなんてことありえません!」
レオンハルトを見上げて必死に弁明する。
「でも、実際見捨てたんだろ?」
ディーに問われても、イレーネは振り返らずにレオンハルトを見つめたまま必死に続けた。
「わたくしはただ、レオンハルト様に自分を見つめ直してほしかっただけ。無謀な夢を見ることをやめてほしかったです」
――レオンハルトの、かつての夢。
それはドラゴンを倒し、成人の儀を果たすということだ。レオンハルトはそれを達成する目前で、当時の仲間たちに裏切られた。アイテムを奪われた上で、脱出できない隠し部屋に一人で閉じ込められた。
リゼットが偶然彼を助けることができたのは、死の直前だった。
「レオンハルト様がきちんと反省してくださったら、わたくしは許すつもりでしたわ」
「は? お前が許す立場なの? どんだけ面の皮厚いんだ?」
「黙りなさい下民。わたくしたちがどれだけ高貴な身分かも知らずに」
「生まれが高貴ならエライのか? いい家に生まれてふんぞり返ってるだけのお貴族様に、尻尾を振るのはゴメンだね」
イレーネが勢いよく振り返って、鋭い眼光でディーを刺す。ディーは怯んだ様子もない。
リゼットは、イレーネの杖を持ったまま、口を開いた。
「イレーネさん。レオンはあのとき、とても――苦しそうでした。お二人の詳しい事情はわかりませんが、イレーネさんには、まずすることがあるのでは?」
再会を喜ぶよりも、弁明をするよりも先に。
イレーネの視線がリゼットへ向けられる。赤い瞳が炎のように怒りで揺れている。
「――リゼット。そもそもあなたはレオンハルト様の何なの? 何を気安く呼んでいるのよ」
「仲間です」
まっすぐに視線を受けて答える。
「共に冒険してきた仲間です」
喜びを共にし、苦難を乗り越えてきた、かけがえのない仲間だ。
「……そこは嘘でも恋人って言っとけよ。そうすりゃ諦めて退散するんだからよ」
ディーがヒソヒソとリゼットに言う。
「……な、なるほど……?」
いまいち理屈はわからなかったが、ディーが言うのならそうなのかもしれない。
咄嗟の嘘は苦手ではないが、しかし勝手に恋人のふりなどしてもいいのだろうか。レオンハルトの表情を見て意思を確認しようとするが、無性に恥ずかしくなって見ることができない。
「こ、こ、恋――」
「聞こえてるわよ」
イレーネは呆れたように言う。そして勝ち誇ったように胸を張った。
「まあ、わたくしは恋人がいても構わないですけれど。愛人の一人や二人や三人。わたくしは心が広いですもの。利用価値があるなら尚更、ね」
「あ、愛人? 利用価値って――」
声が上擦る。
――愛人、という存在はリゼットももちろん知っている。貴族社会ではありふれたものだ。だが、リゼットはあまり好きではない。父がリゼットとそう歳の離れていない隠し子を――しかも母が存命なうちにつくっていたことに、ひどくショックを受けたからだ。
おそらくもう結婚することはないだろうが、自分がそういう存在になるのも、結婚相手が愛人を持つのにも、嫌悪感がある。
そしてそんなことを言い出すイレーネは、いったいレオンハルトとどういう関係なのか。
「イレーネ! いい加減にしてくれ! リゼットとディーは、俺の大切な仲間だ。侮辱は許さない」
激昂するレオンハルトの声が路地に響く。
イレーネは気にした様子もなくレオンハルトの方へ向き直った。
「侮辱ではありません。レオンハルト様、仲間とはいえ、どうしてこんな口の利き方を許しているのです。もしかして身分を隠していらっしゃるのですか?」
「イレーネ!」
「あなたがどれだけ尊い御方か知らないから、どこまでも付け上がりますのよ?」
「知ってるぜ。王様になるんだろ」
「ならない!」
ディーの言葉をレオンハルトはすかさず否定するが、イレーネの表情が変わっていた。驚きと、喜びに。
「レ、レオンハルト様……ついに、その気に……?」
「なってない! ――イレーネ、俺は王には絶対にならないし、君と行動を共にするつもりもない。俺のことは忘れてくれ」
声には突き放すような冷たさがあった。絶対に埋まらない溝を突きつけるような、拒絶が。
それまで強気だったイレーネが、戸惑いながらも縋ろうとする。レオンハルトはそれを視線だけで撥ねつけた。
「……レオンハルト様……もしかして、正式な婚約者であるわたくしを捨てる気なのですか?」
「ええっ? こ、婚約者ですか?」
王族なのだ。リゼットも、レオンハルトにそういう相手が存在するとは思っていたが、何故かショックを受ける。
「――リゼット、誤解だ! とっくに消えた話だ!」
「消えたって――婚約破棄するおつもりなのですか?! お父様が黙っていませんわよ!」
「なんだこのド修羅場」
騒ぎの中にディーの呆れた声が響いた。