108 ファニーアップルのコンポート
探索している途中、時折強い光が空へ吸い込まれるように消えていくのが見える。
それは誰かがダンジョン内で死んだ証だ。ダンジョン内で死んだときに『身代わりの心臓』を持っていれば、地上に転送されて蘇生する。
第一層ではたとえアイテムを持っていなくても地上に転送されて蘇生するということで、死んでも安心だとラニアルは言っていた。だが、死の経験は本物だ。
リゼットは幸いまだ一度も死んだことはない。
だからまだ、死ぬのは怖い。
冒険者だけではなく一般人もダンジョンに落ちているとしたら、その大部分はモンスターと戦えないし、死んだ経験もないだろう。
だからか、光を見るたび悲しい気持ちになる。
それでも俯くわけにはいかない。顔を上げて平原を進んでいるとき、赤い実をつけた一本の樹を見つけて目を見開く。
「イレーネさん、あれってもしかして、リンゴじゃないですか?」
たわわに実る、丸く、赤く色づいた艶やかな果実。
(なんて甘そうで、おいしそうなのかしら……)
リゼットは興奮してふらふらと樹に近づいていく。
「気をつけなさい。ダンジョンで怪しいものなんて、ほとんどがモンスターなのだから」
イレーネが冷静に言った途端、草に覆われていた地面が揺れた。リンゴの樹を中心に隆起し、土の中から黒いぬめぬめとしたモンスターが現れる。
【鑑定】ファニーアップルロフィウス。植物と陸魚の共生モンスター。リンゴに似た実をつけて獲物を誘き寄せ、陸魚が獲物を捕食し、植物は陸魚から栄養を受け取る。
頭にリンゴの樹らしきものを生やした、黒く平べったい陸魚が、ヒレを両腕のように動かし、大きな口をがばりと開けてリゼットごと飲み込もうとする。
【先制行動】【火魔法(神級)】
「フレイムランス!」
炎の槍が腹部を突く。
ファニーアップルロフィウスは衝撃のままに後ろに倒れた。頭上のリンゴの樹らしきものがずるりと落ち、魚の皮を焼く香ばしい匂いが辺りに漂った。
(倒した……?)
食欲を刺激されながらも手応えのなさに警戒していると、陸魚は唐突に跳ね上がり、ヒレを手足のように動かして穴を掘って地面の中に逃げる。その動きは巨体に見合わず俊敏で、あっという間に土の下に消えた。
リンゴの樹らしきもの――ファニーアップルを置いていって。
「リンゴにそっくりですね」
「そうね……無駄に似せてあること」
赤くてつやつやしていて、リンゴの果実に本当によく似ている。これをエサにして獲物をおびき寄せているのだとしたら頭がいい。
「とりあえず食べましょう」
「はあ? 何言ってるのよあなた。もうどうにかなっちゃったの?」
「お腹が空いていては戦えません。大丈夫、とってもおいしそうです」
「何が大丈夫なの?!」
リゼットは青々と葉が茂るファニーアップルから、果実を収穫する。
「さすがに生では食べませんので。コンポートにしましょう。ジャムやアップルパイもいいですね」
リゼットも学習してきた。モンスターを生で食べるのはリスクが高いと。加熱調理は必須だ。
まずは結界魔法で結界を張って安全を確保。集めたファニーアップルの実の皮を、ナイフでするすると剥いていく。剥き終わったら四つに割って種を取る。
植物系モンスターの果肉はあまり気をつけなくていい。果肉がまずかったり毒があったりすれば、獲物をおびき寄せることができなくなるからだ。
もちろん種には毒があったり、体内に寄生してくるかもしれないので、しっかりと取る。
果肉をサイコロ形に切って、アイテム鞄の中から取り出した深底のフライパンに入れて、手持ちのハチミツを入れて、熱をしっかり通す。ユニコーンの角杖で掻き回しながら。火が通ると、白っぽかった果肉が黄金色になる。
イレーネはその様子をずっと見ていた。
「……その杖、もしかしてユニコーンのものじゃないでしょうね」
「はい、ユニコーンの角から自分でつくったものです。浄化作用があってとっても便利なんですよ」
「そ、そう……」
「できました! ファニーアップルロフィウスの、ファニーアップルコンポートです!」
「…………」
さっそくスプーンですくって食べる。出来立てであたたかいそれは甘味が強い。
「まあ……ハチミツの甘みもあって、とても甘くて爽やかで……ちゃんとリンゴの風味もします。イレーネさんもどうぞ」
「いやああああ!」
皿に入れて渡そうとすると、イレーネは悲鳴を上げて後ずさる。
「おいしいですよ。元気も出ますし、魔力も回復します」
それに、リンゴのような香りとハチミツの香りが混ざって、とてもいい匂いがした。
「そういう問題じゃないのよ!」
イレーネは嫌がりながらも、視線はちらちらと皿の中のファニーアップルのコンポートを見ている。そして、リゼットを見る。
「……即効性の毒はなさそうね……」
「はい」
笑顔で頷く。イレーネは渋々と座り、皿を受け取った。
「はぁ……ダンジョンでこんな目に遭うなんて……」
ぶつぶつと言いながらスプーンでコンポートを掬い取り、意を決したように食べる。
「おいしい……」
感動の声を零す。
「紅茶とケーキが欲しいわ……クリームに乗せて食べたら、きっと合うでしょうね」
「それは素敵ですね」
「……あなたもしかして、こんな風に他のモンスターも食べているの? ――いえ、言わなくていいわ」
ふるふると頭を振り、食事に戻る。リゼットはイレーネが食べている間に、残りのファニーアップルをジャムにするために更に煮込んでいく。
「不思議ね。なんだか少し、気が楽になったわ」
そう言ったイレーネは、肩の力が抜けたようだった。ずっと張りつめていた雰囲気が緩んでいる。
「――って、のんびり食べている場合じゃないわよ! 早く行きますわよ!」
「もう少し待ってください。ジャムを詰めてしまうので」
浄化魔法できれいにした瓶にジャムを詰め終わると、片づけをして探索を再開する。
その直後、風上の方からぞろぞろと歩いてくるパーティの存在に気づく。
向こうも同時に気づいたようで、リゼットたちの方へやってくる。
どこか荒んだ雰囲気の、男性四人のパーティだった。ヒューマンだけではなくハーフドワーフやハーフノームもいる。そして、不自然なほどに荷物が多く、その一部には真新しい血痕が付いていた。
「女じゃねぇか。上玉が二人もなんて、ついてるぜ」
仲間内で楽しそうに言い合う。彼らのリゼットとイレーネを見る目はぎらついている。それは獲物を見る目だ。
「ふん。ダンジョンの中で性別で判断するなんて、片腹痛いこと」
イレーネの怒りに応じるように周囲の温度が上がり、風が起きてイレーネの髪を揺らめかせる。
「ダンジョン内で人に危害を加えることは禁止されているのは、もちろんご存じですわよね? ――これは正当防衛ですからね!」
イレーネが杖を振りかぶるよりも早く、風上にいた相手パーティから、紐がほどかれた袋が投げつけられる。
袋の中身が黒い霧のように広がって、風に乗って襲いくる。
【鑑定】モンスター灰。モンスターを燃やした際に残る灰。
モンスター灰をまともに吸い込んだイレーネが激しく咳き込む。
風上から悪意に満ちた歓声が聞こえる。
【無詠唱魔法(視線発動)】【風魔法(初級)】
咄嗟に息を止めていたリゼットは、やや強めの風を起こして灰を相手パーティに返す。
今度は向こう側から咳き込む声が響いてくる。
そのとき、足元が揺れた。地面が割れて、土の塊とともに黒い大きなものが飛び出す。
四人の冒険者が下から一度に飲み込まれる。悲鳴と共に。
灰が晴れる。そこにいたのは陸魚だった。ファニーアップルを失った、ファニーアップルロフィウスの、下部分。
大きく膨らんだ腹部から光が飛び出る。
それは命が尽きた証だ。四つの光の柱が空へ昇る。そこまで、一瞬の出来事だった。
満腹になった陸魚と、リゼットの目が合う。
――意外に可愛い眼をしている。
――おいしそうだと、リゼットは思った。
次の瞬間、陸魚は怯えるようにヒレで地面を掘り出す。
「業火よ、すべてを焼き尽くせ――インフェルノ!」
イレーネの魔法の炎が陸魚を包み込む。
容赦のない炎は激しく陸魚を焼き、更に爆破させる。肉も骨も砕け、燃え、すべてが炭と化す。食べるところが残らないほどに。
「イレーネさん、水をどうぞ」
苦しそうに咳き込むイレーネに、水魔法で水を満たしたコップを渡す。
イレーネはそれで三度うがいをして、大きく息を吐いた。
「下民が、卑怯な真似を……」
憎々しげに自らが焼いたモンスターを睨む。正確にはそのモンスターに殺された冒険者たちを。その横顔には凛々しい気品と、生存への執念が滲んでいた。
リゼットはイレーネと自分に浄化魔法をかける。灰で汚れた顔と服がきれいになる。
「ふう……魔法を使えるのはあと二回といったところね。道中は任せたわよ、リゼット」