106 アルケミスト・ラビリンス
得意満面なラニアルの嬉しそうな声が、しんとした酒場に響く。
ランドールの街に訪れた異変に、その場にいた誰もが気づいていた。そして声高に宣言したラニアルに、全員の視線が集まっていた。
「……ラニアル。君は何をしたんだ」
レオンハルトが立ち上がり、ラニアルに問いかける。声は慎重だ。左手は剣の鞘にかかっている。
「アルケミスト・ラビリンスはあたしが市長と一緒につくったダンジョンだもーん。拡張も縮小もお手のものさ」
ラニアルは悪びれもせず胸を張る。
「あ、王子様のせいじゃないから安心してよ。これはずっと前から準備していたことだからさ。ずーっと前からね」
くすくすと笑う姿はリゼットの知っている無邪気な少女のような雰囲気ではなく、悠久の時を生きてきた老練なエルフのものだった。
「ノルンダンジョン領域がクリアされて、次にリゼットをここに呼びたくて噂も流したのに、なかなか来てくれなくて焦ったよ」
ノルンのダンジョンが消えた際、西に新しくできたというダンジョンに多くの冒険者が移ろうとしていた。まさか新しいダンジョンがラニアルのつくったダンジョンだなんて。
「ラニアルさん、すごいです!」
リゼットは立ち上がって絶賛する。
ダンジョンを作り上げられるなんて、しかも自由に広げることができるなんて――まるで、ダンジョンマスターだ。
「でっしょー。さっすがリゼット、話がわかる! 褒めて褒めて! もっと褒めて!」
「ダンジョンをつくることができるなんて、本当にすごいです! でも、さすがに街全体がダンジョン領域になってしまうと、影響が大きすぎませんか?」
ダンジョン領域の中ではスキルや魔法が本来の威力で使えるようになる。本来はダンジョンの中だけで使われるためのそれらが、様々な賭け事が行なわれている享楽都市でも使えてしまえば、遠からず騒ぎが起こるのではないだろうか。
「だよねー。ダンジョンの中なんて無法地帯のようなもんだし、それが街中にってなっちゃったら大変だよねー」
ラニアルの口ぶりはあくまで軽く、他人事のように言う。
「ふっざけんな! いますぐ元に戻せ!」
「やーだー。せっかくここまで整えたんだからー」
掴みかかろうとしたディーをひらりと躱す。体重がないかのような軽やかさだった。
「……ラニアルさん、何が目的なのですか?」
ただの一時の遊びで、こんな大掛かりで、こんな大勢に影響の出ることをするとは思えない。
ラニアルの目がきらりと光る。
「ねえリゼット、君はいま、恋をしている?」
「恋……ですか? それとこれとがどんな関係が――」
「恋はいいよぉ。世界が変わるよ」
深い森のような緑の目をとろんと潤ませて、踊るようにくるくると回る。
「くふふ。リゼット、このダンジョンを充分に楽しんでよね。そして、本当のあたしに会いにきて」
「本当の……ラニアルさん?」
リゼットの目に映るラニアルは本物にしか見えない。その目の輝きも、その黒髪のつややかさも、服の質感も、息遣いも体温も感じられる。
背筋の凍るような冷たい笑みも。
「それじゃあ、ダンジョンの一番奥で君たちを待ってるよ」
手を振るその姿が消える。まるで火が消えるように。
こちらの様子を見ていた周囲の客たちも、驚いたようにざわめいていた。
ラニアルの痕跡はもうどこにもない。最初からいなかったかのように。やはり偽物だったのかと呆然とするリゼットの後ろで、ディーが乾いた声を漏らす。
「……なあ。これ、もしかしてやばいんじゃね?」
「いや、あの人工ダンジョンを拡張しただけならまだ――……」
レオンハルトは難しい表情で考え込む。自分の発言がこのような事態を招いたと思って責任を感じているのかもしれない。
リゼットは決断した。
「行ってみましょう。ダンジョンの一番奥に」
「簡単に言うなよ。罠かもしれねーし。いや罠だろこれ。トラップってわかって足を踏み入れるバカがどこにいるんだよ」
「罠をかけられる理由がありません」
「こっちにはなくても、向こうにはあるかもだろ。あいつの目、本気だったぜ」
リゼットはレオンハルトを見る。
「レオンはどう思いますか?」
「……正直、賛成はできない。彼女の目的がわからない。嫌な予感がする」
レオンハルトには【直感】のスキルがある。ダンジョン領域内に入ったいま、スキルは何の制約も受けず発動している。それが警鐘を鳴らしているのなら、行かない方がいいのだろう。だが。
「ラニアルさんにも考えがあってのことでしょう。行かないと始まりません」
ラニアルはリゼットたちとダンジョンの一番奥で会いたがっている。
「本当のラニアルさんに会って、話を聞きたいです」
レオンハルトもディーも、尚も反対している表情だ。
二対一。
普段ならリゼットも多数決の結果を受け入れる。だがいまは、このまま何もなかったようにランドールの街を出るようなことはしたくなかった。ダンジョンの奥でラニアルが待っているのなら。
「大丈夫です。アルケミスト・ラビリンスは安全第一のダンジョンなんでしょう? 遊びに行くようなものです」
「……んじゃとりあえず情報収集からだな。レオン、お前の心配もわかるけど、何するにしても動かなきゃ始まんねーよ」
「……そうだな。そのとおりだ」
レオンハルトが顔を上げたそのとき、外から大音声が響いた。
『そうそう。即断即決。行動第一!! ヒューマンやリリパッドの人生は短いんだから!!』
ラニアルの声だった。
まるでこちらの会話を聞いていたかのような内容に、リゼットは二人と顔を見合わせて外に出る。
酒場の外は多くの人がざわめきながら上を見ていた。
外に掲げられた動く絵画のすべてに、ラニアルの顔が映っていた。
『はい、ランドールはラニアル・マドールのダンジョン領域になりましたー! クリアするまでこの街からは出られません!』
明るい声が夜空に響く。厳かな式典の空砲のように。
『ま、死ぬことはないから安心してね。蘇生できる限りはね? 特別サービスで一層で死んだら地上層に戻してあげるから、安心してね。あたしってやさしいなー。二層以降は正真正銘、本物のダンジョンだから、本当に死んじゃうからね。自分でなんとかしてねー』
まるで冗談のようで夢のような言葉の数々。
だが絵画越しに見えるラニアルの目は本気だった。笑っているが本気だった。冷徹に現実を見つめている。夢に浮かされてはいない。
『はい、それじゃあみんな揃って行ってみよー!』
声が高らかに街に響いたとき、足元を支えていた地面が消え去った。
その日ランドールにいた全員が、地下ダンジョンに落とされた。冒険者も一般人も分け隔てなく。