103 名前
ゆで卵を食べ終わり、リゼットは手をナプキンで拭いてスープを飲み直す。少し冷めていた。
「でも私、いますごく幸せです」
リゼットは顔を上げた。
ずっと黙って話を聞いていたレオンハルトと目が合う。
窓から差し込む光で、レオンハルトの金髪がきらきらと輝いていた。
エメラルドグリーンの瞳をまっすぐに見つめる。
「これまでのことがなければ、レオンと出会うことも、こうやって一緒に冒険することもなかったでしょうから」
こうして一緒に朝食を食べることも、いままであったこと一つ一つが積み重なってできた奇跡だ。
だからこそこんなに儚くて、こんなにも輝いている。
「リゼット……俺も、君と出会えて、いまこうしていられることが、本当に嬉しい」
リゼットは微笑み、静かに頷いた。
いつかこの冒険にも終わりはくる。終わらない物語はない。
だからこそ、奇跡のような時間を大切にしようと思う。
「私のことを話したんですから、レオンのことも教えてください」
「うん。何が聞きたい?」
「え? で、では、好きな食べ物とか、苦手なものとか」
冗談めかして言ったのに目を見ながら返される。
知りたいことはいっぱいあるはずなのに、すぐに思いつかない。なんとか見つけた質問を言いながら、リゼットは少し失敗してしまったと思った。
――知っている。
レオンハルトに好き嫌いがないことは。
獣系では少し苦手なモンスターがいるが、肉は喜んで食べていること。
甘い味より辛い味が好きなこと。
あっさり系よりがっつり系が好きなこと。
知っている。
ずっと隣で見てきた。
「そうだな……君と一緒に食べるとなんでもおいしいからなぁ」
「私もです。皆で食べると、ずっとずっとおいしく感じます。同じですね」
ひとりで食べるより、大勢の人たちと一緒につくって食べる方がずっと美味しい。
同じ気持ちだったことを嬉しく思う。
「あ、そうだ。レオンの国の言葉で、私の名前はどう書くのか教えてください」
言語は女神に与えられたものだという。
だから生まれた場所が違っても、同じ言葉で意思疎通ができるのだと。
そして言葉は同じでも、文字は地域によって違う。共通の女神文字はあるが、レオンハルトが私的に書く文字は、女神文字とはほんの少し――だが明確に違う。
「そ……それは、いずれまた」
何故か少し焦りながら目を逸らす。
残念だったが、未来の約束が一つ増えたことは嬉しかった。
「約束ですよ。それじゃあ、レオンの名前の書き方教えてください」
リゼットは手紙を書いた時に使った紙とペンを用意する。
「これが俺の名前」
レオンハルトが小さな紙に、鉱石インクで名前を書き綴る。
――レオンハルト・ヴィルフリート。
「なんだか格好いいですね」
字が上手いのか、文字が独特なのか、そのどちらもか。
レオンハルトは少し間を置いて、名前の下にもうひとつ短い言葉を書いた。ゆっくりと、丁寧に。
「……これが、君の名前」
「まあ、これが?」
いずれがすぐに来たことに喜びながら、受け取った紙をまじまじと見つめる。
リゼットの使う文字とよく似ているが、やはり少しずつ違う。
どこかで見たことあるような気もしたが、どこで見たのかは思い出せなかった。
そしてそれらの文字の並びは、リゼットの目にはきらきらと輝いて見えた。
「ありがとうございます。宝物にします」
「大げさだな……」
「だって、嬉しくて」
リゼットは微笑みながら、紙を大切に胸元にしまった。
落とさないように。汚さないように。
きっと、一生の宝物になる。
「レオン、食べ終わったら、お買い物に付き合っていただけませんか? たくさん買いたいものがあって」
「ああ、もちろん」
「よかった」
リゼットは喜びながら、パンにバターと木苺のジャムをたっぷりと塗って食べる。
爽やかな酸味と甘い香りが広がって、まろやかなバターで覆われる。バターの塩味がいいアクセントになっている。
甘酸っぱさとまろやかさに頬を緩めていると、レオンハルトがやさしく笑っていた。
「どうしました?」
「いや、リゼットは本当に甘いものが好きだなって」
リゼットは顔から火が出そうになる。
そんなに顔に出ていたなんて。
しかもそんなところを見られていたなんて。
もしかして、ゆで卵にかぶりついていたところも見られていたのだろうか。
あまり見ないでくださいと言おうとして、リゼットは気づいた。
自分もいつもレオンハルトを見ていることに。
つい、目で追ってしまっていることに。
考えごとをしている顔も、美味しそうに食べている顔も、笑っている顔も、どんな表情も。
「~~~~っ」
何故か無性に恥ずかしくなって、顔が熱くなる。リゼットは顔を隠すようにしてお茶を飲んだ。
胸がそわそわする。
「リゼット?」
「な、なんでもありませんっ」
その後はもうまともに顔を見ることができず、窓から外の景色をずっと見ていた。
第二章 完
こちらで第二章完結です。最後までお読みいただきありがとうございました!
第三章はただいま執筆中になります。あいかわらず食べたりダンジョン探索してわいわいしています。書き上がり次第、更新再開しますので、いましばらくお待ちください。
たくさん加筆している書籍版が発売中ですので、そちらもよろしくお願いします。(ご購入者様特典として筆者WEBサイトにてSSも公開しています)
それではまた!