8.
帰りながら、ぼくは康祐と生田さんにどう話そうか考えていた。
「明日集会したい」と二人に伝えると、生田さんはすぐに「わかった!」と返事をくれた。康祐は夕方からの雨を気にしていたけど、結局は来てくれることになった。
やっとの思いで家まで帰り、靴を脱ぐ。そのまま自分の部屋へいこうとしたら、何かがひっかかった。もう一度見直すと、お母さんの靴があった。
すこし大きめな声でただいま、と言って部屋へいく。もうベッドが恋しくてたまらなかった。
もうこのままちょっと眠ってしまおう――。そう思って寝る体勢を整えていると、ぼくの部屋がノックされた。なに、と眠たそうな声をだしてみる。
「ちょっと話があるんだけど」
ドアをゆっくり開いてお母さんはそう言った。いつもの余裕のある感じとはどこか違う気がした。
その雰囲気に圧されてしまってお母さんに従うしかなく、素直にリビングまできた。
席に着くなり、何を話されるのか全く分からなくて怖かった。お母さんの部屋だってちゃんと元通りにしたはずだし……。
少しの間、お母さんはじっと考えていた。そして、
「最近、よくないことをしているでしょう」
と言った。お会計はいまにも泣きだしそうな声を出した。
ぼくはなんと返せばいいか分からなかった。多分、お父さんのことなのは違いない。でもこんなお母さんを見るのは初めてだったから。
「お父さんをさがすのはやめて」
ぼくはうん、とうつむいて呟くことしかできなかった。
よう子さんと話してから、なんとなく分かったことがある。そりゃあ具体的に何をして、どこにいるのかは分からない。けどきっと、何かを頑張っている。諦めきれなかった何かを。ぼくはそれを追求してはいけないと思った。
それからお母さんは何かがあふれ出しそうなのをずっとこらえていた。まだ子どもすぎたぼくは、その様子を黙って見ていることしかできなかった。
その日は明らかすぎるほどの低気圧で、体のしんから冷えた。襟巻きだけでなく手袋も必須だった。
三角公園に着くと、生田さんと康祐はもう先にいた。やっぱり気になってるのかな。白い息を吐きながら、おはよ、と手をあげると、生田さんもあげ返してくれた。二人はぼくが座るぶんのスペースを空けてくれていた。
ぼくはベンチの前まできて、座らずに二人と向かい合ったまま、
「何も分からなかった」
と言った。
二人とも驚いた顔をした。当然だ。成果を発表する場で失敗を報告したんだから。
「何か、してたのか」
康祐は念のため、という風にきいた。康祐の方を向いてうん、と答える。そうか、と康祐は上げた視線を下げて、腕を太ももについて上半身を支えていた。
ぼくが康祐に目を向けている間も、ずっと生田さんはぼくを見ていた。けどなにも言ってくれなかった。
ぽつ、ぽつ、と水が公園の土にあたる音がした。
「夕方のはずなのにな」
康祐はスマートフォンをつけた。そして、まだ二時半だよ、と呟いた。
「じゃあ集会は終わりね」
いつの間にか生田さんはぼくのずっと後ろを見つめていた。音がだんだん激しくなってくる。
「とりあえず今日は帰ろう!」
康祐はそう言うなり立ち上がった。とりあえず、は困ったときの口ぐせだ。
ほら、帰るぞ、とぼくと生田さんに諭して立ち上がらせた。生田さんはやっと立ち上がって、とぼとぼと公園の出口へと歩いていった。おれも帰るからな、と康祐が走っていった。
康祐はすぐに見えなくなった。生田さんは出口のあたりで止まった。ぼくの方を向く素振りを見せたけど、やめてまた歩き出した。
ぼくは向き直ってベンチをみた。もうびしゃびしゃと水が跳ねている。それに構わず、自然さをもって腰を下ろした。
雨はひどくなって視界が白くなってきた。水は透明なはずなのに。
知っているはずの人の知らないところ、知らないはずの人の知っているところ。なんだかぼくは少し寂しくなった。
三態、というのを理科の授業で習った。個体、液体、気体、と物は姿を変える。この雨も、やがて蒸発する。透明になったと勘違いする。
どの状態がその人のほんとうなのか。違う、全部がほんとうなんだ。そして、その全部は誰も知ることができないんだ。そう思うと、さっき降りかかってきた寂しさは少しだけ和らいだ気がした。だってきっとぼくもそうだから。ぼくの全部を知っている人なんていない。
なんだかおかしくなってきた。ずっとあったもやもやしたものがきれいさっぱりなくなったわけじゃない。和らぎきらなかった残りの分は、きっとずっと持ち続けるよ。それでもいいと思った。
それからぼくは、この飽きもせず降りしきる雨に負けないくらい笑った。