5.
結局例の一言についてこの日のうちには何の糸口もつかめなかった。生田さんに言わせると、「ヒントが足りなさすぎる……」と、はりきっていた。
暗くなる前に解散のつもりが、見上げると、欠けていびつな月があざやかに照っていた。ひとまず生田さんは推理――といってもうなるだけで進展はあきらかになさそうなそれ――を続けて、ぼくはそのための新たな鍵を探す、ということになった。
こんな調子が一週間くらい続いていた。いい加減うなるのにも飽きてきたみたいで、公園での時間はほぼ雑談になっていた。
ぼくの方は、生田さんの話をきくのはとても楽しい時間だったけど、それでもお父さんのことが気になっていた。そして、あまり気は進まないけど、この捜索にとって大きな手助けが得られる手段をひとつ思いついていた。
康祐はメールの類がかなり嫌いだった。
ぼくがメッセージを送っても至急のとき――例えば、夜になって思い出した明日のテスト範囲について――か、彼の興味をひくこと――これについてはぱっと思いつかないくらいレアだ――じゃないと返信がない。電話はいいと言っているけど、かけたとしても大抵は本とかを読んでいて気づかない(折り返しもしないから、ほんとうは電話も嫌なんじゃないかとにらんでいる)。二年生になってから、またさらにはまっているらしい。
だから、確実に話したいことは直接会ってするしかなかった。
秋になって康祐は生徒会役員になった。部活にも入ってないし内申点がほしいから、とか言っていた。それ以降、一緒に帰るのも急に減っていた。それはとても自然なことだった。
ねらいどきは昼休みだった。いつも通り、そそくさと図書室にこもりにいこうとする康祐の肩をつかんだ。あのさ、となんか不自然かな、と思いつつ声をかける。
「あのさ、今日一緒に帰らない? 」
予想通り康祐はびっくりしていた。行動よりも多分、この変な声のかけ方に。
あくまで動揺は隠さないで、
「生徒会あるけど」
と言った。
「待ってるから、そのあとで」
これはずるい、と自分で思った。こんな言い方をすれば、康祐は断らない。
うん、わかった、といつもの冷静さを取り戻しながらやっぱりきいてくれた。康祐に全部打ち明けて、参加してもらうつもりだった。困ったとき、康祐はいつも頼らせてくれる。
のせていた手を肩からぱっと離して、康祐を解放した。それでもしばらくじっとぼくの顔を細かく観察していた。なにか言おうかと言葉を探していたら、何も言わずに図書室へと向かっていった。
帰りのホームルーム――うちのクラスは他のクラスのそれに比べると大抵ビリだ――もやっと終わり、それぞれが部活にいったり下校したり、あるいは少数の人たちは教室に残ったりしていた。といっても女子しかいなくて、いつもいないはずのぼくが残っていることに困惑しているらしかった。
なんだかぼくとしてもいづらくなったから、図書室にでもいくことにした。
ここはぼくにとってそんなに珍しい場所ではなかった。教室で友達と話すのも気分じゃないときに康祐についてやってきていた。ちなみにうちの学校では、保健室の先生よりもここの司書さんのほうが評判がよかった。
いつも康祐がするみたいに、そうっとドアを横に動かす。泥棒が真夜中に侵入するみたいだっていつも言わないけれど心の中でおかしく思っていた。また同じようにしてそうっと閉める。振り返って室内を見回してみると、ほかに人はいないみたいだった。
「あら、中村くんかとおもったのに」
まったく物音がしなかったから油断していたら、入ってすぐ右にあるカウンターに司書さんがじっとこちらを見ていた。目が合うとにっこり、大人だけができる特有の微笑をくれた。
何と返せばいいかわからなくて、こんにちは、と挨拶をした。
「なにか探しもの?」
司書さんはやさしくそう言って、前に中村くんときてくれたよね、と付け足した。
康祐は名前まで知られているのか、とすこしさみしくなった。ぼくの知らない康祐を、この人は知っているように思えた。
いえ、暇つぶしにきました、と答えた声はほんの少しこわばっていた。二つ目の問いは答えを聞かれていない気がしたからふれなかった。
ちょうどよかった、と司書さんは言った。
「わたしも暇だったの、お話しましょう」
康祐みたいに読書好きでもなかったし、暇だと言ってしまったから、その提案に乗ることにした。康祐と仲いいんですか、と気づくと口からするりと出ていた。
「ええ、本の趣味がとても合うの。わたしのおすすめも毎度のこと気に入ってくれてるみたいで」
それはとても素敵なことのように思えたけど、ぼくには司書さんが魔女のようにみえた。
「あなたは、本は?」
いえ、あまり、と申し訳なく思いながら返した。思ったより弱い声だった。司書さんは、そうなの、と残念そうだった。
康祐の話はそれからはしなくなって、司書さんの手にあった本の内容を聞いていた。司書さんは話が上手だった。
その本の話――子どももいる男と不倫する女と、気のいい男友達をその好意に気づいた上でつき放しもしない女がでてくるらしい――も終わって、司書さんが、これは人生を狂わされた、という本の話をし始めるときだった。
「いつもタイミングがいいのね」
そう言った司書さんはカウンターの椅子に座るぼくのうしろを見つめていた。つられるようにして振り返ると、康祐がいた。知らないうちに、そうっとドアをひらく技術は向上していたみたいだ。
探したんだぞ、と怒っている口調でぼくに言ったけど、怒っていないのは透けているようにわかった。
「ここにいることを知らなかったのね。それなのによくわかったわね。」
司書さんは感心していた。ここくらいしかありませんから、と言った康祐の表情は、セリフに似合わずほころんでいた。
ぼくは司書さんに暇つぶしのお礼を言って(また暇つぶしにここに来てね、とさっき見たのと変わらない微笑を司書さんはみせた)、康祐と一緒に図書室をあとにした。
正門のまん前に横たわる道にそって左にいくと大通りとはちあう。そこで信号につかまっているあいだに、司書さんと仲いいんだね、と言ってみた。
返事はなかった。青になって、横断歩道を渡りはじめる。車たちはぼくらの方をじっとみつめながら礼儀正しく列をつくっていた。
「好きなんだ」
渡りきったとき、そうぽつり呟いた。さっきのぼくへの答えだとすぐにわかった。ぼくの隣を歩くひとは、よく知っているようで、なじみが一切ないように感じられた。
毎日昼休みになっては図書室に通っているのは、本が好きなのもあるけど、菜摘さん――もちろん司書さんのこと――に会いにいくためだそうだ。菜摘さんにはいうなよ、と念を押された。でもそれはもう意味がないような気がした。
これ以上康祐は菜摘さんについてはひと言も話さなかった。
康祐のそんな気配をぼくは全く気づけなかったから、小さくない衝撃を受けていた。
で、久人の話は、ときかれるまでぼくの頭のなかはもうごちゃごちゃだった。ああ、と前置いて、そのごちゃごちゃをいったん端に置く。
「実はいま、お父さんの行方を探そうとしてて」
「一人で?」
とくに驚きもしないで康祐はきいた。
「いや、生田さんとだけど」
語尾にかけて小さくしょぼくなっているのが自分でもわかるくらいだったから、すこしはずかしくなった。横をみると、なるほど、と笑っていた。一人ならすぐに言うもんな、とも。
「いいよ、おれもずっと気になってたしな」
快く味方になってくれた。このあと三角公園で集合なんだ、と知らせると、そのまま一緒にいくことになった。ぼくは生田さんが来るまでに例の一言について話しておこう、と思った。
いつもより生田さんは早かった。そしていつもより上機嫌で、佐藤くーん、と入り口の前で手を振ってくれた。入り口を越えて、生田さんは停止した。
「久しぶり、小五のとき以来かな」
ひさしぶり、と機械的に返す生田さんはいまにも、信じられない――これは部活の愚痴ではおなじみの口癖――、と言いそうだった。
こいつ、めちゃくちゃ頼りになるんだよ、と不穏さを感じて説明を始めようとしたけど、生田さんは聞いてないみたいだ。でも、原因は不明だ。
生田さんに言ってなかったのか、と康祐がしかめっ面をつくる。うなずくと康祐はため息をついた。
ぼくとしては生田さんと二人きりの時間がなくなるから康祐を呼ぶのはちょっと嫌だった。でも生田さんは推理がはかどって嬉しいんじゃ……。
とりあえず三人でベンチに座ってぼくのお父さんの話をすることになった(康祐がなんとかしてくれた)。ぼくの隣に生田さんはいたけど、全然目を合わせてくれなかった。
康祐の言いたいことは要約するとこうだった。
さすがにあの一言からぼくのお父さんにたどりつくのは不可能だ。どんなに優れた推理能力があっても。とりあえず、ぼくがお母さんにちゃんともう一回きいてみてから。
康祐の話はもっともでしかなく、話し終わってもぼくと生田さんは黙っていた。
しばらくして生田さんは、そうだね、と息をするように言って、立ち上がった。立ち上がって、やっと目を合わせてくれた。
「佐藤君、お母さんと話したら次ね」
そう言い置いてすたすたと公園をでていってしまった。それをあぜんと見送ったぼくに向かって、ばかかお前、と康祐が嘆くように言った。