3.
ぼくの生田さんへの恋心は、康祐によって自覚させられたものだった。
それまで「恋愛」という発想そのものがぼくにはなく、まあそういうのをしてる人もいるみたいだけど、くらいでしかなかった。
生田さんも康祐と同じく小学校から一緒だ。五年生のときに同じクラスで、その一年間で二回隣の席になったことはよく覚えている。
一回目のときから、授業中によく先生に注意されるほどよくしゃべっていた。学校でしか会わなかったけど、目が合うとからかい合うような仲だった。それがとても楽しくて、ずっと続くと思っていた。
でも、六年生になってクラス替えをしたら、全く話さなくなった。せめて隣のクラスならよかったのに、教室の階すら違った。それから見かけることはあっても目が合うことはなかった。
卒業式も終わり、すっかり春休みモードといったときだった。暇を持てあましていたぼくと康祐はゲームにも飽きて、気の向くままに町を散歩していた。とくに目的地も決めずにいたら、六年間で通い慣れたせいか小学校の正門まできていた。相変わらずさび具合がお似合いだった。
門とセットになるように背を高く伸ばした大きな松の木を見上げながら、康祐が言った。
「戻れるなら、何年のクラスがいい?」
びっくりした。康祐がこんな現実味のないことを言うのはかなり珍しかったから。その反動で直感的に、五年かな、と言ってしまった。
「ああ、生田がいたもんな」
すっかり忘れていた。きっと中学も一緒だろうな。慌てて別に、と否定する。
「ん? やっぱ好きだったのか?」
と、ぼくもしらないぼくの部分が見透かされたような気がした。でも当時好きなんて思いもしなかったのに……。
とりあえず話題を変えようと、学校のフェンスに沿って先頭に立つようにまた歩き始めた。何も追加して言うことはせず康祐はついてきたようだ。振り返ったわけじゃないけど、きっとにやついていたと思う。
それから家に帰って、それからもずっと生田さんのことを考えていた。三日たって、「好きだったかもしれない」と康祐にメッセージを送った。
中学一年目のクラスが発表になったとき、口では康祐と一緒がいいな、とか言いながら生田さんを必死に探した。でも残念ながら同じクラスにはいなかった。それからも全然関わりがなかった。
初めての夏服にもすっかり慣れて、それでも暑くて、夏休みの始まりをしらせる終業式のために湿っぽい体育館に集合させられたときだった。
ぞろぞろとそれぞれのクラスが入ってくる。始まりの時間に近づくまで、みんなしゃべったり歩き回ったりしている。ぼくもふくめて、ここにいる生徒全員が夏の始まりに浮足立っていた。
ぼくも康祐のところへ行こうとした。そのとき、久しぶりだったのにたまたま目が合ったのが生田さんだとすぐにわかった。
ほかの人と同じなはずなのに、夏服を身にまとった生田さんは、小学生のときの私服よりも大人っぽくみえた。そのせいか、からかうどころか声もでなくて、汗が右頬から顎にたれるのを感じるだけだった。
目の前の生田さんは、その久しくみなかった私服姿――小学生のときのカラフルさはなく、むしろ黒とか白くらいしかなかった――に、背中にはその華奢な生田さんとは相性が悪く感じるほど大きいリュックサックを負っていて、そして右手にはキャンバス特有の茶色いレジ袋を提げていた。
ぼくと生田さん、お互いがびっくりしていた。それから、生田さんは見られたくなかった、みたいな顔をした。
おつかい? と生田さんがきいた。
「おつかいっていうか、うん、」
「生田さんは、おさんぽ?」
そう聞き返すと、少し笑いながら
「うん、まあね」
と言った。
声をきくことすら久しぶりで、二人そろって探り探りな距離をつめるように生田さんに近づいて、その茶色いレジ袋に視点をおきながら何買ったの? ときいた。
袋を広げて、カール、オレオ、板チョコ、そしてなっちゃんをみせて教えてくれた。ふーんといいつつ、げ、カール好きなのか、と思った。視点は下ろしたまま、どこいくの? と思い切ってきいてみた。
生田さんの視線が漏れることなく注がれているのを感じた。
「三角公園、来る?」
思いもしない誘いに、目を大きく開いてしまった。そして深く考えるまえに行く、と答えていた。生田さんがくるりと背を向けて歩き出したのに続こうとぼくも歩き出した。
けど、考えてみたら冷凍ものが僕の左手にある白いレジ袋のなかにあるのを思い出した。それでも、まあいっか、とついていった。
時間も遅くて公園のなかの灯りの下じゃないと文字が読めないくらい暗かったから、人影もすっかりなかった。
低い柵が三つ立っている入り口をするりと抜ける。じゃっじゃっと二人のスニーカーが鳴らす音がやけに響くなあ、とかぼんやりしていた。鉄棒と並行にあるいて、灯りに上から照らされたベンチの前までたどり着いた。
あまり来ていないのか、とても慎重に、右端よりも少しだけ真ん中に寄ったところに腰を下ろした。ぼくはそこから人がちょうど座れないくらいのスペースを空けた。つめたい風がふいた。羽織ってきたのが薄手のカーディガンだったから、思わず震えそうになった。
はい、とカールをぼくに渡した。抱えていたルミナスのレジ袋を生田さんの反対側に置いて、その封を開けて、返した。
食べないの、と言ったから、こういうの苦手なんだ、ごめん、と謝った。あんなに長いこと想っていたのに、不思議と今はどきどきしなかった。
そうなの、と不満そうにそれを受け取ると、今度はオレオをぼくに渡してくれた。ありがと、と軽く笑いながらお礼をする。
それをさっきよりも丁寧にあけて一つ口に入れた。オレオは好きなお菓子トップ5には入る。
その一つをおいしく食べ終えたところで、生田さんが、いたって真剣だ、という面持ちでぼくの顔を見ているのに気が付いた。ちょっと照れながら、なに? と言った。
「これから言うの、他言無用だからね」
きっと、ぼくじゃなきゃだめなんてことは決してなくて、たまたま寄ったコンビニを出るとたまたまぼくがいて、昔仲良かったし、って程度だったんだとおもう。でもぼくとしては、それがほんとうにぼくでよかった。
生田さんの話によると、ついこの間、それも夏休みが明けてからこの近くに引っ越してきたそうだ。原因は親の離婚。今はお母さんと住んでるけど、生田さんはお母さんもお父さんも大好きだった。そして家事を分担するようになって、もう大変なの、と笑ってみせた。
「そんなオレオで脅迫なんかしなくても誰にも言わなかったのに」
やれやれ、なんてニュアンスをわざとらしく込めて言うと、それまで少し緊張していたのか、吹っ切れたようにだってこわいじゃん、と声を大きくしてそっぽを向いてしまった。
仲が良かったといってもからかい合っていたばっかりで、家の話なんかお互いしたことがなかった。なんだか少し悔しくなった。
じゃあ次はぼくの番、といって話した。
家事を手伝えるよ、ということを伝えたかったのに、それはうまくいかなかったみたいだ。
生田さんの関心は、ぼくの父さんの蒸発の謎に向いているようだった。
それからは、なにかメッセージは? いなくなった日付は関係あるのかな、お母さんにきいてないの? と、さながら探偵のように質問攻めだった。
全部きちんと受けきってから、それから家事の話をした。ストップをかけないと止まらないくらいの勢いの質問をぞんざいにしなかったのは、たぶん、ちょっと下心があったせいかもしれない。
公園と背中合わせの家から、サンマの匂いがした。生田さんをみると、ぼくと同じようにそれに気づいたようだ。とりあえず遅くなってきたし、ということでこの場はお開きにすることにした。
二年生になって同じクラスになってずっと知りたかった生田さんの連絡先は、立とうとしていたぼくに向けられた、アドレス、教えて、というふわりとした一言によってあっさり手に入った。
好意といっても関わりがなかったらずっと加速度0だ。こういう、ぼくの調子を難なく崩すペースがぼくは好きなのかもしれない。ほんの少し加速するのを感じた。
「じゃあ、家事とかで何か困ったらメッセージでも送ってね」
「うん、佐藤くんも何かわかったら、すぐ教えてね」
最後くらいかっこつけたかったのに、生田さんは相変わらずだ。すぐ、のところが強めだったし。
仕方なくうん、わかった、と返すと、暗い中でぼくにむけてにこっと笑ってくれた。不覚にもどきっとした。この笑顔は大人になっても覚えてそう、とかなんとなく思った。
公園からキャンバスに戻ってから帰る。あの公園はかなり小さいから小学生のとき以来行ってなかった。それでも当時は駆け回るほどだったのに、今じゃ走るにも及ばないくらいに感じた。
まるでさっきまでが夢だったみたいに、今が現実味を増しているのを感じながら、キャンバスまで戻ってきた。スマートフォンをつけて生田さんの連絡先を開いてみる。
とても長いこと停滞していたぼくの恋は、思わぬ前進をしていて、へへっと声になっていた。慌てて周りを見渡すと、道の奥にも誰もいなかったからほっとした。もう一度画面に目を向けると、かなり遅くなってるのに気がついた。
小走りでレジ袋をゆらしながら帰ると、ちょうどさっきお母さんも帰ってきてたみたいだった。
「ごめん、すぐつくる」
そう言ってパタパタとキッチンに入り、買ってきたものを冷蔵庫のなかに押し込んでゆく。ちょっとびっくりしたような顔をして大丈夫よ、今晩は手伝うわ、とキッチンに入ってきた。正直あんまりお母さんの調理レベルに期待できないけど、簡単な作業だけお願いすることにした。




