2.
「じゃ、明日の集合までに一ランクな!」
そう言ってぼくら帰宅部四人組は正門から帰り道についた。もちろん、幼馴染みの康祐とは一緒だ。
「今日は寄らなくていいの?」
うん、昨日行ったしね、と軽く返す。康祐には父の蒸発についてすぐに話していて、何かと頼りになるやつだった。趣味の欄に「何かを知ること」なんて書く変わったところがぼくは一層気に入っている。
入学してから一年と半年くらい経ったけど、そのほとんどを康祐と過していた。
「久人はあとどれくらいであがる?」
「まだまだ。おとといあがったばっかりだし」
家事に追われてそれどころじゃなく帰宅部だったから、正式な部活に入ることはできなかった。そこで二年のクラスで一緒になった二人、そして康祐とぼくでモンハン部――ただ四人集まってモンスターハントというゲームで遊ぶ会――を結成した。
そのハントランクを明日までに一つ上げなければいけない。先生とかめったに会わない叔父さんとかの大人からは暇だろ、とかよく言われるけど、冗談じゃない。予習に宿題に、そんなのやってる暇がないくらいだ。
いつもの、この町以外では見たこともないキャンバスというコンビニまでくると、康祐と別れた。学校からみて康祐は左に、ぼくは右に。
こういうとき――やりたい、もしくはやるべきことが迫っているとき――は家事を先に済ませておかないといけない。
この教訓を得るまで(とくに最初の一年なんて)よくすっぽかしては母さんをがっかりさせてしまった。正当な報酬をもらっているから、仕事人みたいな気持ちになっていた。節約がどんどんできるようになってから、ぼくのお小遣いはどんどん増えていったから。
そのキャンバスから五分くらいで家に着く。うちは周囲の家よりすこし大きくて目立つから、友達を呼ぶときいつも楽だ。
鞄を持っていない方の右手で門をあけて、そのまま振り返らずにしめる。それから鍵を探しながら石の道をつたっていき鍵穴にさし込む。靴を脱ぐと中のひんやりとした空気に出迎えられる。電気は消すのがめんどくさいから真っ暗なまま自分の部屋にいく。もうちゃんと献立は決めてある。
さっとブレザーをハンガーに掛けてシャツの腕をまくる。廊下を渡って、庭を一望できるリビングの大 きな窓からサンダルをつっかけて、まずは洗濯物を下ろしにかかる。すっかり手慣れたもので、頭ではモンハンのことを考えながらでもできるようになっていた。
こんな調子でお米のセットまで終えると、ぼくは次なる仕事が待っているかのようにゲームをしにせっせと自分の部屋へ戻っていった。
ぼくのにらんだ通り、ちょうど一ランク上げ終わると晩ご飯をつくりはじめるのにぴったりな時間だった。
なんとなくスマートフォンをみると、ゲームに夢中だったせいかメッセージが届いていたことに全く気がつかなかった。そういえば帰ったら送るね、と言われたことを思い出した。
ぼくが家事に慣れ始めてから、だんだんとそういうのが得意なことがいつのまにか知られていたようだった。そのせいで家庭科のテスト前はすこし忙しくなって、あと今みたいに料理についてのアドバイスを聞いてくる女子たちと友達になったりした。
でもとっても残念なことに、肝心の生田さんとは一切そんなことがないんだけど。
ささっとぼくなりの助言を返すと、ご飯の仕度にかかった。今晩は得意料理のうちの一つの鮭のムニエルだ。母さんからの評判もいいやつ。
料理で意外に困ったのは野菜だった。そりゃあ毎日野菜は入れないとだけど毎日サラダってわけにもいかない。とりあえず昨日はサラダだったから、今日は和えておこう。
つくり揃うまでもうすぐ、といったところでがちゃり、と玄関から音がきこえた。それはすたすたという足音に変わって、リビングのドアが開くと、ただいま、と落ち着いた声にさらに変わった。同じ調子でおかえり、と返す。
そう言葉を交わして、ぼくの立つキッチンとテーブルの間を通って母さんの部屋に向かっていった。電子音のメロディがぼくに知らせたから、振り返って食器棚から出したお茶碗に炊きたてのご飯をつぐ。今日もいつも通りぴかぴかとおいしそうだ。
よそう段階になって、今日もいい匂いね、と言いながら手伝いにきてくれる。この時間は結構好きだ。
すっかりテーブルの上に出揃い、各々いただきますを唱えて、ぼくのつくったご飯を食べる。母さんに言わせると、最初から美味しかったけれど、今じゃもうすっかり胃袋を掴まれた、そうだ。いつもおいしそうに平らげてくれる。
二人ともが食べ終わったから洗い物を始める。ためてもあまりいいことがないのはすでに学習済みだ。
今日ももうじき終わる。家事を始めて以来、毎晩これくらいの時間に思うようになっていた。
父さんも――もう泡のついていない食器がないことを確認してスポンジを戻す。父さんも、毎晩こんなことを思っていたのかな。流しの隣のラックに泡を落とした食器を並べ立て終えると、風呂掃除に向かった。
中学生になると、いつのまにか生活が不規則になった、とかいうやつがいるけど(先生がそうならないように注意を促すくらいだ)、ぼくにはそれは無縁だった。むしろ、家事のために休日もそれなりに早く起きないといけないから、小学生の頃より規則正しいかもしれないくらいだ。
今日は土曜日でいつも通りモンハン部があって、しかも今週はぼくの家で行われる。だからいつもよりすこし早く起きて掃除を念入りにした。
家事、とくに掃除は終わりがみえづらいから、次の用事が止めてくれないときにするのは危ない。だからなかったらノルマをつくる。
気合いを入れたら思いのほかはやく終わった。ゲームはこれから飽きるほどするし、仕方ないから約束までの一時間を宿題に使うことにした。いつもならしないのに、なんとなく気が向いたから。
もしかするとぼくは夢中になりやすいタイプなのかもしれない。インターフォンからチャイムがきこえてやっともう約束の一時なことに気づかされた。
慌てて廊下にあるカメラをみると、他でもない三人だった。それぞれの鞄のほかに、(部のルールである、家主以外がお菓子とジュースお持ち寄る、の)レジ袋を提げている。廊下を走ってドアを開けに行く。
「おっす、おはよう」
ぼくのあいさつに対する返しは、ねみー、とくしゃみと笑顔だった。
いつものことのように三人をつれて洗面所にいく。手洗いとうがいを済ませて、ぼくの部屋へ入る。アキはまっさきにはいるやいなや、どかっと真ん中の座布団に座った。この部の一応部長だ。言い出しっぺなだけだけど。
うって変わって慎重に入ってきては隅のほうの座布団についたのはケンだ。花粉症がひどいらしく、最近はティッシュとゴミ袋をいつも持ち歩いている。
部員同士では名前を簡略化して呼び合うのもルールの一つだ。ちなみに康祐はコウ、ぼくはヒサだ。
勉強していたせいで、コップと箸――お菓子を触ったままの手でゲーム機を持つのはみんな嫌がり、いつも必須とされている――の準備を忘れていた。勉強なんてするもんじゃなかった、と思わざるを得なかった。
そろそろ解散の頃だった。みんなで挑まないといけないくらいモンスターの素材も大方手に入り、イベント限定のモンスターも倒し尽くして、活動内容としては十分だったしみんな満足していた。あとは恒例の手をつけなかったお菓子争奪のじゃんけんが残っていた。
ぼくのねらいはやっぱり醤油せんべい。何枚でも食べられる。逆にコーンの風味が強いスナック菓子は苦手なのだ。
このじゃんけんは残酷で、勝った順ではなく勝つと一つ選ぶことができ、また次のじゃんけんとなる。つまり絶対にもらえる保証がないから、みんな本気だ。ちなみにこれを考え出したのは言うまでもなく康祐だ。
アキがみんなセーブをして電源を落としたのを確認する。じゃあ、いくぞ。そう言って身構える。緊張がこの場を支配する。
「じゃんっけんっ」
アキの声に合わせて三人も手をだす。四人で確認し合う。どうやら勝負はついていない。すかさず「あいっこでっ」と叫ばれ慌てて手をだしなおす。
結局今回はぼくはひとつも獲得できなかった。康祐が一番多かった。気のせいなんだけど、康祐が一番だと頭がいいから何かしたんじゃないかと疑ってしまう。アキが問いただしても、してないよ、と笑うだけだった。
それぞれが荷物をまとめ終えると、ぞろぞろと玄関へと向かった。
「久人は買い出し?」
うん、一緒に出る、と準備をしながら返す。次の一週間のメモもちゃんと左ポケットに入れた。
例のキャンバスまでくると、ぼくだけそこから離れた。じゃあ学校でな! と近いのに大声でアキが言うので、微笑んで手を振った。そういえば前にそういうとこが久人の母さんと似てるって康祐に言われたことがあったな。
今日の買い出しは夕方の少し前と、いつもよりはやいから一番安いスーパールミナスにいける。そのことはお菓子をひとつも得られなかったことを忘れさせるくらいラッキーなことだ。嬉しくて、つい早足になる。
キャンバスを左に曲がって学校の方にいくと、二車線の大通りに出る。そこをまた左折する。この通りは車だけじゃなくて自転車も多くて、来るたびに散歩に向いてないな、と思わされる。騒がしくてまぶしくて、あまりいたくない。
そのなかでもひときわまぶしいスーパールミナスに着いた。ぼくと同じことを考えているのか、他のスーパーのいつもよりも混んでいる。
ガラスに貼り付けられたチラシを横目に、オレンジのカゴを取っ手が緑のカートにのせる。スーパーはいつも寒すぎるから好きじゃない。通りからのスーパーでコンボ攻撃だ。
だから先にメモを確認してなるべく効率よくカゴに入れていく。おかげでいくらか頭がよくなったかもしれない。
今日はなぜか計っていれば最短時間だったかもしれないってくらい早く回ることができた。ラッキーは続くもの? と考えながらレジを済ませて袋に詰め込む。
寒い思いをしながらようやく出られ、腕をさすりながら歩道を進む。いつもすこし憂鬱な帰り道も、なんだか楽しめた。もう十月に入り、やっぱり冷えてきたのかな、と思わせる風が通り一帯を吹きさらう。
だらだら歩きつづけて、そろそろキャンバスだ。すこしゆっくり歩きすぎたかな、もう六時だ。と、時間を確認してスマートフォンから目を上げると、つい止まってしまった。
スマートフォンの次に目が合ったのは、生田さんだった。