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第三話

 詩人の男が何の気なしに中折れ帽を持ち上げ、夜空を見ると、濃い灰色の雲が一面に浮かんでいた。風の強い晩のことだった。

 詩人は最近、天体観測にはまっていた。旅の吟遊詩人である彼は仕事柄、方角を知る為にも星空をよく観察しなくてはならない。それが高じて楽しくなってきて、趣味の域まで達したというわけだ。

 特に雲一つない、小さな星がちりばめられた空、そこに浮かぶお月さまは極上の眺め。彼は今日もそれを楽しみにしていた。

『しばらく晴れるって聞いたんだがな……明日に期待しよう』

 彼は帽子をかぶり直し、冷たい風に身を震わせながら、宿に戻った。


 次の日、ライブ帰りの詩人が夜空を見ると、またも曇り空。昼間はすがすがしいほどの快晴だったのに。彼はちょっと首をかしげた。

 そのまた次の日、また次も曇りだ――雲は少し減ってきてはいたものの。天気予報も勘が鈍くなったらしい。

 そして彼はとうとう、文字通り仰天することになった。星の夜だというのに、お月さまだけが雲で隠れていたのだ。

『どうなってんだよ、これ』

 天も酷なことをするもんだ、と詩人は思った。神様は何が何でも俺に、お月さまをご覧に入れたくないらしい。


「お前、兄ちゃんなんだろ。なんとかしろよ。お前の怠慢だぞ」

 風の神はいらいらを隠せない。かんしゃくを分散させるかのように、わざと足を大きく踏みならしている。

「あーあ、あたしのせいだ。種雲なんか差し上げなきゃよかった。だからあたしの”しるし”は、これだから」

 雨の女神は自暴自棄になっていた。

「君は悪くないよ。妹の相談にのってくれたんだろ……第一、君があんな心ないことを言わなけりゃ」

 太陽の神も珍しく取り乱していた。二人のフォローに追われ、解決策を探し、そもそも仕事も残っている。

 お天気の神々は、月の女神の籠居に頭を悩ませていた。部屋から出てこないばっかりではない。満月さまの台座にかけた黒い覆いと、地球にばらまかれた種雲に邪魔をさせている。ひたすら彼女と、その分身の姿をお目にかけないように。

「とにかく、まずは妹の部屋を開けるのが先決だ。ぼくがまた言ってくる」

 太陽の神は立ち上がり、それはそれは勇ましく、妹の部屋に向かった。


「おーい、妹。そこにいるんだろ」

 とんとん。背後の戸が軽く叩かれる。月の女神は聞こえないふり、寝台の上で毛布をモッサリかぶった。台座の上の満月さまを真似っこだ。

「地球じゃ大騒ぎなんだよ」

 知ってますわ。だから何ですか。あるべきでない星があるべきでない場所から、消えただけではありませんの。

「晴れの空でも、望遠鏡をのぞいても、お月さまが見えないって」

 その話なら、さっきバルコニーで耳をすませて伺いました。偉い天文学者の特大望遠鏡まで、私のお月さまを見つけられなかったと聞きました。

「無責任なこと言って悪かった……この通りだ。関係ない君までけんかに巻き込んですまない。どうか許してくれ」

 許す? 違いますお兄さま。私は自立できていないダメな妹です。自分で”しるし”を作れない、足りない星なのです。だから隠れておくにこしたことありません。

 こんな簡単な言葉ひとつも言おうとしない。どうにも怠惰で不格好な自分を恥じたが、のどの奥から出てくるのは生ぬるい息ばかり。

 ほんとうに私は最後までダメな星なのだ。

 じっとしていると、兄の声は次第に小さくなって、やがて何も聞こえなくなった。扉の向こうで誰かと相談していたのかも。大方、自分をどうやって説得するか考えているに違いない。毛布でぎゅっと頭を押さえたが、胸の中を覆った雲が晴れるわけでもない。

 女神は部屋の中をみじめな気持ちで見渡した。何億年も前、初めて満月さまとこの部屋を与えられたときは、ときめきの詰まった宝箱のように思えたものだ。まん丸の満月さまにたっぷり陽を当てて、台座に置いたときの美しさといったら、たとえようもなかった。それがどうだ。あれは偽りの喜びだった。実際の自分は虎の威を借る狐だったにすぎない。

 バルコニーのカーテンが揺れている……閉め方が甘かった。厚手の布の隙間から、黒い宇宙と青い星がゆらゆら見え隠れしている。女神は毛布で体を覆ったまま、カーテンを閉ざしに窓際へ赴いた。


『……それでさ…………だよ』

『そりゃ……だったね。…………なのに』

 誰かの話す声。無意識にいつもの癖で、地球人の声に、耳をすませていた。

〈つづく〉

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