最強の然者
「といってもたったの5日だけだけどね」
野球観戦へと向かう道すがら、俺達は蒼木さんに特訓について詳しく聞いた。なんでも、父さんが卒業式の1ヶ月前から頼んでいたらしい。
蒼木さんの話では、大会までの5日間、毎日俺達を鍛えてくれるとか。まともな練習もしてない、それ以前に輝石をろくに扱ったことのない俺達にとっては魅力的な提案だが。前もって頼んでいたとは言え、1ヶ月前程度で然上会序列1位のスケジュールを抑えられるとは思えないが。そもそも父さんは蒼木さんとどういう関係なのか。
「それで、大会が終わるまでの間は私の家に泊まるといいよ、って、俊くんちゃんと聞いてる?」
頭に大量の疑問符を浮かべていると、突然、蒼木さんが顔を近づいてきた。
「わっ。急になんですか?」
「全然急じゃありません。俊くんがぼーっとしてるからでしょ!」
「なに赤くなってんだよ、俊」
頭の中を駆け巡る疑問から目の前の美少女に強制的に意識を向けられると、思わずドギマギしてしまう。そんな俺の思いは届かず、お冠の美少女と、俺の思いを汲みすぎる親友。大笑いしている晴人を弱々しくもひと睨みした後、蒼木さんに平謝りした。
「もう、いいです。その代わり、今夜は朝まで付き合ってもらうんだから」
ちっとも納得してないと言わんばかりにふてくされている蒼木さんはどこか嬉しそうに言った。っていうかほんとになんて言った?
「えっと〜、今なんて?」
「だから、朝まで付き合ってもらうって言ったのよ。私の家でね!やっぱり聞いてなかったんだ〜」
今度はどこか嬉しそうな蒼木さんと見れて、幸せを感じながらも思考を彼方まで飛ばしていた。さっきから俺ばかり話しているけど、なんで晴人は入ってこないんだ?あいつは人の話を聞かないようなやつじゃないのに。まさか、いつのまにかの蒼木さんの家に泊まる宣言から俺と同じように現実を見れてないのか?などと、考えていると久しぶりに晴人の声が聞こえた。
「そろそろ横浜スタジアムに着きますよ」
「って、なんで冷静なんだよ」
「なんだよ、僕はいつも冷静だよ。あっでも、別に冷たい人間じゃないけどな」
「そういうことじゃなくてだなぁ〜。まぁ、いいや」
長い付き合いで、晴人のこういうところは分かっているつもりだ。きっと、No.1の然者に修行をつけてもらえる興奮が大きいのだろう。今はそれよりも大きな問題が、
「別に蒼木さんの家じゃなくても、ホテルかどこかに泊まりますので、お構いなく」
「ホテルってもお〜。どういう意味?」
「どういう意味って、変な意味はないですけど」
「どうだか。まぁ、でも特訓の効率を考えても私の家に泊まるのは決定事項だから。達也にも話は通しているからいくら抵抗しても無駄よ」
「いい加減、受け入れなよ。もう時間だし、うじうじと男らしくないよ」
確かに、もうスタジアムは目の前。完全に逃げ道を塞がれているし、もう認めるほかあるまいか。外堀を埋められていると逃れられない。それとも、女の人と話すのに緊張しているだけなのか。何にしろマネージャーに勝手に嫌な仕事を持ってこられたタレントの気持ちが分かるような。
「分かりましたよ。じゃあ、今夜から3人でお世話になります」
「あっ、お世話になります」
「ふふっ。どういたしまして。でも、3人?あっ、達也ならどこかのホテルに泊まってもらうから。あんな中年を女の子の家になんて泊められないもの。さぁ、もう試合が始まるし、行きましょうか」
「そんなっ!ちょっと、待って」
満面の笑みとともにさらっと放たれたとんでもないセリフに一瞬、固まった後、先に行ってしまった彼女と親友を追いかけて、父さんを含めた全員と合流し、席に着いのだが…
結局、せっかくの野球観戦には全く集中できず、試合は終わってしまった。
ー試合後ー
「はぁー。楽しかった」
「土壇場での逆転劇は見に来た甲斐がありましたね」
楽しそうに笑っている3人を尻目に、俺はこの後の予定にかなり緊張して、こわばっていた。いや、女の人の家に泊まるとはいっても、何かある訳もないのだが、どうしても緊張してしまう。もちろん、それと同時に、いやかなり嬉しい気持ちもあるのだが、1人はしゃいで変な雰囲気になるのもいかがなものか。それ以前に何を話していいのかも分からない。
こんなどうしようもないことに思考を巡らせているうちに、いつしか蒼木さんの住む家の前まで到着していた。
「じゃあ、あとは任せた。明日くらいは様子を見に行くから」
「別に、来なくても結構ですけど。まぁ、分かりました。2人のことは私に任せといてよね。それじゃ、また明日。おやすみ、達也」
「ああ、また明日な。おやすみ」
「おやすみなさい。また、明日よろしくです」
「おやすみ、父さん」
別れの挨拶もそこそこに、父さんは予約しているというホテルへと向かった。
「じゃあ、入りましょうか。歓迎するわ」
「「お世話になります」」
いい加減、腹を括って元気よく返事をして、俺達は蒼木さんの部屋に通してもらった。まぁ、世間話なら晴人に任せておけば大丈夫だろう。
家にあげてもらった後、それぞれ、5日間過ごすために用意してもらった部屋に案内してもらい、リビングで一息ついた。
「それにしても広い家ですね。本当に空き部屋がたくさんあるなんて」
「ありがと。でも、一人暮らしだと部屋を持て余しちゃって。だから、2人が来てくれて久しぶりに気合い入っちゃって、ついはしゃぎ過ぎちゃって。ごめんね」
そう言って、片目を閉じてウインクしてみせる彼女は素直に可愛い。今日、一日の言動をみても楽しい人なのだろう。はしゃいじゃったと反省しているが、気をつけないとつい、うっかり恋をしてしまいそうだ。などと考えていると、再び晴人が口を開いた。こういう時は本当に頼りになる。
「蒼木さんって、まだ若いのにどうしてこんな大きなお宅に一人で暮らしているんですか?やっぱり、序列1位だとお金には困らないとか」
「そんなことはないんだけどね。序列1位といっても然者の社会は世知辛いのよ。ここからだと、東京の然上会の本部にも近めだし、それに何よりね、私、横浜の大学に通っているのよ」
「えっ、大学生なんですか」
晴人の突っ込んだ質問にも嫌な顔一つせず、答えてみせた蒼木さんの返答は意外なものだった。然者で高校以上の学歴を持っている人は少ない。然者になるために学校に行かず、自分の腕を磨いている人がほとんどだ。事実、俺達も高校に通ってないし、然上会のそれも1位の人が大学まで行っているとは驚きだ。
「おっ!やっと反応してくれた。意外?」
「ええ、なかなかいないと聞きますし。学校に通いながら、大会で勝つのも難しいのに、現役No.1の然者なんて」
「ふふーん。私は優秀だったもんで」
俺の素直な賞賛を受け、蒼木さんは得意げだ。いくら凄いことでも、こうも得意げだと嫉妬で腹が立ってしまうものだが、蒼木さんの場合はなんだか様になっていて、少しも嫌な気がしなかった。
「本当に凄いことですよ。然者は学歴がないからバカにされることも多いので、尊敬します」
「ありがと。確かに、然者の学歴は問題なんだけどね。まぁ、それは置いといて、私、今大学2年生で将来は学校の先生を目指してるの」
「そうなんですか。素敵な夢だと思いますし、応援します」
「ありがとう、晴人くん。私も君達のこと応援してるから。明日からの特訓も気合い入れていくから覚悟しといてね」
蒼木さんからの可愛らしい宣戦布告を受け、俺もずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ちなみに、蒼木さんと父さんは知り合いみたいですけど、どういう関係なんですか?父さんからそんな話聞いたことなくて」
「達也とは、昔からの幼なじみってやつかな。歳は結構離れてるけどね。今は、友達で然者仲間ね。達也が然者ってことは知ってるよね?」
「はい、知ってます。って言っても、初めて輝石に触れた時にいきなりの告白でしたが」
「そうなのよね。あの人、いつもいつもいきなりで。そのくせ、約束通りには来ないし、何なのかしらね。あぁ、ごめんね。人のお父さんを悪く言っちゃって」
「いえ、気にしないでください。父さんが悪いので。それにしても、ずいぶんと迷惑をかけているようで、すみません」
俺の苦笑いとは対照的に、俺の愚痴で火がついてしまった蒼木さんは嬉々としていた。さすがに、俺に謝ったときは、申し訳なさそうだったが。全く、父さんには困ったものだ。蒼木さんもずいぶんと溜まっているらしく、俺の方が申し訳なくなってしまう。明日、父さんに会ったら文句の一つでも言っておこう。
「まぁ、達也とはそんな感じ。っと、もう結構遅くなっちゃったね。今日はもう寝ましょうか。明日は、6時にここに集合ね」
蒼木さんの視線の先の時計の針は「12」を指していた。話(主に、父さん愚痴)に夢中になっていたうちに時間が過ぎていたようだ。
「分かりました。それじゃあ、明日からよろしくお願いします。おやすみなさい」
「よろしくお願いします」
「ええ、よろしくね。それと、おやすみなさい」
父さんの愚痴の間ずっと、俺と蒼木さんの相手をしていた晴人が、すぐに切り替えて返事をした。どうやら、俺も人のことを言えないらしい。反省しつつ、蒼木さんに挨拶を済ませ、晴人と共に部屋を出た。
「俊、明日から楽しみだな」
「あぁ、レベルアップして、他のやつよりも強くなってやろうぜ、晴人」
寝室前で、親友と決意を新たにした後、俺達はそれぞれの部屋でベッドに入った。
さぁ、いよいよ明日から然者の特訓スタートだ。