666の王(三十と一夜の短篇第7回)
……ある暑い夏の日、宣戦布告の詔が発せられ、実際に戦争が始まるまでの、家具の隙間のような時間のなかで帝国と帝国臣民は不思議な浮遊感に襲われていた。それは歴史的瞬間に立ち会ったと勘違いした人たちの、一種の妄想であった。もうじき大勢の若者が死の歯車装置のなかでひねりつぶされることになっていたが、当の若者たちは軍服とそれに対する世間の尊敬にものの見事にだまされて、次々と兵役を志願していった。
あらゆる場所に国旗が掲揚されていた。油の煮えたぎった鍋のなかに串で刺し貫いた平らなパンを突っ込んでは皮がぱりぱりになるまで揚げる揚げパン屋、ねずみ色の中折れ帽を塔のように積み重ねた帽子屋、植民地の土民たちが高級木材を切り出したりダイヤモンドを掘り出したりしている多色刷りのポストカードを売る絵葉書屋はみな店先に帝国旗を掲げていた。白地に黒い剣の十字の旗がバタンバタンとせわしない音はスリッパで人の頭を何度も叩くときのせわしないありさまを思い出させた。
出征する兵士たちが紙吹雪の舞う町を練り歩いているのに、チョコレートボンボンをつくる工場ではボンボン菓子を入れる箱の蓋の絵柄のことで重役会議が持ち上がっていた。これまで蓋の裏の絵柄はピンクのドレスを着た金髪碧眼の女の子が流れるような書体で「ハーモニーのチョコレートボンボン」と記したリボンを結び、枝のブランコに乗り、そのふわふわしたスカートから黒い靴を履いた白いストッキングに包まれた細い脚がちょっとだけ見えている子どもっぽい図柄を採用していたが、こうして帝国の威信と生存をかけた戦争が起きたからには図柄もまた愛国心に富んだものにしなければならないという意見が持ち上がり、急遽画家が雇われたのだ。画家は大急ぎで絵を仕上げた。二つの絵柄が候補として重役会に供せられたが、一つは黒いアイロンのような戦艦が帝国海軍の旗を艦尾にはためかせて黒煙を噴きながら主砲を発射し敵の旗艦を撃沈している絵で、沈みゆく敵の戦艦は真っ二つに裂けた船体から地獄の釜もかくやと思わせる煤まじりの炎をふき海に消えてゆこうとしていた。当初は漕艇で脱出している敵の水兵たちも描かれていたが、ひとたび帝国の威信と生存をかけた戦争が起こった以上はたとえとチョコレートボンボンの箱のなかにおいても敵に情けをかけるべきではないという支配人の指摘によってあわれ水兵たちは海色の絵の具によって塗りつぶされてしまった。
もう一つの絵柄は帝国胸甲騎兵連隊が敵の砲兵隊へ疾風怒濤の抜刀突撃を仕掛けて敵のやつばらを片っぱしから切り伏せている絵であった。きらびやかな兜と鎧に身を包んだ騎兵隊の足元には額をぶち割られた砲兵や車輪の外れた野戦砲や砲弾用の巨大な空薬莢が散らばっていて、一番手前の騎兵は情けなくも背を向けて逃げる敵兵に一太刀くれてやろうとサーベルを振りかぶっていたのに対し、一番奥の騎兵隊はやはり情けなく逃げていく敵兵を追って図柄の外に飛び出そうとしていた。
票は真っ二つに割れた。普段は重役会議のような場に呼ばれることのない画家はまったく恐縮した様子で芸術家風の帽子をいじりながら、侃々諤々の議論を見守っていた。やがて、白い髭をいじくっていた工場主が突然顔を真っ赤にして怒りだし、どちらの絵も使いもんにならんと言い放った。「諸君、皇帝陛下が指揮する兵科のなかでもっとも頭数の多い兵隊は何か分かるかね? 歩兵だ! 一番の客層は歩兵を戦場に送り出す母や恋人にもかかわらず、この芸術家先生が持ち込んだ絵は戦艦と騎兵の活躍を描いたもので、まったく使い物にならんじゃないか!」
こうしているあいだにも戦争は近づいてくる。だが、人々はアヘンチンキを飲み干したように夢心地だ。歴史的瞬間に立ち会っているという熱情が帝国臣民を統一したのだ。
考えてみると、戦前の帝国世論は曲芸飛行に失敗した飛行機のようにバラバラになりかけていたのだが、敵の急迫不正かつ傍若無人な要求を突きつけられたとき、帝国臣民はそれに唯々諾々と従うどころかいまや一致団結して立ち向かう心構えをつくったのだ。かつて帝国議会はバラバラであった。皇帝党、保守党、自由党、急進党、国民党、自由国民党、国民自由党、中央党、社会党、社会民主党、統一党、農民連盟、進歩派グループ、一月党、二月党、三月党、四月党、十二月十七日同盟……それぞれの利害にしか興味がなく、帝国としての歴史的一体性を無視したこれらの政党たち。かつては砕け散った陶器ほどの価値もない畜生ども、人食いの集まりに過ぎなかったが、帝国の威信と生存をかけた戦争という国難に際して、いまや挙国一致内閣をつくりあげ憂国の士となったのである。議会では演説がされる。帝国の象徴である剣十字の旗を抱えた騎士像のもと、どの演説も戦争を賛美とまではいかなくとも、肯定してはいる。つまり帝国とは平和を愛する国家なれど、無法と侵害に対してはいつでも受けて立つ準備のある国家であり、そうした国家とは高次な次元の精神によって結びついた統一的社会集団であり、敵のやつばらめはこうした高次な次元の精神によって結びついた統一的社会集団を敵にまわしたことを海が干上がるその日まで後悔するであろう。高次な次元の精神によって結びついた統一的社会集団たる帝国は敵を殴りつけ、蹴りつけ、熱い鉛玉をぶちこみ、踏んづけ、切り裂き、歯で噛みついて、食いちぎり、引きちぎり、ぶちのめし、目玉をくりぬき、撃沈し、撃墜し、地雷で吹き飛ばし、完全に消滅させるその日まで戦いぬく準備がある。それはこの議事堂に満ち溢れた一つの統一的精神、すなわち愛国心が証明している。
愛国心は伝染性である。いくつかの伝染病は薬によって消滅したが、愛国心を消滅させる薬はいまだかつて存在したことがない。馬鹿につける薬がないことと同様であり、両者のあいだには相関性がある。つまり愛国心に罹患するにはある程度の馬鹿が素地になければならない。逆に人より馬鹿であるほど重度の愛国心に罹るともいえる。政府が、軍が、議会が、そして民衆がこの愛国心に罹患することはすなわちこれみな馬鹿である証明なのかもしれない。
沿道の人々が愛国心に罹患し、小さな国旗を振っている。若者たちの出征だ。二階建ての家の窓から貴婦人がハンカチを振り、花を投げ、召使いはわざわざ一階の玄関から駆け出しチョコレートボンボンをプレゼントする。この若者たちはこれまでチョコレートボンボンなど食べたことのない百姓や工場労働者だったから、美しい上流婦人がこんなにおいしいお菓子をくださるなんて、兵士とは何と素晴らしい職業だろうと夢想する。
しかし、大通りという大通りを全て練り歩いていくこの若者たちと馬の群れ、一糸乱れぬ軍服の着こなし、銀のコップをつけた背嚢をまるで綿袋のように軽々と背負っていくその力強さたるやなんであろう? 彼らは皮革屋のせがれ、百姓のせがれ、薬屋のせがれといった具合でまだ高校も出ていない学生もどきもいる。ときおり恐ろしく若い青年がいる。つかまえて事情をきいてみればまだ十二歳でどうしても戦争に行きたかったんだ、と涙ながらに訴える。こうなると捕まえたほうが悪玉でなぜ行かせてあげないんだ、その手を離せこの悪漢めと四方八方を囲まれて敵だらけにされる。さっきまで華やかな顔をしてリボンや花を投げていたご夫人が鷹のように目を吊り上げられる。圧力に負けて、子どもをいかせてやる。こうして十二歳は長生きをすて、死の歯車装置へと放り込まれる運命に喜んで馳せ参じたのだった。
二人の紳士がどちらのほうがより愛国心に溢れているか、つまりどちらのほうがより馬鹿かを言い争っていた。紳士甲(以後甲と表す)は二人の息子を戦陣に送ったといった。第六猟歩兵連隊に二人将校がいるのだ。よって自分のほうが愛国心に満ちていると甲は主張する。紳士乙(以後乙と表す)は戦時国債を二万クラウンほど買った。乙は二万クラウンという大金を祖国の兵隊が何不自由なく暮らせるようにと戦時国債を買った人物のほうが愛国心に満ち溢れていると主張した。ここに紳士丙(以後丙と表す)があらわれ、丙は息子を一人出征させ、戦時国債を一万クラウン買ったと話に割り込むと、甲乙丙は決闘で決着をつけなければならなくなった。介添え人、調停人、もしものときの医師二人が用意され、三人の紳士には菅打ち式のピストルが与えられた。太陽光線でどちらかが不利になったりしないよう慎重に場所を選定し、ステッキを中心に二十歩離れた場所から発砲することとなった。まず甲が乙を撃った。丙は銃を捨てて逃げてしまった。胸を撃たれた乙のそばに茫然自失の甲が寄ってくるも介添え人にはばまれて、近づくことかなわずピストルを取り上げられ、呆然自失の態で森の入口付近をぶらぶらしていた。医師たちは乙のシャツを切り開くとアルコールで塗らしたコットンを傷口にあて、黄燐マッチをすって、乙の目の前にかざしてみせた。乙の瞳孔はぴくりとも動かなかった。こうして戦時国債二万クラウンは償還の必要がなくなったわけだ。
下賎なお金の話から遠のいて華やかなレストランに目を向けると、士官と上流の令嬢だけが入ることを許された高級レストランでは南国の観葉植物にあふれたホールで花に負けじと飾り立てた女性たちがテーブルでまだ戦争に行ってもいないのに吹聴される手柄話の法螺につきあっていた。高い天井はガラス細工で満ちており、光が砕け散ったガラスのようにきらきらと降り注いできた。それが紙吹雪に似ていることから連隊長のお眼鏡にとまり、皇帝党の機関紙にまで掲載されることなった。もう少し知恵を働かせれば、このきらきらが夜にまぎれてやってくる偵察隊を照らすリン酸弾やその偵察隊が機関銃で撃たれたとき五発に一発飛んでくる曳光弾の光に似ていることがわかったであろうに。
どのテーブルも必ず若い女性二人に士官が二人席についていて、シャンパンや赤ワイン、シチューやスープ、海老をとじこめたコンソメのゼリー、生ハム、舌平目のソテーとサーモングリルといった料理や飲み物がめかしこんだウェイターの手で次々と運ばれてくる。料理をぱくぱく平らげていく。それにコーヒー、チョコレートケーキ、レモンケーキが加わる。たっぷり楽しまねばいけない。ある士官は禁欲的なところを見せようとしていった。「しっかり食べておかないと後で後悔することにもなりかねません。前線ではビスケットと冷えたスープで暮らさねばならないのですから。しかし、それも帝国のためです」
女性たちがまあ、と本気で同情してみせると、この禁欲気取りはますます図に乗った。そうして彼にただならぬ視線を浴びせた若い娘とねんごろな仲になったのだ。
その後の交わりは割愛し、また通りに戻ると、熱狂とも驚愕ともとれない声が沿道沿いの民衆からわきあがった。見たこともない長い装束の騎兵隊が小柄な、だが身分の高そうな凛とした表情の若者に続いて首都の通りを練り歩いていく。自動車や荷馬車も道をゆずり、この言葉が通じそうにない騎馬武者たちを通していく。彼らは百年前に帝国の支配下に置かれた辺境部族だった。辺境部族の騎兵隊がこの戦争で帝国のために草原から馳せ参じたというニュースはあちこちにひろがり、この田舎ものの騎兵を一目見てやろうと沿道やアパートの窓々に野次馬根性たくましい連中が集まり始めた。
辺境の騎兵隊はまず砲兵隊広場に入って青銅砲の台座をまわって、クーノ大公通りへ進んだ。新聞記者らしい男たちが辺境部族の男たちの姿をメモ帳に殴り書きにした。草原の衆族と呼ばれていた彼らはみな髭もじゃで毛皮や革に鋲を打った帽子をかぶっていた。カービン銃を背負った裾長の服はツギハギだらけで裾はぼろぼろ、胸の弾薬筒から実包が零れ落ちることも珍しくなかった。草原の衆族は宣戦布告の詔を届けられると十五歳の王子を筆頭に六百騎、馬上で芋の干し餅をかじりながら、寝ずに帝都へ馳せ参じたのだった。皇帝はこの行動にいたく感動し、今夜の晩餐会で自ら十字勲章を王子の胸につけると宣言した。
そのころ国境近くの帝国空軍飛行場では翼のなかにも人が乗れる巨大爆撃機、機首に円筒状の銃座を有する攻撃機、鳩やツバメに形を似せた単葉戦闘機が離陸して、敵の町を一つ焼き払うところであった。この空中艦隊は三十分後に目標の町を見つけた。谷間にある小さな町で武器は猟銃くらいしかない上に、警告のビラまきも行わなかったためまだ民間人が住んでいた。民間人たちは巨大な飛行機たちが飛んでくるのを見て、不安に思った。ここには兵隊はいないということを知らせようと真っ白なシーツを振り回してみたが、近づいてくる帝国軍機はちっとも反応せず、ずんずんと近づいてきた。巨大機の影が教会にかかったとき、巨大機の波型のついた金属の腹が開き、黒く長い金属製のなにかがひゅーっと長い音を引いて落ちてきた。すると羊が放牧されていた牧草地に火柱があがり、空から焦げた羊毛付きのラムチョップが町に降り注いだ。住人はパニックを起こした。爆弾が通りの真ん中に落ち、犬をかかえておろおろしていた老婆と猟銃を空に向けて撃とうとしていた若者が三つの茅葺き民家ごと吹き飛んだ。爆弾は次々とふり、火柱で町の形が大きく変わったころになって攻撃機が舞い降りてきて、生き残った家畜や馬車、家屋に激しい銃撃を加えた。
帝都のビアホールは戦争一色であった。普段から人を煽動したくてうずうずしていた連中がここでやらねばとテーブルや果物箱に乗っかって親鵞鳥よろしくギャアギャアわめくと、子鵞鳥たちもギャアギャアわめく。ビールがつぎつぎと運ばれ、焼肉やコイ料理がたいらげられ、そうしているうちに、誰かがスパイをしているといい始めると大変なことになる。誰それの家には敵の国に親戚がいるとか、誰それの店には秘密の通信装置があってカウンターの奥の部屋にそれが必ずある。おれたちがこうしているあいだに敵は我が国の内情をスパイしているのだ。発信しているのだ。誰かがいう。そういえばコーヒー店が怪しいぞ。それで一貫の終わり。コーヒー店に煉瓦が投げつけられ、カウンターの上の壜やコップやテーブル、壁にかかっている額縁までひっくり返し、通敵の証拠をさがす。カウンター裏の扉を破って、秘密の通信機を探し出す。ビール会社の配送トラックを運転している男が何か音を発する怪しい箱を見つける。「あったぞ」それは二つのつまみのついた緑色のただのラジオであった。
《ハロー、ハロー。こちら帝国放送局》
歩兵と騎兵のパレードはつづく。紙テープが飛んできて装具にからませたまま歩く兵士たち。在郷軍人会の老人たちが昔もらった勲章やメダルを胸につけ銃のかわりにステッキを手に彼らの横を歩く。子どもたちは銃をもたせてくれとねだる。彼らには死の歯車装置がまったく見えていない。だが、見えている人もいる。この首の太い老人は「戦争反対! あらゆる戦争に反対する!」と叫んでいる。だが、行進曲が派手になるなかで群衆は老人の言葉など耳にも入らず、統一された制服たちの動きを眼で追っている。
平和主義者の老人はがっかりして歓声をあげる民衆から離れると、近くのレストランで入口に近い席についた。
「このままではいかん。帝国も連邦も自分たちが回転ノコギリにかけられそうになっていることにまったく気づかない。誰も耳を貸してくれない」
ドアの鈴が鳴った。男が入ってきた。男は帽子も脱がずに首の太い老人を探し出した。平和主義者の老人はコーヒーを飲もうとしていた。男は六連発銃を取り出すと、「国賊!」と叫んで平和主義者の老人の太い首に二発撃ち込んだ。国に対する愛ゆえの犯行だった。
警官がやってきたとき、すでに男は店主とウェイター、それにたまたまソーセージを食べていた客に取り押さえられた。平和主義者の老人はもう死んでいた。
パレードは? 一人の平和主義者の死がこの巨大な戦争粉飾装置を止めたりできるだろうか。否。金モールと金ボタン、そしてライフルの魔力にからめとられた若者たちは決して行進をやめない。
帝国が戦争と時代精神の大きなうねりのなかを進んでいると、世の中が混乱していることをいいことに暴利をむさぼる輩がいる。間口のせまい穴倉のような楽譜店では行進曲の楽譜が飛ぶように売れた。楽譜の半分は店の親父が適当にオタマジャクシをふっていき、ラベルに《橋の番人の行進曲》と書いて貼っておいたもので、これだけで5クラウンもする。あるいは皇帝陛下直筆の詔だとうそをいって、愛国心で判断能力の鈍った人々に二束三文の紙切れを売り渡す骨董屋、商売敵を敵に通告していると言いふらし暴徒に思う存分つぶさせたレストランのオーナー。
だが、それら愛国心の名で行われた悪行を裁判所に引っぱり、黒くなるほどニスを塗った証言台に立たせるわけにもいかなかった。なぜなら、それらは愛国心の名のもとに行われたのだから。
コーヒー店の残骸から音が聞こえてくる。《番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします。我が高貴なる帝国空軍は決死の爆撃行を行い、敵国の村に決定的な攻撃をしかけました。これによる我が飛行隊の損害は皆無であり……》
ラジオのまわりに集まっていた人々がどっと騒いだ。それみたことか、我が軍は無敵だ。敵のやつばらめ、ちょっとは自分たちの愚かさが身にしみてわかっただろう。やつらは空から攻撃される備えをしていなかったとみえる。ちょっと部品を組み替えるだけで仰角を大きく取れる機関銃やトラックの荷台に固定したポムポム砲、そしてこの艱難辛苦の時代において華々しく生きる空の騎士、すなわち戦闘機乗りをもたずして、この空の戦いに勝ったつもりでいたのだ。ずうずうしい。
空中艦隊構想! かつてこの構想が取り上げられ議会にて巨大爆撃機十機分の予算が要求されたとき、議員諸氏からはそんな金のかかるものはいらない、海の上の艦隊を維持するだけでもかつかつなのに、空の艦隊までもが我が国の予算を食い尽くさんとしているとして、猛攻撃を食らわされた。結局、皇帝陛下直々の呼びかけで予算はしぶしぶ通ったのであるが、そのときの陛下の先見の明がいまこうして実際に帝国臣民の威信と生命を守るための戦いにおいて機能したのだ。結局、議員や新聞や目先の増税に思考を奪われた大衆は文句ばかりは言うくせに肝心要のことは何も知らないトンマの集まりであった。すると人々は言うのだった。「いや、わしはあのとき空中艦隊はぜひとも必要なものだと思っておった」「いや、おれは必要だと思っていたが、おれが投票した議員の馬鹿が……」「いや、おれは……」「いや、わたしは……」「いやいや、我輩は……」
煉瓦建てのスチーム式洗濯工場では熱いスチームで清められた軍服や燕尾服がきちんとおりたたまれ薄紙につつまれて馬車に乗せられていく。スチーム作業室は破裂寸前になりながらシャツやカラーに熱いスチームをかける。スチームは手洗いよりもよごれが落ちて、おまけに生地や縫い目を傷めない。手洗い式の工場ときたら、服をひっぱったり、水につけてから棒に叩きつけたりして汚れを落とそうとするもんだから、夜会用のシャツが分解寸前の飛行機のようになって帰ってくる。それに対しスチーム式はボイラーに直結した管に真鍮のオートマチック・ピストル型の噴出器を取りつけ、特に汚れた場所にスチームを吹きつける。すると晩餐会でフォン・ブレニム男爵夫人にぶつかられてこぼれた赤ワインのシミや子牛のほほ肉を切るときについた小さなソースの点が波にさらわれた赤ん坊のように消えてしまう。スチーム式洗濯工場では働いている従業員の実に八十パーセントが女性である。工場のなかで男はガラスで区切られた事務室の簿記係の老人くらいのものだ。若い男はみな兵役についているので、臨時で彼らの家族を雇ってあげたのだ。スチーム式洗濯工場の目下の悩みは戦争があっというまにケリがつき、また男どもが戻ってきたときのことだろう。兵隊というスリリングな経験をした若者たちが大人しく洗濯工場のスチーム係に戻ってくるなど考えもつかないことだった。そのときは女たちをひきつづき雇うことになるわけだが、したたかな女たちのことだから、きっと賃上げを要求してくるだろう。やれやれ。男たちが戻ってきたらどうなることやら。実はこんなことは考える必要もなかった。男たちはほぼ全員生きて戻ってくることはないのだから。
戦争はあっというまに終わり、華々しい勝利を祝う一週間ののちに全ては元通りになる、などというふざけた予言は一体誰が言いふらしたことであろう。黄色い歓声で送られた若者たちを戦争が五体満足な状態で返してくれるなどという根拠のない、船乗りのいんちき療法式定見はどこから生まれたのであろうか。敵が自分たちと同じように空中艦隊を有していて、いまその翼の下や胴体の爆弾庫に強力な爆弾を運び込んで帝国じゅうの主要都市を火柱にしてやろうとしていることを想像できないのはどうしたわけだろうか。すべては愛国心で説明できる。愛国心が人々の想像力を食ってしまったのだ。ゆえに人々は馬鹿になり、さらなる愛国心の菌糸が伸びる素地を提供し、ますます馬鹿になっていく。馬鹿と愛国心の恐ろしい循環はまず若者たちにそのツケを支払わせるつもりでいる。若者たちは馬鹿であるがゆえに戦場では花束や歓声と同じ密度で砲弾が降ってくるということに気がつかない。
町の音楽堂では耳障りな和音を鳴らすアマチュア・オーケストラによるチャリティコンサートが開かれていた。病気の子どもや親に死なれた子どもの学資をひねり出してきた楽団は市の名士令嬢から構成されており、これが飛びぬけてへたくそで退屈な演奏会をしでかす。寄付するまで席を離れることを許さないという場の雰囲気があるものだから仕方なく寄付するが、もし許されるのであればこいつらからトランペットを取り上げ、太鼓に穴を蹴り開け、クラリネットをへし折ってやりたいと思うのは衆目の一致を見るところであった。暴力は一夜にして真理にして倫理となっていた。いまや人々を支配するのは熟考や寛容ではなく、衝動と破壊である。
帝国の威信と名誉をかけた戦争にあって臣民の勇気と愛国心が不足することはないけれども、やはり先立つものがなければ始まらない。大砲を買うために国民から税金以外のやり方で銭を巻き上げる必要がある。そのときの決まり文句を考えるのは広告代理店の仕事である。老人や手足のない人が赤や緑の紙幣を手に銀行に並んでいる油彩画風のイラストで力強いフォントの文字が並んでいる「あなたも戦える。愛国国債」。戦時国債購入は実は愛国心よりも羞恥心に訴えたほうが効き目がある。勇ましい言葉の裏に隠された「若い人たちはみな戦地。あなたは何をしている?」といった後ろめたくなるような言葉が銃後の人々の財布のヒモを強制的に緩めさせる。戦時国債を買うことは神聖なる義務であり、軍務につけないものも敵のやつばらを打ち負かすための重要な要素なのだ。戦時国債を通じて銃後の人々は前線の若者の自己犠牲的精神と結ばれ、一つの統一的意志が確立する。
統一的意志! これは水や電気を節約するときに使われるのならかわいげもある言葉だが、戦争となると荷が重すぎる。別に国民は死に急いでいるわけではないのだ。国民が戦争に加担する際の心持はあまり統一されてない。せいぜい軍隊のかっこよさに眼が眩んだくらいのものにすぎない。うっかりだまされるその性質をもって統一的意志と呼ぶのならばそれもかまわないが、それでもだまされた代償が命と引き換えでは割りに合わない。
舶来ものの宝石のようにきらめく時間と並行してヘドロのような薄汚い時間もまた流れている。歴史的瞬間に立ち会うことを拒否し、兵役を拒否し、地下の薄暗い湿った洞窟のような居酒屋でアーチ状に窪んだ壁によりかかりながら、ビールをちょびちょび飲み、戦争もそれにまつわる熱気からも逃れていたいと考える虚無主義者たちだ。彼らはたしかに存在する。彼らは愛国心がないのか――その通り、彼らには愛国心がなかった。人道主義もなかった。彼らが馬鹿でないかというとまた別の話になるが、少なくとも戦争にいけるほどの楽天的感性を持ち合わせてもいなかった。何事にも冷笑的で行動することを苦手とするこれらの虚無主義者たちは泥水がどぶへ流れるように穴倉酒場へと導かれ、一杯のビールと一皿のソーセージを注文する。噛むとパリッと音が鳴るほど身のつまったソーセージをつまみ、死にゆく若者たちの軍靴の音を頭上に聞きながら飲むビールは格別の味だった。
ガラクタ市場では利にさとい連中がメダル探しをしている。はしっこい商人たちはお菓子のおまけのメダルにリボンを結べば勲章に見えないこともないことを発見したのだ。メダルは町のあらゆる場所に落ちていた。水がめのなかに落ちていることがあれば、やすいふすまパンのなかに入っていることもあり、質屋の店先に真鍮や象牙でできた小物と並んだ異国で祀られる神さまらしき二束三文の陶器の像の後ろにひっそり隠されていることもあった。こうして集めたメダルに錐で穴を開け、青く染め上げた安っぽいリボンを結べば従軍メダルに見えないこともない。これから兵役を経験したことのない偏平足の連中はかっこをつけるためにこのガラクタに喜んで金を出すだろう。それでいっぱしの男になれるのなら安いものだ。彼らは勲章を身にまとう資格のないまま、おのれの胸をきんぴかに飾りたいと思い、こんな子どもだましに金を出すのである。彼らは知らなかったが、勲章の偽造はかなりの重罪で、もしばれれば買うほうも売るほうも確実に守備隊刑務所送りであった。
ガラクタ屋が町じゅう埃まみれになりながらメダルを集めているそのころ、三百人の料理人を擁する宮殿の厨房から荷馬車にして五十台分のチーズ入りソーセージと焼肉、それにコンソメスープが運び出され、皇帝陛下より民衆に対しての贈り物として振舞われた。料理は集まった民衆の手によってほぼ食い尽くされ、おかわりの何百皿というアップルパイが振舞われることになるといよいよ人々は興奮してきた。アップルパイを積んだ荷馬車たちは銀の兜をつけた近衛騎兵に守られながら宮殿の永遠と続くような前庭を走り、広場に集まった民衆たちの手に委ねられた。最初の瞬きのあいだにアップルパイの半分が消えて、次の瞬きではパイを乗せた皿までも消えてしまった。皇帝陛下万歳が唱えられた。集まった人々のなかには急に気前がよくなって歴史的瞬間にふさわしい一本十クラウンもする上等の葉巻が吸いたくなり葉巻屋に足をむけたものもいたが、ほとんどのものはアップルパイの次にはクランベリーパイが来るに違いないと期待していた。すると、先ほどのアップルパイにありつけなかった連中は次にやってくるパイに先に手をつける権利を要求し始め、これが原因でじつにつまらない殴り合いが起きた。これは帝国の高官たちに革命を想起させ、帝国の運命についてペシミズムにとりつかれていた大公や公爵を錯乱状態に陥れた。彼らは急におろおろしだして、ほったらかしにしていた領地のことで何か哀れで聞き苦しい愚痴をこぼしたかと思うと、銀のフロア・ランプ相手に告解を始めたりして、最後には近衛兵を差し向けて暴徒を銃殺にすべきです、と皇帝に助言を与えたりした。皇帝は彼らの心配に感染したが、銃殺うんぬんの話が出ると急に冷静になり、臣民に向けたメッセージと調理場への命令を秘書に後述させた。こうして相手の顔面目がけてゲンコツを見舞いあっていた帝国臣民は皇帝から悲しみの詔と馬車にして百台分のパイナップルのパイが下されるやそれまでの諍いを忘れて、ともに抱き合った。神聖にして崇高な帝国臣民は内なる敵を克服したのだった。
農村や漁村にはまだ牧歌的な雰囲気が残っていた。毛羽立ったトップハットをかぶった田舎の役人が兵隊とともにあらわれて村じゅうの若者を引っぱっていってしまうまでまだ時間があった。それは夜空と大地が結び目を作り始める、あの神秘的な夕暮れのように短い時間であった。女たちは染物用の鉄鍋に羽衣草や百日草を入れて、毛糸と煮込み、色を糸にかみつかせるためのミョウバンを子どもにいって家から持ってこさせたりし、男たちは目隠しした馬に円い石をひかせて、花崗岩の石桶に入れたリンゴをつぶし今年のりんご酒をつくろうとしていた。りんごの滓をバケツにまとめ、他の残飯と一緒に豚小屋にぶちまけると豚がきーきー声をあげながら、リンゴ滓に鼻を埋めてがつがつと食べるのだった。
だが、兵役というのはどんなところにも必ず顔を出してくる。どんな僻地で生まれたものでも役人のリストに必ずその名前が乗っているのだ。役人は出生記録から徴兵年齢に入った若者たちの名前を片っぱしから書き出して、健康診断を受けにいくよう念を押す。チューリップ・ウッドの自動車や電気式フロア・ランプを一度も見たことのない田舎の最奥でも徴兵リストだけはきちんと存在する。役人のつくったリストは絶対で取りこぼしはなく、確実に若い男たちを徴兵していく。そして女と年寄り、子どもたちが残る。軍は家畜まで持っていってしまうから痩せて老いさらばえた山羊しか村には残らない。一週間で帰れるとみなが言う。むしろ帰らなければならない。
帝都に悲壮感はない。音楽隊がマーチを鳴らしながら道を練り歩き、装飾の圧倒的な質量で怯みや迷いを押しつぶしてしまえば、後は志願兵事務所に名前をつづればいいだけなのだ。名前の書けないものはたっぷり愛国心がのったバッテンを書けばいい。それで君も今日から帝国陸軍の一員となるのだ。一番下っ端で曹長にどつきまわされ、硬くなったパンをおつゆに浸してラードの焦げかすを巻いて食べる日がやってくる。そして戦争がやってくる。既に国境警備隊と敵軍の騎兵とが銃撃戦をしている。壊されたコーヒー店から聞こえてくる。《大本営発表。敵国の騎兵は我が国の国境を突撃により突破を試みましたが、国境警備隊の知恵と勇気と機関銃によって我が軍が最終的に勝利をおさめ……》
機関銃工場では昼夜を問わない操業で銃身や機関部、三脚が製造され、前線へ送られていく。コーヒーの飲みすぎで震えが止まらない工業デザイナーは図面の前でどうしたものか頭を抱えていた。陸軍省から課せられたノルマは一分間に七百発発射できる機関銃を作れとのことだったが、どうあがいても一分間六百発がせいいっぱいだ。いくつかの可動を粗いものにすれば、一分間七百発撃てるかもしれないが、他の部品とのバランスが崩れ、銃身が加熱し吹き飛んでしまうかもしれない……かまうもんか、こっちは陸軍官僚から課せられたノルマに対応するので精一杯だ。一分間七百発。前線で銃が故障しようが爆発しようがもう知らないのだ。そうだ、愛国心だ。不足は愛国心で補え。
愛国心は機関銃のピンにもなりえるのだろうか? 国境警備隊は銃舎と塹壕に閉じこもり、次の騎兵突撃が来るのを待っている。森を迂回して騎兵があらわれる。機関銃のボルトを引く。するとボルトが引っこ抜け、いくつかの貴重なピンがころころ転がって小川のなかにとぷんと落ちてしまう。国境警備隊は毒つく。ライフルで撃つ。撃つ。撃つ。騎兵が下がり始める。落馬した騎兵に十発二十発と弾丸が飛んできて、あわれな騎兵は上半身を吹き飛ばされる。森に逃げ込むまでに二人の騎兵の背骨に命中させてやった。
捕虜を殺せ! そのころ帝都ではカフェの果物箱の上に乗った演説家たちが主張をより激烈なものにし始めていた。恐るべきイデオロギーの萌芽は「いいぞ、いいぞ!」「もっとやれ」の言葉から養分をもらい、ぐんぐん成長していく。劣等な民族は優等な民族に席をゆずらねばならない、敵のやつばらめは滅ぶべき運命にある種族なのだ、と煽動家は叫び、外でパレードしている若者たちにエールを送った。「民族と帝国のために! 徹底的な絶滅を頼むぞ!」
帝国はこれまで植民地を広げるにあたっていくつもの少数民族や土民を討ち果たし、砂漠に追い込んで渇き死にさせた実績をもっている。二連式のショットガンと棍棒、石で武装した若者たちが義勇兵として立ち上がり円錐形の屋根をした土人の家屋を焼き払いながら、フォン・ロタール将軍率いる帝国植民地軍に合流した。植民地軍は相手が銃を持っていようと槍をもっていようと牛を連れていようと女子どもを連れていようと土民を見たら野砲とライフルの一斉射撃で出迎え、一つの部族を丸ごとあかね色の砂丘が延々と連なる死の砂漠に押し込んだのだった。水と食べ物のない土地に何千人という土人が追い出され、飢えに苦しみ、骨と皮だけになって砂漠に消えていく。それは植民地経営のために必要なことだった。円熟した帝国の文化は既に暴力に席をゆずっていたのだ。
モザイク調のきらびやかな衣装と背景に官能的な女性の甘く含んだところのある横顔を描く画家、徹頭徹尾自然を賛美する詩人やなかなか完成作を出さずその倉庫には未完の大作がごまんとある彫刻家たちのもとにも召集令状は届いていた。軍隊では彼らは一等兵に過ぎない。軍隊の階級は文化的価値を反映されるものではない。軍にはこれらの文化遺産の生み出し手たちの精神と肉体を作戦計画第六六六号の名の下に支配することだって可能なのだ。
作戦計画第六六六号?
それは一体なんなのだ。
作戦計画第六六六号は徴兵から敵国の占領までの全てを担う総動員計画だった。作戦計画第六六六号は帝国の持つあらゆる資源と可能性を隣国の国境目がけてぶつけるための天の声だった。うっとおしいほど空が青い夏の日、いまや帝国を主導しているのは皇帝でもなければ宰相でもなく、参謀総長でもなければ民衆でもない。宣戦布告とともに発動された作戦計画第六六六号こそが支配者であった。作戦計画第六六六号――その正体は帝国じゅうに配布されその日がくるまで開けてはいけないといわれた金庫のなかに保管されていた封筒のなかの書簡に過ぎない――それは兵を行進させ、敵を殲滅し、町を爆撃し、民衆を鼓舞するためにパイを振舞うことを命じている。宮殿の前で振舞われたリンゴやパイナップルのパイすらも作戦計画第六六六号の一環にすぎなかった。皇帝は自身の事務室の金庫にて未決処理の命令書を見つけ、誰に命じられるわけでもなく自分で考えたわけでもなく命令書に署名した。なぜならその書簡には作戦計画第六六六号のスタンプが押されてあったからなのだ。作戦計画第六六六号は一度発動したらもはや誰にも止めることはできない。作戦計画第六六六号は皇帝によって陸軍省に下令されたその瞬間から行動する。作戦計画第六六六号が発動した瞬間から皇帝が馬鹿になり、将軍が馬鹿になり、民衆が馬鹿になっていく。誰もが愛国心の眩い光のもとに判断力を失い、身も心も作戦計画第六六六号に乗っ取られる。人々は自分が作戦計画第六六六号に乗っ取られたことすらも気づかない。軍人たちは自分たちが生み出した作戦計画第六六六号を自分たちの手でコントロールできると信じているが、その自信さえ複雑な書類と修辞と統計結果の組み合わせによって生み出された錯覚に過ぎないのだ。作戦計画第六六六号は誰の言いなりにもならないのだ。国民は作戦計画第六六六号の存在すら知らない。作戦計画第六六六号によって巧みに注入された愛国心が自身の胸のうちから自然と湧き出した感情であるとまだ信じている。作戦計画第六六六号は書簡の王にして獣の王である。何者もこの王を支配することはできない。なぜなら作戦計画第六六六号は意思を持たぬ王だから。地震や嵐を人が御せないのと同様、意思のない一連の運動は人の手で制御されることはない。今、こうした瞬間も作戦計画第六六六号は帝国じゅうの金庫から取り出され、ペーパーナイフが封を切っている。作戦計画第六六六号は虚無主義者を穴倉酒場に押し込み、平和主義者を国粋主義者の凶弾に倒れさせ、人間が人間であるために必要な二つの宝物――良心と思考を愛国心で穢していく。
愛国心の魔法が解けるのは最後の若者が中央駅から戦地へ向けて出発してからちょうど六年後のことである。愛国心が消えてなくなると、残された老人たちは悪寒に襲われるように賢さを取り戻した。からっぽの建物に囲まれたからっぽの広場で、彼らは考えた。チャンスはなかったのだろうか。あのとき作戦計画第六六六号を止める手立てはなかったのだろうか。人間はこの得体の知れない化け物に大人しく食いつぶされるしかなかったのだろうか。二つの大切な宝物――良心と思考を取り戻せないのだろうか。人間が自分の意志を取り戻すことはないのだろうか。世界を破滅と破壊から守るすべはないのだろうか……




