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訪問

 線を引かれたような気がしたのだ。馬鹿馬鹿しい、と自嘲の笑みが漏れる。もともとあったか無かったのかも分からないものなのに、と。


「はぁ…」


 頭の中を占めるのは、魔王さまのことばかり。つい先程まで彼が寝ていたベッドに倒れこんでみるものの、彼の香りのひとつもしない。彼がここにいた痕跡が欲しかった。これじゃあ全てが嘘みたいじゃないか。あの寝顔の美しさも、撫でてくれた手のぬくもりも。


「…魔王さま」


 彼は、一体どんな気持ちでわたしを屋敷に置いていたんだろう。どんな気持ちでわたしの前で眠り、どんな気持ちでわたしの焼いたケーキを食べてくれたんだろう。そう考えると、目の奥が痛み出して涙がじわっと染み出してきた。


「毒が入ってるとか、考えなかったのかな」


 だって、わたしは彼にとって『勇者』だったのに。わたしはとても嬉しかった。だけど彼にとってわたしはあくまで『敵』だったのだ。その事実が痛い。


「う、うぅ…っ、まおうさまぁ…」


 こんな時でさえ考えるのは彼の怪我のことだった。あんな大怪我だったのに勝手に立ち上がって、めちゃくちゃだ。丸々二日も何も口にしていないが、何か胃に入れてくれただろうか。


「………」


 ベッドに沈みこんだ顔を重々しく上げると、燭台の隣に並べたいくつかの赤い果実が目に入った。


―――言い訳があるのだから、会いに行ったって、いいはずだ。


 わたしは目元をごしごし拭って果実を三つほど抱えると、ドアに向かって歩き出した。








―――コンコン


 黒いドアを遠慮がちにノックした。いつもは、しない。隔てた二つの部屋がやけに遠く感じた。


「…入れ」


 遅れて魔王さまの声が届いた。どうしても体に力が入ってしまう。小さく深呼吸してから重いドアを押す。


―――ギイィ


 聞きなれた軋む音。開いた先に見えた魔王さまは椅子に座っていて、その横顔にやはり鼓動が早くなる。そういえば手が湿っぽい気がする。緊張しているのだろうか。


「あの、魔王さま…起きてから、なにか口にしましたか?」


「…いや」


 魔王さまの返事は短いが、わたしは返事があったことに安堵して抱えていた果実を横顔に差し出した。


「よかったら、食べてください。魔王さま、丸二日も寝ていたんです」


 きっとお腹がすいているはずだ。このほのかな甘みの果実は酸味も少ないから胃に優しい。魔王さまは黙ってわたしの手から赤いそれを受け取った。


「座れ」


 低い声にびくっとする。魔王さまは受け取った果実に口をつけようとしない。…でもどこに座ればいいんだろう。唯一の椅子はすでに魔王さまが使ってしまっている。逡巡していると、わたしの心を見透かしたように「ベッドでいい」と声がかけられた。


 少し躊躇いながら魔王さまのベッドに腰を沈めると、待ち構えていたかのように魔王さまが口を開いた。


「礼を言う」


 …果実のことだろうか。魔王さまにそんなことを言われたのは初めてのことで目を瞠る。ただ、肝心の果実は一口も齧られていない。あまり好みじゃなかったのかな…。


「いえ、全然いいんです。それより、苦手なものだったならごめんなさい…」


「違う」


「え」


「お前が私の傷を治癒したことだ」


「え―――」


「治癒魔術だろう」


 そういってから、魔王さまはやっと一口果実を齧った。



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