勇者
魔王さまが目を覚ました時、わたしは小さな子供のように声をあげて泣いた。それは彼が斬られてから丸々二日が過ぎた頃だった。
石畳の上に広がった大きな血だまりを拭う時も、自分のシャツを染めた真っ赤な染みを冷たい水で洗う時も気丈に我慢していたものが堰を切って一気に溢れだした。何度も、目は覚まさなければどうしようかと思った。そのたび何度も何度も首を振った。
彼が横たわる白いベッドに顔を押し付けながら大きく肩を震わせて絶えず魔王さま、と繰り返すわたしに、魔王さまようには呆れた息をつく。そしてわたしがようやく泣き止んで落ち着いた時、窓の外を見ながら呟いた。
「お前は勝手だ」
聞き覚えのあるセリフだった。すぐに思い出した。わたしを庇って斬られた時に、魔王さまが言った言葉だ。
「勝手…?」
わたしが意味を飲み込めずみ繰り返す様子を一瞥してから、魔王さまは再び窓の外を見た。その仕草もなんだかすごく久しぶりに見た気がしてわたしは鼻をすすってしまう。
「いいと言うまで出るなと言ったはずだ」
わたしは肩を強張らせた。視線が無意識に床にいってしまう。
そうだ、魔王さまは部屋を出るなと言った。それなのにわたしは言いつけを破った。彼は、わたしの勝手な行動のせいで斬られたのだ。拳をぎゅっと握る。
「ごめんなさい…」
最低だ。だって剣だ。きっとわたしが泣き叫んだって足りないほど痛かったはずだ。滴る血の量を思い出してゾッとする。
空気が冷たく感じた。…嫌われたのかもしれない。足元に穴があいたような錯覚を起こした。もともと、好かれていたなんて、思っていないけれど。図々しいけど、嫌われてもいないと、思っていたから。
わたしはビクビク魔王さまを伺ったけれど、魔王さまは今度はこっちを見なかった。
「お前は勝手にさよならなどと言う」
そう言いながらも魔王さまは窓の外を見たままだ。外を見ているのは違いないが、視線が動かず、どこを見ているのか分からない。
ふと、違和感を感じた。雰囲気が、なんだか、もしかして………怒ってる?
「お前は、勝手だ」
魔王さまはもう一度そう言った。確定だ。ああ、この人、怒っている。
―――わたしが勝手に死のうとしたことに。
顔がくしゃりと歪んだ。視界がぼやけてくる。やめてほしい。こんなことで怒らないでほしい。なんなんだろう、この人は。なんて、なんて優しい怒り方をするんだろう。
「どうして…っ庇ったんですか…!」
抱えきれない感情をわたしは嗚咽とともに吐き出した。顔を覆った手のひらのせいでもう魔王さまは見えやしない。魔王さまが目を覚まさない間、何度も心の中で繰り返した疑問だった。そしてわたしは初めて返事を貰った。
「お前も勇者だろう、ララ」
「…っ」
「お前が手にかけるのは、私のはずだ」
顔から両手が滑り落ちた。だけどそんなわたしを魔王さまは一瞬だって見なかった。止める間もなく上半身を起こしベッドから降り立つと、わたしの横を通り過ぎて部屋を出て行ってしまった。冷たい空気が頬を撫でる。頭の隅に、わたしの部屋だと気付いていたのかという驚きが掠めて、消えた。




