熱
わたしは朝日の中で、汚れた服を脱ぎ捨てた。魔王さまがくれた白いシャツの肩のあたりを左右の手で掴んで向かい合う。真っ白なキャンバスみたいだ。
「…大きいなぁ」
お父さんのより大きいかもしれない。魔王さまは細身に見えるのに、なんだか意外だ。男の人の大きさだ。魔王さまも、男の人なんだ。
「……」
無意識にシャツを引き寄せていた。布が、顔に触れる。白いシャツはびっくりするほど何の匂いもしなかった。もしかして新品をくれたのだろうか。お下がりでも、よかったのにな。わたしはそっとシャツに腕を通した。
......
「魔王さま…」
わたしは魔王さまの部屋の前で二の足を踏んでいた。ドアノブを触ることさえ躊躇ってしまう。うーっと唸ってシャツの端をきゅっと掴んだ。
そうだ、シャツだ。問題はシャツなのだ。着てみたはいいが、思ったより魔王さまのシャツは大きかった。裾は太ももの中ほどまであるし、袖なんて指先まですっぽりだ。せっかく貰ったのだからと見せに来たものの、どうしても躊躇してしまう。前とは比べものにならない肌触りも清潔感も気に入っている。だけど…子供みたいって、思われないかな。
と、そこで目の前のドアが開いた。
―――ギイィ
「……え?」
「呼んだだろう」
見下ろす魔王さまは怪訝そうだ。え、呼んだっけ。呼んでないよね。あ、もしかしてさっき呟いたやつ?ほんとに耳いいなぁ、この人。でもあれは独り言であって…って
「きぃやああああああああああ!!!!!!!!」
ばんっ!
わたしは出せうる声を総動員して開いたドアの裏側へ体当たりした。それどころではないのは分かっているが、いたい!
「…何の真似だ」
「わー!見ないでくださいいいい!」
いきなり変質者扱いされた魔王さまはどうやらご立腹らしい。しかし駄目なものは駄目なのだ!ドアをがしっと掴んで隙間を覗いてくる魔王さまをぐっと押し返す、と、
「え」
手首を魔王さまに拘束されたわたしは、いつの間にか魔王さまにひょいと抱えあげられていた。というより、動きが早すぎてほとんど見えなかったのだった。なんだこれ。こういう時に実力を見せるのやめてほしい。
そしてストンと椅子に下ろされた。目の前には立ちはだかる魔王さま。逃げ場が、ない。チラっと顔色を伺うとばっちり魔王さまと目が合ってしまい、わたしは両手で顔を覆った。ひぃ。
「み、見ないでくださいー…」
「なぜだ」
即答疑問形。この人多いよね、こういうの。なんだろう、なんか尋問みたいだ。声を聞く限りもう怒っていないようで、そこは少しだけ安心する。が、この人はなんてことを聞くんだろう。なぜだって。なぜだって、そんなの。
「…はずかしい………」
顔がじわっと熱くなる。ああ、赤くなっていないだろうか。意識するともっと顔が上気した。
「だって、魔王さまのシャツ、大きいです…。わたし、体大きいほうじゃないけど、こんなにぶかぶかになるって…思わなくて…」
「……」
「こ、子供みたいって、思わないですか…?」
顔から火が出ているみたいだ。…引かれてない、かな。わたしは顔を覆う両手に少しだけ隙間をつくって、魔王さまの反応をみてみることにした。
すると魔王さまはわたしの視線に気付いているのか気付いていないのか、右手を首の後ろへ伸ばす。
「?」
なにをしているのだろう。魔王さまはそのまま右手を手前に引いた。シュルっと何かが擦れる音がした瞬間。
「わ…!」
魔王さまの濡れるような長い髪がはらりと滑り落ちるように肩に広がった。よく見れば、彼の右手の指先には黒いリボンがあった。結んでいた髪を解いたらしい。そしてそのままわたしに腕を伸ばしてきたから、わたしは息もできなくなった。
リボンを持った腕がわたしの腰を囲う。魔王さまの指が長くて綺麗だ。心臓が早鐘を打つ。音、聞こえていたらどうしよう。きっと彼の手は冷たい。だから余計に恥ずかしい。視界に映る群青の髪が魔王さまの動きに合わせてさらりと揺れる。
―――ああ、もう。
魔王さまはわたしのみぞおちあたりで一度リボンを結んでから蝶々をつくった。凛とした漆黒の蝶々だった。
「思わない」
突然そう魔王さまは言って、ベッドに腰を下ろして足を組んだ。下ろした髪が少し顔にかかっている。吸い込まれるような瞳が、わたしをじっと見ていた。
「〜〜〜っ!」
なぜか真っ直ぐ魔王さまを見れなくなったわたしは勢いよく顔を逸らした。一瞬遅れで、それが返事だと分かったけれど、わたしは魔王さまの部屋を飛び出した。
「あ、ありがとうございます…!」
廊下を走りながら頬に触れると、熱したように熱かった。いつもと違う魔王さま。死ぬかと、思った。




