箱
わたしは形も無く漂うものを箱に押し込めるのが得意だった。町のみんなの侮蔑の視線も軽蔑の言葉も、「仕方がない」と箱に押し込んだ。魔族に生まれてその上魔力までもって生まれたのだから、もう、とにかく仕方がないのだ。
「仕方がない」、この言葉はとても便利だった。その先の思考をすべて無効化してくれる魔法の言葉だった。やがて歯を食いしばることも唇を噛み切ることもしなくなった。痛みの消えた世界にわたしは歓喜した。消えてからはじめて、憎しみと悲しみがどれほど自分の心を占めていたのかを知った。からっぽだった。
わたしは手に入れたベッドで悶々とした思いを持て余していた。眠ろうとすればするほど思考の世界へ沈んでいくのだ。寝返りをうってみるも、やわらかいベッドの感触に疑問は深まるばかりだ。わたしは頭の中で、抱えた箱を手に茫然としていた。
―――「仕方がない」箱。
なにも、仕方がないことは、無かった。わたしなんて、殺してよかったはずだ。むしろ殺すのが筋だろう。なんたって、わたしは勇者だ。部屋まで与えて、一体彼は何がしたいのだろうか。結局明け方近くまでどうどうめぐりを続けることになった。
......
わたしは朝目を覚ますと、決まって部屋を見回した。すべて夢かもしれないという思いが毎朝必ず顔を出すのだ。そして探したのは、侮蔑の目だった。毒のように脳を揺さぶる苦しみをわたしは屋敷に来てから求めるようになった。罵倒されることも腕を切られることも、ましてや労働を強制されることすら、この屋敷にはないのだ。わたしは喉が千切れるまで大声で叫びたいような気分になった。
―――悲しみをちょうだい。苦しみをちょうだい。重くのしかかる、耐え切れない何かをちょうだい。
だれか、お父さんを殺したわたしに、だれか、罰を。
だからわたしは毎朝魔王さまに会いに行った。もし気まぐれで生かされたのなら、気まぐれで殺されるかもしれないと思ったからだ。彼は毎朝椅子に腰かけて目を伏せていた。わたしは毎日寝ている魔王さまを起こした。それでも彼は機嫌を損ねなかったし、わたしを八つ裂きにすることもなかった。それどころか、目を覚ますたびにわたしの名前を呼んだ。
ある日も彼を起こしに行った。
「…ララ」
「おはようございます、魔王さま」
寝起きの魔王さまの声は一段と低い。本人は決して言わないが、どうやら朝が弱いらしいのだ。寝起きしか出さない声なのだから、その声を聞いているのは世界中でわたしだけである。そのことを思うと、ひどくやるせない。
「ララ」
魔王さまはもう一度わたしを呼ぶと、わたしの頭の上に何かを被せた。…なんだろう?軽くて、ふわっとしている。頭上に視線を向けると、かろうじて白いものが映った。
「? 魔王様、なんですか? これ」
触っていいんだろうか。不思議に思いながら魔王さまを見ると、「それで我慢しろ」と言って早速また寝なおす体制に入ってしまった。訳が分からない。瞼も閉じてしまったし。わたしは少し口を尖らせて、頭上の物に手を伸ばした。感触は布だ。
「……………ふぇ?」
頭の上から引っ張ってきた布のかたまりを広げて、思わず気の抜けた声が出た。
「…魔王さま、え、これ…え、え?」
目を瞑って微動だにしない魔王さまと布を交互に見ながらパニックを起こしていると、魔王さまが機嫌が悪そうに「お前の大きさは無いのだ」という言葉を残してついに熟睡モードに入ってしまった。わたしがサイズに文句を言っているのだとでも思ったのだろうか。なんてトンチンカンな返事なのだろう。手元の布を信じられない気持ちでもう一度見直す。
―――白い、シンプルな長袖のシャツ。
…なにも、「仕方なく」ないじゃないか。どうして魔王さまは、箱に入らないものばかり与えてくれるんだろう。これじゃあ、今夜も眠れそうにない。




