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メイド


 わたしはサイドテーブルに置かれた桃色の果実に警戒心もなく齧りついた。一口食べると溢れ出す果汁と芳醇な香りにさらに食欲が刺激され、ぺろりとひとつ完食してしまった。長らく何も食べていなかったわたしはそれだけで満腹だった。


「おいしかったぁ…」


 濃厚な果汁の甘みがまだ舌に残っている。いったい誰だろう、こんなにおいしい果実を置いてくれた親切な人は。城のメイドとかだろうか。わたしは勇者なのに魔王はわたしなんかどうでもよさそうな態度だったし…殺す価値もないと思ったのかな。何にせよ、なんだか変な館だ。とりあえず、わたしは親切なメイドさんを探すことにした。お礼が言いたかった。




 かくして魔王の城で始まったメイド探しだったが…


「…だれかー」


 わたしは降参して投げやりに声を上げた。が、その声は高い天井に反共して空しく消える。わたしはこの中途半端に広い屋敷の中を端から端まで探し回った。もちろん黒いドア以外で、だ。そして分かったことがある。この屋敷には、人っ子一人存在しない。どの部屋も家具は似たり寄ったりで、生活感の欠片もない。途方に暮れている内に、外はとっぷり暮れてしまっていた。


「誰にお礼を言えばいいんだろう…」


 わたしは冷たい石畳の上で丸くなった。客人でもないのにまたベッドで眠るのは図々しく思えた。明日は必ずメイドさんを見つけてお礼を言ったら出ていくから今晩だけ、とわたしは更に身を小さくして眠りに落ちた。



......



 ひやり。


 冷たいものが触れたような気がしたが、嫌悪感はなかった。心地のいい揺れが同じリズムで届く。夢だろうか。それなら、きっといい夢に違いない。遠くで何か軋むような音がした後に、わたしはふんわりやわらかいものに包まれた。そいてわたしに触れていた冷たい温度は離れて行ってしまった。


 ―――待って。


 待って、惜しい、まだ触れていて、行かないで。


 ――――――き れ い


 閉じた瞼に群青色を残して、わたしは再び泥に落ちるように眠った。




......




 目が覚めると当然のようにわたしはベッドの上にいて、だけどもう疑問なんて抱かなかった。サイドテーブルを見ると、前の日残した桃色の果実に加えて橙色の表面がつるつるした果実が増えている。少し迷ってから、わたしは桃色の果実に口をつけた。やっぱりすごくおいしかった。


「………」


 果実を齧りながら、なんとなくわたしは明るい日差しの差す窓辺に向かう。見える景色は昨日と一緒だ。広がるのは森の風景。見えるのは立ち並ぶ木々だけ。他には何もないし、誰もいない。


 ―――こんな、途方もない場所で。


 寂しくないのだろうか。大きな屋敷に、一人ぼっちで。昨夜の群青色の後ろ姿がなぜだか忘れられない。わたしはドアに向かって歩き出した。


―――ギイィ


 ドアを出てしっかり閉めると、わたしは迷わず右へ曲がった。今日は階段を下りない。息を吐いて、黒いドアの前に立った。意を決してノックをせずにドアを開ける。ノックをして拒否されれば会えない気がしたから。それは、嫌だ。



 魔王は部屋の椅子に腰かけていた。伏せられた長い睫が見える。眠っているのかもしれない。恐怖は既になかった。


「魔王…さま」


 けれど、さすがに呼び捨てにする勇気もなかった。薄く開いた魔王の瞳は鋭くわたしを射抜いた。きっと昨日なら震えた。だけど今日のわたしはそれを見て目一杯笑った。


「ありがとう」


 怪訝な顔をする魔王にわたしは声を出して笑った。心当たりは沢山あるはずなのに。


「わたし、あんなにおいしいもの食べたの初めてでした。ベッドもすっごくふわふわだったし、こんなに優しくされたの生まれて初めて。だから」


 ありがとう、ともう一度言った。ふいっと目を逸らしたその人をもう魔王だとは思えなかった。だからわたしは口を滑らせた。


「魔王さま、手つめたいんですね」


 あ、と思った時には遅かった。魔王はわたしを無言で睨んだ。さすがに怖い。狸寝入りじゃないのに。怖い。数秒前の自分をタコ殴りにしたくなってきた。


「ちが、たまたま!断じて狸寝入りじゃ…!」


「ララ」


「はい!」


 やけに勢いよく返事をしてから気付いた。声を聞くのは初めてだ。低い、例えば夜の森のような。静かな、声だった。…というか


 ―――なまえ、よんでくれた。


「眠るならベッドにしろ」






 変な館に来て、わたしもおかしくなったのかもしれない。わたしは震える声で返事をして、めでたくふわふわの寝床を手に入れたのだった。






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