はじめまして
館の重厚な大きな扉を見た時、わたしは魔王というのはどれほど大柄なのだろうと構えてしまったが、いざその姿を初めて見ると、目を真ん丸にして見とれてしまった。
美しい人形のようだと思った。射抜くような鋭い群青色の瞳に、後ろで低く纏められたお揃いの色の艶やかな髪。それは三十年も生きてはいないような線の細い青年の姿だった。
―――あ、この人が魔王だ。
だけどわたしにはすぐに分かった。背筋が舐められる心地がした。圧倒的な、空気を支配する力――わたしは久しく恐怖を覚えた。そして同時に、自分がひどく汚いもののように思えた。鬼気迫る美しさを前にわたしが抱いたのは、諦めであり、疲労であり、満足だった。
「はじめまして、わたしはララです。勇者です」
目の前の嘘みたいに綺麗な人と目が合ってわたしは下手くそに笑った。
「殺してください、もう疲れました」
もういいや、そう思った。ゆるやかに、確実に。わたしは絶望していた。
......
ぼんやりした真っ白な世界に小さな音が届いた。小鳥の鳴き声に似ていた。うっすら目を開けるとわたしは雲の上のような場所にいた。
「………ふわ?」
一瞬天国という単語が頭を過ったが、そんなところへわたしが行けるはずもないと思い返しのろのろと体を起こすと、雲がギシッと音を立てて軋んだ。どうやら雲の正体はベッドらしい。
「………」
わたしはもう一度ベッドへ倒れこんだ。ふわふわの毛布を抱きしめる。白いシーツで包まれた簡素なベッドだったが、抜け落ちそうな板張りの上で破れた布きれにくるまって眠っていたわたしには、大層贅沢なベッドだったのだ。わたしは思う存分やわらかいベッドを堪能した。
「でも、ここ…どこだろ」
くるりと周囲を見回すも、部屋にあるのはベッドとサイドテーブル、その上の燭台に小さな椅子だけだ。壁には木製のドアと窓があるのみ。窓からの景色も森が見えるだけだ。
…本当に、どこなんだろう。昨日魔王の城に行ってからの記憶がない。考えていても答えはでないので、わたしはとりあえず部屋をでることにした。
―――ギイィ
「え」
やけに軋むドアの向こうに見えた姿に、わたしは目を瞬いた。正面の階段を上ってきたのは、それはそれは綺麗な魔王だったからだ。固まったまま自分を凝視してくるわたしを魔王は通り過ぎる時に一瞥した。鋭い目つきに肩が思わず跳ねる。しかし魔王はさして興味もなさげに奥の黒いドアの部屋に入ってしまった。
……………え?
もしかして、というか、え、なんで、ここ
―――魔王の城?
“はじめまして、わたしはララです”
あ、と声を出した。少しずつ寝起きの頭が働き始めたらしい。間違いなくわたしが発した言葉だ。
“勇者です”
「………」
“殺してください”
「なんで、殺さなかったのかな…」
“もう疲れました”
―――生きることは、辛いのだ。
「……」
わたしはドアを開け放したままふらふら歩き出した。階段をゆっくり降りていく。ここではなぜか殺してくれないみたいだから、よそへ行こう。そう思って屋敷を出ようというあと一歩のところで
「…ぁ」
景色が反転した。冷たい石畳に肌が粟立つ。…どうやら足がもつれたらしい。すぐに立ち上がろうとしたが、体が思うように動かない。意識も遠ざかっていく。
―――おなか、すいたなぁ。餓死なんて、微妙だな。
......
わたしは性懲りもなく目を覚ました。白いふわふわのベッドとなんとも複雑な再会を果たしたのだ。…なんでベッドの上にいるのだろう。たしか階段の下で倒れた気がするのに。餓死はどうした、餓死は。まだお腹は空いているが、間違いなく生きている。
息をついて、部屋をくるりと見回してみる。ああ、やっぱりベッドにサイドテーブルに……………
「なにこれ」
サイドテーブルの上に、二つ桃色のみずみずしい果実があった。




