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2014年5月29日 午後14時45分 天気:晴れ
数日後。家を引き払い、俺は円塔寺の屋敷に向かうためにバスに揺られていた。住んでいた家は道路の拡張工事に引っかかっていたので、どちらにしろ引き払う予定だった。長年住んでいた家を引き払うのはかなり気がひけたが、ここは心機一転、新しい生活を始める為に潔く。
バスを乗り継ぎ、閑静な住宅街からにぎやかな繁華街へ、そしてそこを抜けだんだんとバスは人通りの少ない場所へと向かっていく。その様子をバスの中で見つめ続けて20分ほど、さらにバス停から歩いて約10分。
歩き続けて、やっと円塔寺の屋敷が見えてきた。見えてきた、といっても敷地の周りを囲う白い壁が、だ。その壁が俺の身長より高いので、中をのぞき見ることもかなわず、あまつさえやっとのことで見つけた出入り用の豪奢な門の前はぴっちり閉じている始末だ。
the立ち往生。
なんとか中に入る方法はないものかとあたりをうろついてみるが、高い塀が俺を拒絶するかのようにはるか遠くまで続いているだけで、やっぱりほかに入口らしきものはなかった。
一体どれだけここは広いんだ。ただ果てなく続いているその敷地の広さに、思わずため息をつく。
俺達が住んでいる東奥市は、市の中にいくつかの小高い丘があり、緑と都市部の調和が美しい町として知られている。
円塔寺の屋敷はその小高い丘の一つを周りの敷地ごと買い取りその頂上に建っているのだ。俺がいる所から豆粒ほどにしか見えない屋敷に行くのに、歩いて何分かかるだろう。高い丘、っていうかむしろ「山」の上の屋敷に続く道を目で追い、その距離の長さに俺はまたげんなりと息を吐いた。
敷地内に入ろうにも重い金属製の門は開く気配すらない。獅子をかたどったと思しき金のレリーフが、あざ笑うかのように俺を見下ろしている。
門にはインターホンすらない。
ここで飛び越えるなりして中に入ろうものなら、相手は超ド級の金持ちの事だ、すぐさまセキュリティシステムが起動し、レーザーで焼かれるなり銃弾でハチの巣になるなり、ウ○ードも真っ青な警備用の犬に噛み千切られたりとか悲惨な事になりかねない。恐ろしいぜ金持ち、えげつないぜ金持ち。いや、主に俺の脳内で、だが。
「さーて、どうしようか……電話番号とか聞いとくべきだったかなぁ……」
ちなみにこの前名刺をもらったわけだが、ズボンのポケットに入れっぱなしだった為、ズボンと一緒に洗濯してしまって駄目にしてしまったのは内緒だ。
小高い丘の上に立っている城みたいな屋敷を眺めながら、ぼけーっと考えをめぐらせていたら、突然あたりに重い音が響いて俺は身をすくめた。目の前の鉄の門が、蝶番を軋ませ開いていく。今までそんなそぶり無かったのに、である。
門の扉が開ききると、その先にはロングスカートのメイド服に身を包み、長い金髪を優雅に流した女性が立っていた。なんつーか不機嫌そうに眉を寄せ、仁王立ちで。
「貴方が赤妻さん?」
目が合うなり、その女性は俺に大股でズカズカと近づいてきた。そして俺の前に立つなり、遠慮もなくじろじろと俺の身体を見つめてきた。それこそ頭の上から足の先まで、舐めまわすように、だ。ああ、視姦されるってこういう気持ちなのか。なんだか得も言われぬ快感というか、まずい方向に目覚めそうだ。
「……あ、あの……」
「ん、何かしら?」
「いえ、何でもないです……」
突如始まってしまったスーパー視姦タイムにさすがに嫌気がさして、げんなりと声をかけると、いぶかしげに細められた瞳と目が合い、思わずたじろいだ。
そして今更気が付いたが、この人、かなりの美人だ。肌はそれこそ白磁の様に白く、リップグロス以外目立つメイクはほとんどしてないらしい顔は、輪郭から隙一つなく整い、血色よく柔らかそうな頬にはほんのりと朱が差している。染色された物とは比べようのない金の髪は、一本一本がキラキラと日の光を受けて眩しいくらいの輝きを放っていた。
文句のつけようのない美人だ。童話の世界から抜け出した白雪姫、少ないボキャブラリーから、かろうじて引き出した最高のほめ言葉がそれで、自分の語彙の少なさに思わず頭を掻く。俺の内心の葛藤なんか知る由もなく、目の前の美人はそんな俺をいまだに興味深そうに見つめている。
「まぁ、合格かな?うん。オッケーオッケー」
目の前の女性――仮に白雪姫と呼称しよう――は胸の前でポン、と手を合わせるとにっこりと笑みを浮かべた。優しさを感じさせる柔和なほほ笑みで、見とれそうだったのだが……それは置いといて、だ。
「いや、いやいやいや」
勝手に自己完結されても。一体何が全然オッケーだと言うんです。今俺の周りにはおびただしい量の?マークが漂っている訳で。明瞭完結に説明してほしいのです。