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「あ・あ・あ・あ・あ」
小さく口ずさみ、ミミお嬢様はうつむかせていた顔をあげた。半ば赤黒いオーラに同化したその表情は読み辛い。
だが、微かに、頬に涙が伝っているような気がして。
――何故だ。
巨大な手が、押さえつけるように上から襲いかかって来る。それを後ろに飛び退り避ける。俺がいた場所を“オルグズ・ハンド”がアスファルトごとえぐり、消滅させた。
何故だ。考える。
右の“オルグズ・ハンド”に反射的に攻撃を加える。一瞬、腕全体がしびれる。触れるのはやはりマズいらしい。腕先にからみつく粘り気のある黒い霧をあわててはらう。
「マスター、聞こえマスか?」
「なんだよ、聞こえてる」
耳に付けたインカムから、掠れ掠れにオデットの声が聞こえる。
「ターゲットの先ほどからの音声、気になったから解析したんですが……」
「どうした?」
手の攻撃をかわし、背後に飛び退り、距離を置く。
「聞いてもらった方が早いかと……再生します」
そうオデットは言葉を切った。少し経って再生が始まったのか周りの音と違う音が聞こえてきた。雑音にまぎれて怒声がまばらに聞こえる。そして、「あああせあああああいあああああらああんああさあああああああああん!!!!」そう、ミミお嬢様の金きり声が聞こえた。
「ここです……ノイズを除去します」
そして、聞こえた言葉は。
「せいらんさん」
そう、俺の名前を力の限り叫ぶお嬢様の声だった。
――俺の名前を、読んでいる。彼女は確かに助けを請い、俺の名前を呼んでいるのだ。声色からそんな彼女の感情が伝わってきた。
「……マスター、大丈夫ですか」
言葉をなくしていた俺を心配したのか、オデットの心配そうな声がインカムから聞こえてくる。……この短時間でいやに声が流暢になったような気がするが、なぜだろうか。
「大丈夫だ。何が何でも彼女を正気に戻す」
「はい。あな、いえ、マスターなら、きっとできます。信じてます」
オデットの言葉に返すように笑みを漏らす。
俺はコンテナの影から出て、再度お嬢様に対峙する。大きく息を吸い――
「お嬢様!俺の声が聞こえますか!?」
その漏れだす闇を映す瞳が、俺の方を向く。ミミお嬢様は俺に向かってその細い手を伸ばす。助けを請うているのか、俺を握りつぶそうとしているのか――前者だと信じたいが。
「もうお夜食の時間です!早く戻って食べないと、今日はてんぷらです!冷めたらおいしくないですよ!」
当たり前だが、返答はない。無差別に破壊を繰り返していたオルグズ・ハンズが、一斉にこちらを向く。
「とっとと食べて明日の準備をしないと、明日も学校ですよ!!!宿題だってしなきゃいけません!」
返答は、ない。彼女の周りで蠢いている巨大な手が鎌首をもたげる蛇のように、その巨大な節をしならせる。今にも襲いかかってきそうだ。たぶん捕まったら最後、命はないだろう。それは避けたい。だが。
彼女に破壊の限りを尽くさせるわけにもいかない。彼女には、いつだって笑顔でいてほしい。その笑顔を守るためなら、俺は命だって賭けられる。必ず、俺と、彼女と、レスカと。三人で屋敷に戻るんだ。
「必ず、貴方を正気に戻して、屋敷に帰ります!――不肖、赤妻青蘭、貴女のもとに参りますっ!」
腰の鞘から、警棒を抜く。そして俺はミミお嬢様のもとに向けて走り出した。
巨大な“オルグズ・ハンド”が殺到する。
その攻撃を回避しながらよく観察すると、目の前の“オルグズ・ハンド”にはコアともとれる部分があるのに気がついた。ちょうど手首の部分に、赤黒い瘴気に隠れて白く輝く部分があるのだ。そこを中心に赤黒い瘴気が腕の形をとっている。
たった今受け流した一本をすれ違いざまに――ちょうどコアと思しい部分に――警棒をつきたてる。思いのほか容易く突き刺さる。動きを止めるには至らず、身をよじる“オルグズ・ハンド”。
「このっ!」
コツ、と何か固い物に先が触れる。“オルグズ・ハンド”が大きく身をよじらせた。さらに深く、警棒を押し込む。何かを砕く感触ののち、“オルグズ・ハンド”は動きを止めた。断末魔を上げるようにその巨大な躯をしならせて、末端からチリになっていく。
「っしゃあ!」
やはり、あれがコアらしい。目の前の“オルグズ・ハンド”が倒せる存在だと分かり、大きく息を吐く。
これならば、とホルスターから拳銃を抜く。警棒で砕けた手前、これで砕けない手はない。マガジンは残り一つ。幸いか、“オルグズ・ハンド”の数は10にも満たない。うまく当てられれば、勝機はまだある。




