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「……なんか、すいません」
「なんで君が謝るんだい……そうそう、君の事も頼まれててね……後見人って奴?面倒を見てくれって言われててさ」
お茶を飲み干したらしく、急須のお茶を湯呑みに注ぐと、隆顕さんは俺の肩に手を置いた。視線がかち合い、思わずそらした視線の先では一心不乱に少女がお菓子を食べていた。茶うけに用意したお菓子はすでに半分ほど食べつくされている。――って、ちょっと待て。
「え?」
この人が俺の後見人?無論、そんなことは例によって例の如く初耳であるわけで。
「まぁ……それで唐突だけど、君、僕の所に来ない?」
ぱちりとウィンクを一つ、フランクにサムズアップ。そして唐突にこの誘いである。ぽかん、と口を開けたまま、しばし硬直してしまった。
「自分が、ですか」
「ああ。僕の屋敷で執事兼ボディーガードとして働いてもらいたいんだ。もちろん待遇は良いよ?衣食住はきちんと面倒みるし、月収ははずむし、ボーナスはもちろん有給休暇、産休、育児休暇もある、他にも何かあったら何でも聞くから、ぜひ来てほしい」
「自分なんかに、勤まりますか?こんな、俺なんかに」
まくしたてられるように説明されたが、正直、俺につとまるものなのか。視線を落とした先の俺の手は小さく震えていた。
「当たり前だろう!勤まるさ。……いや、正直君じゃなきゃ勤まらない、と言ったところかな。君の生まれも生い立ちも理解しているつもりだ。僕も当事者の一人だからね……まぁそのことも含めて君を誘っているわけなんだけど……青蘭、返事は今で無くてもいい、ゆっくり考えてくれ」
湯呑みを一息に煽り、隆顕さんはまた一つ息を吐いた。当人たる俺にはうつろにしか記憶がないのだが、この人は親父と同じく俺の奇異すぎる「生まれ」と「生い立ち」を知っている。その事実は少し意外で、ひた隠しにして然るべき生まれと生い立ちに対して理解者がいてくれる、複雑な反面そのことは心強くもあった。
「あぁ、その、すみません……いろいろ混乱してて」
それでもはっきりとした返事ができなかったのは、自分に対して卑屈な面があったからかもしれない。超展開すぎるここ最近の出来事に頭が付いて行ってなかっただけかもしれない。
「気にしないでくれ……気が向いたらここに連絡をくれ。じゃ、帰ろうか、ミミ」
隆顕さんは立ち上がり懐からとりだした名刺を俺に渡すと、傍らの少女の肩を叩きほほ笑みかけた。そして俺に会釈すると、急ぎ足で部屋を出ていった。
「ごちそうさまでしたー」
口の中のお菓子を急いで飲み込み少女は小さくお辞儀をすると、その後を追い小走りで部屋から出て行った。お皿に盛った茶菓子は、いつの間にか空になっていた。……そういえば、あの子が俺と隆顕さんが話してる間もくもくとお菓子を食べてたのを思い出し、苦笑した。
外は相も変わらず鈍色の空からしとしとと街の輪郭をぼかすように、雨が降り続いている。家の中にはただ静かに時計の針が進む音だけが響いていて。
「親父、あんた、いい友達がいたんだな……」
湯飲みなどを盆に乗せ、立ち上がる。俺も早いとこ身の振り方を考えないといけないか。花の中に埋もれた遺影を振り返り、ぽつりとつぶやく。開け放した窓から吹き込んだぬるい風に、菊の花弁が一つ床に落ちた。
だが、俺の今までの日常はこの時には既に崩壊しかかっていたのだ。
茶器などを片付け、客間に戻ったときだった。突如、甲高く耳障りな車のブレーキ音が辺りに轟く。続いて荒々しく車のドアを開ける音、幾人かの男の怒声。それだけで剣呑な雰囲気が辺りに漂い始める。
……事故でもあったのだろうか。野次馬根性がわきかけるが、頭を振って払拭する。
だが、そんな俺の平和な考えはもろくも瓦解する。
一つの轟音が余韻を残し、雨空に吸い込まれていく。乾いていて、懐かしくも感じる音。落雷の音にも似た、腹のあたりに重く響く破壊の意思を伴った破裂音。
「いやぁああぁっ!」
一拍遅れて誰かの悲鳴が辺りに木霊する。それは明らかに少女の物で、先に聞こえたのは確かに銃声だった。
動悸が速くなる。視線を下に落とすと、みっともなく足が震えていた。一歩踏み出さすと、ふがいない事にもつれ、無様に膝を突いてしまった。
円塔寺隆顕といえば世界的に有名すぎる程の人物だ。誰かに命を狙われているとしてもおかしくない。
また立て続けに三発、銃声が辺りに轟いた。甲高い悲鳴もそれにまぎれて聞こえる。
「……おいおい、まじかよ……っ」
俺は震える膝に鞭打ち立ち上がる。障子を開け放ち、廊下をふらふらと走り抜け、靴を履くのももどかしく玄関から外に飛び出した。
同日 14時56分
「えっ、ふぇ……ええ……ん」
外に出ると、雨の音に混じって少女のすすり泣く声が聞こえてきた。
道路には黒塗りの車が隆顕さんの行く手を遮るように停めてあり、その中にいる数人の男が銃を隆顕さんに向けていた。
「円塔寺隆顕だな?……おとなしくしてればお前には手は出さねえ……用があるのはこのガキの方だからなあ」
銃を突きつけてる奴ら、その黒塗りの車には「常道会」という名前があった。最近テレビで取り上げられている、過激な事で有名な暴力団だったはずだ。その暴力団が隆顕さんたちを狙う理由はよくわからない。
「やめろ、やめ……うわっ!」
「お父様!」
「ひゃはは!引っ込んでろよ親父さん、大人しくしてろって言ったろう?」
荒げた隆顕さんの声をかき消すように銃声が轟き、吐き出された銃弾が殺到する。肩に当たったのか、隆顕さんは小さく呻くとしゃがみこんだ。下卑た笑いが黒服の男達から上がる。
さらに車から降りてきた奴が、道路でへたり込み泣いている少女を攫おうと、服を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「ひぃっ」
上ずった悲鳴を少女があげる。涙でぐしゃぐしゃの顔をひきつらせ、怯えた瞳が助けを求めて彷徨う。