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同日 午後18時43分
「ごめんね、毎回後片付けばかり頼んじゃって」
「あー、気にしないでくれ。出来る仕事、これくらいしかないから」
しばらくして夕食の準備が粗方終わり、後は配膳して食べるだけの状態で、俺は散らかった厨房の片づけを手伝っていた。
今日の晩御飯は鰤(鈍器)や海の幸をふんだんに使った刺身やアラ煮、天ぷら等が準備されていた。アラ煮はしょう油ベースのだし汁がよく染み込んでいて、素朴ながらもご飯のおかずにはぴったり合うような味付けになっている。
「ああ、腹減った……」
目の前にあとは盛り付けて食べるだけの状態で置かれている料理。その香りに腹の虫が唸り声をあげている。
「お疲れ様。はい、お茶どうぞ」
「さんきゅ」
弥生――如月弥生が、緑茶が注がれたカップを差し出してきた。受け取ると緑茶の温かさがカップを通して伝わってくる。
使用した料理の器具を分担して洗い終わり、ゴミを所定の場所に捨てて、厨房の仕事は何とか終わりを告げた。
だがご飯を食べた後も食器を洗い片づけ、明日の料理の下ごしらえをしなくてはいけないらしい。厨房の仕事も大変だな、と内心思う。
しかし弥生達は自分達が作ったご飯を食べてもらえる事が嬉しい、と言っていた。大好きな人たちが自分の作ったご飯をおいしいって言いながら食べてくれるのは、私の幸せなんだ。弥生は鰤を解体しながら、そう語ってくれたのだ。
「んー、それにしてもレスカ達、遅いわね」
緑茶をすすり、弥生が一つ息を吐き呟く。落としていたその視線が、一通り厨房内を見つめ、最後に壁に掛けられている時計へと移っていく。
彼女の頭の動きに合わせて、印象的な長い黒髪が数束肩へとこぼれる。弥生は自分の髪をとても大切に思っているらしく、寝る前のケアは欠かさない、と言っていた。枝毛すら見えない綺麗なストレートの黒髪は、母親譲りの物らしい。たしかに大切にされているらしい弥生の髪はやわらかで、美しい。
俺も弥生に倣い時計を見上げると、針は18時半をとっくの昔に過ぎていた。
「ほんとだな……。寄り道でもしてんのかね?」
「さぁ。青蘭、ちょっと電話してみてよ」
「ああ。そうする」
ポケットから携帯を取り出しレスカの番号を探し、電話をかける。だが、レスカが待ち歌に設定しているらしい楽曲が響いてくるだけで、電話に出る気配はない。――まぁ、運転してるからだろうが。ミミお嬢様の番号は知らないし、幾ら距離が縮まっているとはいえ何だかかけるのは気がひけた。
「……でない」
「あら。何してるのかしら」
「さぁ。どこかで寄り道でもしてるのかな?お茶、ごちそうさま」
飲み終えたカップをシンクの隅っこに置く。弥生も何やら考えるような仕草の後、カップをシンクに置いた。茶渋がつかないうちにカップに水を注ぐ。
「……天ぷら、旦那様の分だけでも揚げ始めていいかしら」
弥生は、作業台の上の下ごしらえを終え揚げるだけの天ぷらの方を振り返って、小さくつぶやいた。
「あー……これ以上遅くなるようなら別に良いんじゃないかな。じゃあ俺は食台の準備と手伝いをするよ」
「はいはい、よろしくね」
俺もスーツの胸ポケットに携帯を仕舞い込み、他のメイドの作業を手伝いに行こうと椅子から腰を上げた。そして弥生に軽く会釈して厨房を出た。
「食台準備して、マット引いて、食器置いて……ん?」
手帳を開き、準備の手順を確認しつつ、いつも旦那様たちがご飯を食べている部屋に続く廊下を歩いていると、胸の携帯が鳴った。
機械的な呼び出し音と規則的なバイブレーションに、俺はポケットから携帯を取り出す。小さなサブディスプレイには「レスカ」の文字が点滅していた。
「もしもし?レスカ?」
「もしもし、青蘭!?」
最初に聞こえたのは耳障りなノイズ。それから少し遅れてスピーカーから聞こえてきたのは、何処か切羽詰まったような声のレスカの声だった。どうしたと言うのだろう。
「もしも――いらん――える?」
「もしもしー?レスカ?」
――っていうか運転中じゃないのか。いや、運転中なのは確かなようで、スピーカーホン状態にしているのか、聞こえてくる声は何処か遠くぼやけていた。車のエンジン音らしき音もたまに聞こえてくる。
「おい?レスカ?」
返答はない。
だが、レスカの言葉の代わりに電話越しに耳をつんざくような轟音が轟いた。大音量に電話のスピーカーが耳障りに音割れする。余りの大音量に、俺は思わず携帯電話から耳を離す。少し遅れて甲高い悲鳴がその奥から聞こえた。
「なっ!?おい!レスカ!どうした!?」
「たすけ――…………」
か細く聞こえたレスカの声。
電話はそれっきり途絶えてしまった。回線が切れて無機質なトーン音が断続的にかえって来る。
「おいおい、ちょっと待てよ……」
泣きそうにつぶやかれたレスカの声。
聞こえた銃声。
悲鳴。
――レスカと、お嬢様が襲われている。誰に、何のために?血の気が引き、混乱した頭では思考がまとまらず、こみ上げてきた吐き気に、口に手を当てる。
「どうしたの?顔、真っ青よ。何があったの?」
いつのまに厨房から出てきたのか、弥生が心配したように俺の顔を覗き込んでいた。
「すまん、ちょっと出てくる」
助けに行かなければ。俺は弥生にそれだけ呟くと、厨房を後にした。幸いにもバイクのキーはポケットに入ったままだ。――急がなくては。
同時刻
「――私だ。さっそくだけどアレ、つかうよ――わかってる。ナビができればいい。――ああ。そちらとしても実地訓練って事でデータ取れるだろう?緊急事態だ。そんなこと言ってる場合じゃない。――ああ、わかってる。恩に切るよ、厳さん、レティシャ――」




