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女の子は軽く俺に会釈をすると、恥ずかしがり屋なのか、俯き隆顕さんの影に隠れてしまった。
まぁそんな暇をもてあました俺の野暮な少女観察はこの際どうでもいいのだ。怪訝に思われないうちに俺は少女から目の前の隆顕さんに視線を戻した。
「……俺、お茶淹れてきます。ゆっくりしててください」
「ん?……ああ。お構いなく」
不意に、というかほぼ必然的に訪れたその場の沈黙に耐え切れず、俺は立ち上がる。俺の言葉に、写真の横に並べてある親父の遺品を眺めていた隆顕さんは顔をこちらには向けず、手を小さく振ってこたえてくれた。写真を見つめる彫りの深いその横顔には、懐かしさ、というか親しい人に久々にあった時の様な、優しい笑みが浮かんでいた。
ちら、と少女の方に視線を送ると、その親父さん譲りの茶色の瞳と視線がかち合った。しかしそれはほんとに一瞬で、彼女は慌てて目をそらした。
――そのおびえるような視線のそらし方に、俺は引っかかる物を覚えたが、気にせず障子戸を開け放ち部屋を後にした。
同日 14時23分
「失礼します」
少し経ってお茶を淹れ終えた俺は、お盆の上にお茶の入った急須と湯のみと、買い込んであったお菓子をお茶うけに皿に並べて部屋へ戻ってきた。戸棚の奥から結婚式か何かで貰った古めかしいデザインの湯呑みを引っ張り出して来て取り繕ったが、いつも淹れてるお茶は安い等級品なので、口に合うかどうか。
何せ相手は世界をまたにかけた大富豪なのだ。一般人の味覚とはかけ離れた味覚をしていらっしゃるに違いない。下手な物を飲ませたら社会的に殺されそうな気がする。バナナの皮やら石やらレンガやら投げつけられながら余生を後ろめたく過ごす羽目になりかねない。緊張で手がかすかに震え、かたかたと湯のみが音を立てた。
「あー、ごめん。いただくよ」
俺のそんな心境を知ってか知らずか、湯呑みを渡すと隆顕さんは小さく頭を下げた。湯呑みを渡した手は、湯呑みがすっぽり隠れてしまうほど大きく、武骨な手だった。
「いやぁ、その、口にあうか。どうぞ、召し上がってください」
隆顕さんの横に座っている少女の前にも湯呑みを置く。が、少女の関心は茶よりお菓子のようだ。すかさずお茶菓子を目の前に持って来てやると、白い指を彷徨わせ、ちら、と上目使いに俺を見上げた後クッキーを一つ手に取った。
「……所で、失礼な事聞きますけど……やっぱりあの円塔寺さんですよね?」
また訪れた何度目かの沈黙に、俺はそう言葉を吐いていた。
「え、どの僕だい?……僕が他にもいるなら見て見たい気もするけど……まぁ、お察しの通りの僕だと思うよ」
「は、はぁ……」
俺のそんな不躾な言葉にも、お茶をすすりながら隆顕さんはおどけたような表情で答えてくれた。胸元から、金文字でCEOと書かれた名札を出して見せてくれたが、やっぱり「あの」円塔寺隆顕で間違いないらしい。
「親父とはどういった関係だったんですか?」
しかし、こんな大富豪と親父はどういう関係だったのだろう。ふと湧いた、そんな疑問は次の瞬間には口を付いて出ていた。
「……彼とは夕日をバックに殴りあったり、お互い好きだった人の風呂を覗きに行って通報されたり、ジャングルをナイフ一本で彷徨ったり、拳銃を片手に世界をまたにかけた秘密結社と戦ったりする間柄かな」
「はぁ……」
「一部フィクションだけど、まぁつまりは小さい頃からの友人だったって事さ。青二は僕がこういう立場になっても関係なく接してくれたダチだよ、ダチ」
そこまで言って、隆顕さんはもう一度親父の位牌に視線を向けた。小さく息を吐く。
「そうですか……親父はそんな事、全然話してくれませんでしたよ」
「あいつは中々自分の事を話そうとしないからねぇ……特に過去の話なんて絶対にしなかったと思うけど」
くつくつと笑いをこぼしながら、隆顕さんは昔を懐かしむように目を細め、一度親父の位牌の方へ視線を送った。その視線にどれだけの想いが込められていたのかは分からないが、この人の言葉にウソはない様だ。
「たしかに。結局俺は親父の事なんてほとんど何も知りえませんでした。寡黙な方でしたからね、親父。聞いても教えてくれませんでしたし」
「そうそう。頑固で寡黙で、そのくせムッツリスケベで……。うん、昔からあいつは一人で抱え込むタチでね。だからすごく見てて危なっかしい奴で……あいつがNPOでネゴシエーターの仕事を始めるって聞いた時には、いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってたんけど……やれやれ、こんなにも早く来るなんて……いつも突然すぎるんだよね、あのバカは」
ここまでの話――半ば隆顕さんの一人語りになっていたが――を聞く限り、親父はもう随分前からああいう性格だったわけか。生前のおやじの性格を思い返し、なんだかいたたまれなくなって俺は隆顕さんに頭を下げた。