第一章④
ファーファルタウはそろそろ夜の七時。国会議事堂の時計塔、ファーファルタウのランドマーク、金色の鐘を持ったビック・ベルという巨大な建造物の長針は十二の数字に向かっていた。
魔女たちは夕食を取る時間である。しかし、中庭ではアメリアはまだ練習を続けていた。ヘンリエッタも一緒だ。「いち、にの、さんっ!」を何回叫んだか、ヘンリエッタは全く覚えていない。アメリアの集中力が切れると焦げた庭園の掃除をする。リフレッシュすると再び空を飛ぶ。それを朝から繰り返していた。
その一方でピチカートとシャーロットは魔女の塔の最上階の狭い部屋でディスカッションをしていた。議題はもちろん、アメリアがどうしたらコントロールできるようになるか、である。ディスカッションの参加者はピチカートとシャーロットだけではない。円卓を置いただけで歩くスペースのほとんどが失われる正方形の狭い部屋に集まったのはピチカートたちを含めて六人の魔女と一人のドラゴン隊の騎士。魔女たちは皆、ピチカートと同世代である。ドラゴン隊の騎士は、アメリアがドラゴン使いだから、ということでの出席である。
ピチカートは終始黙り込んでいた。ディスカッションは白熱している。そこから何か得られるのではないかと頭を回転させているのだ。アメリアに関する情報はディスカッションの前に資料を作成して皆に配っている。抜粋したものが黒板に白のチョークで羅列されている。アメリアの身長、体重から、これまでにアメリアの頬を赤くさせてまで聞き出した様々な情報が資料には詰まっている。ピチカートにはそれらの情報は宝石以上に大切なものだったがやむを得ない。しかし、そのおかげでピチカートが思いも寄らなかった意見たちに遭遇出来ている。一蹴すべきものもあるが、ヒントになるものもあった。
このディスカッションはシャーロットがいなければ実現されなかった。シャーロットは様々な魔女の手を握ったりするから顔が広いのである。ピチカートにはそこまでの人脈はない。シャーロットが言うには、ピチカートにはバラのような雰囲気があるのだという。身に覚えはないが、ピチカートにあまり人が寄ってこないのは確かである。それにしてもシャーロットがドラゴン隊の騎士とまで交流があったことは驚いた。
彼の名前はケイジ、ピチカートたちよりも五つくらい年上で、ドラゴン隊の小隊長をしているという。硬そうで、量の多い髪はうねっている。前髪を上げていて、お凸が露わになっている。そのお凸にはドラゴンの爪による傷があった。これは本人がピチカートに教えてくれたことだ。眉は太く、目と鼻と口と耳、顔のパーツがそれぞれ大きい。体も大きい。今はシャツに、シルエットの細いスラックスといういでたちだが、ドラゴン隊の鎧を纏ったらさらに大きくなるだろう。
ケイジは魔女たちにドラゴンのことを説明していた。鋼の魔女のシエンタが「ドラゴンとの接触経験がアメリアに影響を与えているのではないだろうか? 箒で飛ぶ、ということはつまり風を産み、風を作り、風をコントロールするということだ、鳥が羽ばたき、空を飛ぶこととは違う、過去、彼女はドラゴンの背に乗って空を飛び回っていたのなら、その経験が何かを狂わせているのではないだろうか?」と聞いたからだ。「魔女が風をコントロール出来ないわけがないのだから」
ケイジが顎の無精ひげを触りながらシエンタを見て考える。「確かに、そうだね、ドラゴンを羽ばたいて飛ぶ、その背に乗って僕たちは手綱を握ってドラゴンを操るわけだから、それは根本的に箒で飛ぶこととは方法が異なっているかもしれないね、でも、僕の感想として、ああ、一度シャーロットの後ろに乗ったことがあるんだけど、一緒だったね、空を飛ぶということは一緒だった、あいまいでごめん、でも、ドラゴンの背に乗ったことがアメリアに影響を与えているんだったら、僕には理屈が分からないな、ま、僕は魔女じゃないし、風を操るという感覚が分からないから断定は出来ないけれど」
「ドラゴンのコントロールは簡単?」シエンタが聞く。
「とても難しい、いやコントロールが難しいというんじゃなくて、まず、ドラゴンと意思を通わせなきゃいけない、ユニコーンもグリフォンもこの点は一緒だと思う、その手続きを踏んでやっと、自転車やバイク、ワゴンのように簡単にコントロール出来るようになる、それを考えたらアメリアは君たちよりも空を飛べることに長けていると思うんだがな」
「狂っているんじゃなくて、」植物の魔女のファアファが手を挙げて発言する。「何か余計なことをしているのかも、風のコントロールを乱す風を無意識のうちに出していたり」
「何それ、大変、」氷の魔女のピックキャットが朗らかな表情で言う。「竜巻でも起こりそう」
「それはないわ」ピチカートが発言する。
「私は、原因はやっぱりドラゴンにあると思う」シエンタはその可能性を譲らない。
「いや、」ケイジが発言する。「ドラゴンはきっと関係ないよ」
「分からない、あなたは魔女じゃない、信用できない」シエンタはケイジを睨んでいる。
「なんでそんなにドラゴンのせいにしたいの?」ケイジは笑っていたけれど声は大きくなっていた。
「トラウマとか、そういうものは?」ファアファがピチカートに質問する。
ピチカートは首を横に振った。「聞いたことないわ」
「ドラゴンの背から振り落とされたことがあるとか」
「そういうトラウマがあるのなら、まず箒に跨れないでしょ、」シャーロットが言う。「コントロールが出来ないだけ、アメリアちゃんは浮上するだけなら雲まで行けるもの」
「だから、ドラゴン、」シエンタが言う。「絶対、ドラゴンのせい」
「いいや、違う」ケイジが大きい手を振って否定する。
「いいえ、違わない」シエンタはケイジを睨む。
「違う、何か恨みでもあるの、君?」
ケイジは挑発的に言った。
その瞬間、シエンタは跳躍し、円卓の上に飛び乗った。
シエンタはシルバーに輝くブレイドをケイジの喉元に突き付けていた。
ソコにいる誰もが動けなかった。
シエンタが魔法で編んだ自慢のブレイド。そのブレイドは空間も切り裂く。そのブレイドで刺されれば命はない。
ケイジは両手をゆっくりと上げた。
シエンタはブレイドを消した。そしてほっと息を漏らしたケイジの顔面をブーツのソコで蹴る。ケイジは椅子ごと倒れた。
ガタンと倒れた時、それまで黙っていた光の魔女のゼプテンバがぽつりと言った。
「この中の誰かがドラゴンの背に乗ったら分かるんじゃないかなぁ?」
正直議論は行き詰っている。煮詰まってはいない。ファーファルタウは夜の七時。コレから新しいアイデアが浮かんでくることは、きっとないだろう。ならば、現時点ではドラゴンの背に乗って可能性を探るのが、一番正解に辿りつく道筋として正しいとピチカートは思った。しかし、それしかないのかと絶望的な気分にもなる。アメリアが解雇された時のことを少しだけ考えてしまった。とにかく、全てはドラゴンに乗ってからだ。ピチカートは息を吐きながら言った。「私が乗るわ」
その時だった。
部屋の扉が外側に開いた。
「ピチカート、いる?」
扉を開けたのはラスティという指導教官だった。年はピチカートたちよりもずっと上である。色気もピチカートたちよりずっとある。ラスティの特徴は母親のような慈愛に満ちた笑顔であるが、今はそれがなかった。少し慌てている。ラスティは円卓に座る魔女を順に見回して二週目でやっとピチカートと目が合った。
「なんでしょう?」
ピチカートは壁に立てかけていた箒を手に取って立ち上がった。こんな風に指導教官が少し慌てて扉を開ける場合、何かトラブルがあったに決まっているからだ。ピチカートはラスティに近づく。
「悪いことがあったの、飛んで頂戴」
「ええ、それで何が?」
「それにしてもそうそうたるメンバーね、一体何をしていたの?」ラスティはピチカートを見つけて少し余裕が出来たらしい。緊急事態ではないのだろうか?
「ディスカッションを、少し」
「へぇ、」ラスティは一瞬微笑んで、すぐに真面目な顔に戻った。「シャーロット、あなたも来なさい」
「え? 私も、ですか?」シャーロットは自分を指差しながら箒を手に取った。「ピチカートだけでは難しいことなのですか?」
「シックス・タワー・ブリッジの検閲が魔女に破られたの、変な魔法にかけられたらしいわ、すぐに飛んで行って捕まえて頂戴、今はユウキが一人で追跡しているらしいわ、でもユウキも魔法にかけられて満足に飛べないみたい、その不届きものの特徴は、」ラスティは早口で言った。「東洋の魔女」
ピチカートとシャーロットは顔を見合わせた。